猫跳寺

@kentaro0520

猫跳寺



「猫跳寺へはもう行ったのかい?」


 色白で、青い瞳をしたスコットランドの大男が僕に尋ねた。


「明日ボートに乗って湖をまわる予定なので、その時に行くと思いますよ。夕方その予約をしてきました・・・」


 僕はそう答えながら、テーブルの向う側に座る彼の顔を見上げた。背丈が百九十センチはあるであろう彼の顔は、食堂の天井から吊り下げられた光の弱い裸電球の下で、柔らかい微笑みをたたえていた。彫が深く、目鼻立ちがはっきりしていて、名前は思い出せないが、映画アラビアのロレンスに出てくる主演の男優にそっくりだと僕は思った。


「そうかい、ちょうど私も、明日湖に出るつもりでいたんだ。また現地で会えるかも知れないね」


「僕もそんな気がします・・・」


 お愛想で、そう言ったわけではなかった。実際に僕と彼は、このミャンマーの、それぞれ別の場所で、三度も偶然の出会いを繰り返していた。


 最初に僕が彼を目撃したのは、首都のヤンゴンから、内陸部の古都マンダレーへ向かう列車の中だった。車内にいた外国人は僕と彼の二人だけで、彼は僕の二つ前の座席に腰掛けていた。首から上の部分が、リクライニングシートから完全にとび出していたのが妙に印象的だったのを覚えている。出会いと言っても、トイレに立つ時などに会釈する程度で、お互いに相手の存在を認識し合っただけという表現の方が正しいかも知れない。その時それ以上のことは何もなかった。


 その後、マンダレーの街中と、遺跡の都パガンの寺院の回廊で二度目、三度目の再会をすることになるが、長身の彼は、とにかくどこにいても目立っていた。雑踏に紛れていても、小柄なアジア人の中で、彼は頭一つとび出た存在だった。そして、その右肩には、いつも巾着型の小さな水色のリュックを掛けていたのだ。僕が小学生だった頃、遠足用に流行っていた、口ヒモと肩ヒモが繋がったタイプのものだが、それは明らかに、彼の身体のサイズに合っていなかった。


 彼は僕を認めると、二度とも笑顔で手を振ってくれた。僕もそれに応えて手を振ったが、上手く笑顔がつくれたかどうかは疑問だった。結局、簡単な言葉すら一度も交わすことなく、三度の出会いは過ぎていった。個人旅行が解禁になったとは言え、政情が不安定なミャンマーでは、旅行者の移動可能なエリアは限られている。自然と、そこに定番のコースがつくられ、その線をなぞりながら旅を続けていれば、同じ旅行者と何度も再会するというケースは、物理的に大いにあり得ることだった。

 

 ただ、人間とはまことに不思議なもので、見知らぬ国を一人で旅していたりすると、そうした確率の高い偶然さえも、ある種の運命のように思えてくるものなのだ。

 三度目の出会い以降、僕は初めて訪れる街を歩く度に、視界のどこかで無意識のうちに彼の姿を探すようになっていた。そして、ここインレー湖への拠点ニャウンシュエでとうとう僕は彼と四度目の出会いを果した。


 日暮れ前、街のシンボルともいえる木造で屋根付きの小さな橋のたもとで、僕たちは再会した。彼の右肩には相変わらず、その体格に不釣り合いな、小さな水色のリュックがぶら下がっていた。「ミスター!」と、こういう場合たいてい受け身にまわるはずの僕が最初に声を掛けた。自分でも意外な行動だった。僕を認めた彼は、ゆっくりと近づいて来て、夕食がまだなら一緒にどうかと誘ってくれた。もちろん異存はなかった。


 僕たちは近くにあった薄暗い食堂に入り、それぞれフライドライスを一つずつオーダーした。僕はチキン入りで、彼は野菜のみのフライドライスだった。


「これが一番無難な料理だからね」


 水色のリュックの中から取り出したミネラルウォーターを飲みながら彼は言った。旅慣れた人だと思った。確かにアジア広しといえどもフライドライス、つまり焼飯ほど、どこにでもあり、味に当たり外れのない料理は他にない。ミャンマーにもカレー風の民族料理があり、バラエティーに富んでいて、味もそこそこいけるのだが、総じて脂っこく、一度下痢や胸やけになると、暑さなども手伝って、容易に手が付けられなくなる。僕も近頃はミャンマーの猛烈な暑さに夏バテぎみで、毎晩のようにフライドライスのお世話になっていた。

 外国人向けにアレンジされ、民族色のない地味な印象だが、フライドライスはアジアを旅する人々にとって、現地の料理に飽きた時、欠くことのできない便利で都合の良い料理なのだ。


 そんなフライドライスを二人で食べながら、彼は自分が韓国で英語の教師をしているスコットランド人であることを話し、僕は自分がアジアで写真を撮り歩いている日本人であることを話した。猫跳寺の話が出たのは、その後のことだった。


「私は猫跳寺を見るためにミャンマーへ来たようなものなんだ・・・」


 彼はそう言いながら、付け合せのキュウリの生スライスを、スプーンで皿の縁に一つずつ寄せ始めた。それを目で追いながら僕は尋ねた。


「よくそんなお寺のことご存じですね」


 僕自身、猫跳寺の噂を初めて耳にしたのはミャンマーに入ってからだったし、僕の中では猫跳寺よりも、インレー湖の直前に訪れたバゴーの寝釈迦仏や、ミャンマー仏教の聖地ゴールデンロックの方が、思い入れの面では遥かに格が上だった。猫跳寺に関して何かを思い浮かべるには、余りにも情報が不足していた。僕が猫跳寺を強く意識し出したのは、恐らくこの時が初めてだったのではないだろうか。


「昔、雑誌でインレー湖の猫跳寺の特集を読んだことがあってね。それ以来ずっと、ここを訪れるのが私の夢だったんだ」


「それじゃあ、明日その夢が現実になるんですね・・・」


 彼は大きなガタイに似合わず、はにかみながら、恥ずかしそうに頷いた。


「この国で部分的とはいえ、自由に旅行ができるようになったことには本当に感謝しているよ。君もそう思うだろう?」


 その時僕は一瞬、相槌を打つのをためらい、何かを言おうとした。しかし、それは上手く言葉にならず、曖昧に笑ってごまかすのが精一杯だった。その後、お互いのフライドライスが無くなるまで、僕たちは暗い灯の下で旅の思い出話や情報交換を続けた。予想していた通り、彼は僕とほぼ同じコースをたどって旅をしているようだった。最後に彼は、まだ見ぬ猫跳寺の素晴らしさを執拗に力説した。


「猫跳寺はファンタスティックな場所なんだ。僧侶が合図をすれば、お寺中にいる猫が一斉に跳ね始めるんだよ。君もきっと、あそこで良い写真が撮れると思うよ。本当にファンタスティックなんだから・・・」


 夢に描いた場所とは言え、実際に現地に行ったことのない彼に、そんなことを言われても、正直困ってしまうのだが、余りにも真顔で語る彼を見ていると、僕は何となく微笑ましい気分になった。


「そう願いたいたいですね・・・」


 今度ばかりは、お愛想半分で答えざるを得なかったが、それにしても寺院の境内で猫が一斉に跳ねるというのが本当なら、確かにそれは彼の言う通り、ファンタスティックなことだ。後々思えば、僕はこの時すでに、彼と同じように猫跳寺の虜になりつつあったのだろう。


 僕たちはフライドライスを平らげて店を出た。街灯が一つもない真っ暗な道を歩き、僕と彼は大小二つの影になった。昼間の暑さとは打って変わって、夜風が心地よく、ここが高地であることが実感できた。


 別れる間際、何故だったか、話題がそれぞれの宿のシャワーのことになり、僕の宿には水シャワーしかないことを話すと、彼は信じられないといった様子で、自分の宿までホットシャワーを浴びにくるようにと、しつこく誘いを掛けてきた。相手は善意で、僕が風邪をひかないように気を遣ってくれているのだから、断わるのは容易なことではない。彼が衛生面の理由から、食堂でキュウリの生スライスを口にしないのと同じように、単に旅のスタイルや考え方が違うのだということを分かってもらうのに随分と時間がかかった。僕の泊まってる宿は一晩の料金がたったの二ドルだった。


 ようやく誘うのを諦めた彼は、何となく名残り惜しそうな雰囲気を漂わせていた。僕はこれまで自分のたどたどしい英語に根気よく付き合ってくれたことについて礼を言い、寂しそうな彼を元気づけるつもりで、また猫跳寺の話を振ってみた。


「明日、湖のファンタスティックなお寺で、もう一度会えれば、本当に最高ですね」

 彼にいつもの優しい笑顔が戻った。僕たちは、それぞれの宿に帰るため暗がりのT字路で別れた。彼は一度闇の中で振り返り、そして叫んだ。


「シー・ユー・トゥモロー・ケンタロウ!」


 まずかった。


 僕は自分の名前だけを名乗り、彼の名前を尋ねなかったことを後悔しながら、黙ったまま手を振った。明日会った時、一番に聞いておかなければいけない。


 肩に小さなリュックをぶら下げた背の高い影は静かに闇の中へと溶けていった。




 宿の二階にある自室に戻った。一泊二ドルとはいえ、ツインタイプの広々とした部屋だ。一丁前に屋内型のテラスも付いていて、窓から外の風景も堪能できた。ただ一つの難点は、床材だけはしっかりした木を使っているのだが、壁、窓、天井が全て編んだ竹で作られていて、それが様々な方向に歪みまくっているということだった。そのために室内は何とも言えぬ歪な空間を醸し出していた。床の上に直立していても、真っ直ぐ立っている気がしないのだ。酒にでも酔って、この部屋に帰ってくれば、気分が悪くなること請合いだろう。


 ガラスの入っていない、竹で編んだだけの観音開きの窓を開け放った。窓枠は誰が見ても平行四辺形に歪んでいるのに、すんなりと開くのが不思議なくらいだ。室内の蒸した空気と、外の冷たく乾いた空気が入り混じっていくのが肌で感じられた。煙草に火をつけ籐でできた椅子に座り、外の風景を眺めた。


 目の前には小さな川が流れている。そのまま流れに沿って下って行けば、未だ見ぬインレー湖に出るはずだ。反対の上流側には、例の屋根付きの橋が遠目に見える。橋を渡った対岸の辺りには、外国人向けのレストランがあるようで、アジアの雄タイガービールの電飾看板が眩しく目に映る。今夜は禁酒禁煙の大男に遠慮して、サービスのお茶だけで我慢したが、明日の夜はあそこでビールでも飲みたいものだ。


 僕はレストランのネオンを眺めながら、昼間、あの橋のたもとで出会ったもう一人の男のことを思い出していた。それはスコットランドの大男とは対照的に、浅黒く日焼けした、小柄な現地人のオヤジさんだった。


 僕は日中の猛烈な日差し避けるため、屋根付きの橋の上で日陰に入り、涼をとっていた。日向の路上なら、恐らく四十度近くまで気温が上がっていただろう。川の上ということもあって、ニャウンシュエの街の中で、この橋の上だけが別種の心地よい空気が流れているようだった。


 あの時、僕は陽の当らない北側の欄干にもたれて、ぼんやりと川を見下ろしていた。そのオヤジさんは、長さが三メートルほどの小さな舟に乗って上流から姿を現した。ただ、ゆるやかな流れに身を任せ、漂ってきたと言う表現が正しい。頭には竹でできたサファリ帽のようなものをかぶり、腰にはミャンマー人のシンボルである、ロンジーという腰巻をまとっている。

 

 オヤジさんは橋の上の僕と目が合うと、いきなり右手で手招きを始め、同時に、左手の人差し指を天に向かって勢い良く突き上げた。僕に何かをアピールしているようだ。彼は明らかに真剣なのだが、その仕種が余りにもちんちくりんな風情なので、僕は橋の上で思わず吹き出してしまった。オヤジの舟は、そのまま橋の下をくぐって、一度視界から消えた。僕も急いで川下側の欄干に移動すると、再び橋の下から現れた彼は、しっかりと向きを変えて、やはり僕に向かって同じ姿勢でアピールしている。


 今日はどうせたいした予定もないし、あのオヤジさんの相手をするのも悪くないだろう。


 僕はそう思って、橋の川下側のたもとへと降りて行った。オヤジさんは自分で誘っておきながら、意外といった様子で、慌てて舟を岸に寄せてきた。そして、再び人差し指を天に向かって突き上げた。この手のジェスチャーは、たいてい何かの料金交渉と相場が決まっている。僕は山を張って、財布の裏ポケットに折り畳んで入れてあった小額のドル紙幣から、一枚の疲れたワシントンを取り出し、彼にちらつかせるように示してみた。どうやらビンゴのようだ。オヤジさんは満面の笑みで頷き、早交渉成立といった様子で舟の中にスペースをつくって、ここに座れと僕に指示を出した。


 この小さな舟で、しばしのクルージングということは分かった。ただ、時間やコースについては何も決めていないのだ。後で、それがトラブルの原因になったり、料金をボラれるというケースも充分に有り得るだろう。かといって、言葉が通じるような雰囲気ではない。少し悩みはしたが、結局、僕はオヤジさんの舟に乗ることにした。考えてみれば、ドル紙幣をちらつかせて、思わせぶりな行動をとったという責任はこちらにもある。特に悪気はなかったが、端から見れば随分浅ましい行為に見えたかも知れない。ここは一つ彼に全てを任せて、地元の空気にどっぷりと浸ってみようと、僕は腹をくくった。


 僕は小舟の中央から、やや前よりに座り、オヤジさんは最後尾で櫓を漕いだ。舟はひとまず橋を離れ、流れに沿って静かに川を下っていった。船べりが極端に低いので舟が進んでいくと、水面を座ったまま滑走しているような錯覚を起こした。


 次第に川幅が広がり、流れが緩やかになると、彼はいきなり立ち上がってロンジーをたくし上げると、それまで手に持っていた櫓を自分の左足に器用にからめ付けて、片足の力だけで櫓を漕ぎ始めた。舟の最後尾に右足で一本立ちし、左足で櫓を漕ぐオヤジさんの異様だが勇ましい姿には、先ほどまでのちんちくりんな印象は微塵もなかった。インレー湖を中心に分布するマイノリティーであるインダー族が、こういう変わった舟の漕ぎ方をするとガイドの本には書かれていたが、彼も恐らく、そのインダー族なのだろう。その左足の力で舟は一気にスピードを増し、船べりでは、川の水面がサラサラと音をたてながら後方へと過ぎていった。


 僕はこの時、舟は間違いなくインレー湖に出るだろうと確信していた。しかし、その意に反して、オヤジさんは途中で、舟を運河のような小さな支流に滑り込ませていった。少し期待外れだったが、ここは彼にお任せなので仕方がない。


 辺りの風景は一変し、僕たちの舟はいつの間にやら、迷路のような水郷地帯に入り込んでいった。所々に竹などで造られた高床式の水上家屋が点在し、地元の人々のささやかな暮らしぶりが垣間見えた。洗濯をする女性、沐浴をする人、川に飛び込んで遊ぶ子供たち、舟を店にして商売をしている人もいる。バケツに二本のヒモを付けて、反対方向に引っ張りながら、川から田んぼへ器用に水を汲み入れている母と子の姿も印象的だ。ここでは川が生活の全てを支えているのだろう。


 僕たちは最初に、お堂が崩れて中の巨大な本尊が外に露出しているお寺に行き、その後、オヤジさんの親戚らしき農家と家内制の葉巻き煙草工場を見て回った。彼は会う人全てが顔見知りといった様子で、行く先々で会話が弾んでいた。何を話しているのかはっきりとは分からないが、僕が日本人の旅行者であることを説明しているのか、相手の人たちは皆一様に、物珍しそうな眼で僕のことを見ていた。こちらも会釈程度の挨拶をするが、どうも皆反応がぎこちない。人見知りしていると言うよりは明らかに外国人に慣れておらず、対応に困っているといった感じだった。


 日常的に外国人に会うことなどほとんどないのだろう。最後に訪れた葉巻き工場では、写真を撮ろうとカメラを向けたお婆ちゃんが緊張し過ぎたのか、お盆に山盛りになった煙草を床にぶちまけてしまった。悪いことをしたが、かなりのオーバーリアクションだった。


 ところで、他の国であったなら、この手の家内制工場を訪れた場合、たいていそこで作っているものを市場より安くするから買わないかと、向こうから声を掛けてくるのがお決まりのパターンなのだ。例えば地元のミニツアーや、乗り物の運転手に連れていかれる工場やお店は十中八九そういうところだ。ツアーを企画した旅行会社や、運転手に売り上げの数パーセントがマージンとして返るシステムになっていることが多く、うんざりさせられることが実際によくある。しかし、この葉巻き工場ではそうしたうさん臭い雰囲気が一切なく、働いている人たちは、ただ一途に、自分の職務をこなし続けていた。オヤジさんもマージンをとる意図など、さらさらないように見えた。外国人の殆ど訪れないこのインレー湖の農村地帯では、商売のあざとい方程式のようなものが、まだ確立されていないのだろう。


 そこに住む人々は皆無垢で、経済的にも精神的にも、自給自足しているような空気が流れていた。僕はその雰囲気を心地良いと思う反面、何か犯してはいけない聖域に、土足で踏み込んでいるような後ろめたさを感じ始めていた。


 舟は両側に田んぼが広がる、見通しの良い水路に出た。遥か前方に、出発地点の屋根付きの橋らしきものが見えている。どういうコースをたどってきたのかイメージできないが、戻って来ていることは事実のようだ。やはり、本日のインレー湖はお預けになりそうだった。


 やがて、進行方向左手の水の無い田んぼに、十人くらいの男たちが車座になって一服しているのが見えた。田おこしの最中なのだろう。彼らの周囲には、それぞれの鍬が地面に突き立てられている。水牛などが近くにいないので人力だけで頑張っているようだ。オヤジさんがそちらに向かって大声で叫ぶと、輪の中から一人の青年が舟に向かって近付いてきた。皆そうだろうが素足のままで、着ている服は泥だらけだ。歳は僕と同じくらいで二十代半ばといったところだろうか?青年はオヤジと二三言葉を交わすと、目で僕に関する説明を求めた。オヤジが「ジャッパン」と簡潔に答えると、今までの人たちと同じように、青年はしげしげと物珍しそうに僕のことを眺め始めた。ただ、彼が他と違っていたのは、その後、我に返った様子で右手の泥をロンジーで拭い、片足をわざわざ水路に突っ込んでまで、舟の上の僕に握手を求めてきたことだった。大した意味はなさそうだったが、青年の方も、同じ年頃の僕にそれなりの何かを感じていたのかも知れなかった。僕も構えていたカメラを降ろし、それに応えた。泥がしみ込んでヤスリのようにザラついた手は、男が僕とは全く違った種類の人生を送ってきたことを暗示していた。 一服が終わったのだろう。車座の一団は方々に散らばり、鍬を手に、思い思いに土と格闘し始めた。青年もオヤジさんと僕に目配せして、小走りで彼らのもとへ戻って行った。


 田んぼの水路から川へ出ると、そこはもう屋根付きの橋の数十メートル上流の辺りだった。橋のたもとにある吹き抜けの小さなあばら屋で僕は舟を降りた。中には彼の奥さんと小さな男の子がいて、奥さんが入れたてのお茶をご馳走してくれた。


 僕は最初の約束通り、疲れたワシントンを一枚オヤジに手渡し、その後で、これは奥さんと息子さんとお茶のお礼にと、もう一枚ワシントンを差し出した。二枚目を受け取ることをオヤジさんはためらったが、僕は無理にそれを収めさせた。彼はこちらが恥ずかしくなるほど深々と頭を下げて、二枚目のワシントンを有り難そうに懐にしまった。僕は彼らの写真を撮り、それを送ることを約束して、あばら屋を離れた。

 

 今の時間、あばら屋のあった辺りは真っ暗で、一つの灯も見えない。常時あそこで生活しているというわけではなく、他にちゃんとした家があるのだろうか?僕の携帯ノートには写真を送るためにオヤジさんに書かせた住所があるが、それは本当に郵便物が届くかどうか不安になるくらいシンプルなものだった。ここに住む人たちにとっては、厳密な住所など、さほど意味の無いものなのかも知れない。


 それにしても、格安の船旅だった。三時間余りの人力のクルージングとはいえ、それが日本における缶ジュース一本の値段や、銀行のATMの手数料とほぼ等価なのだ。この金銭価値の強烈なギャップの中には、この世の中で匙を投げられて久しい根元的な多くの問題が収斂されているような気がしてならなかった。僕たちはそれらの問題を依然放置したまま前に進んでいけると、都合の良い幻想を抱いているだけではないのだろうか。


 僕は星空の下、川向こうに広がる聖域が、恐らく近いうちに聖域でなくなることを予感しながら、歪んだ竹の窓を閉じた。


 外国人旅行者を受け入れ始めたこの国の決断が、これらの観光地周辺の社会に大きな変化をもたらすであろうことは容易に想像ができた。その変化の是非を一概に問うことは難しいが、僕たち旅行者が、そこに住む人たちの人生を、ほぼ一方的に翻弄していることは紛れもない事実だった。スコットランドの大男に、自由に旅ができるようになって良かったと思うだろう?と尋ねられた時、言葉にならなかったが、僕が彼に言いたかったのはそういうことだった。でも僕はそんな大口を叩けるほど思慮深い旅をしている人間ではなかった。現に僕は昼間、カメラという道具とワシントンのドル札で、人々の生活に充分すぎるほどの揺さぶりをかけてきたばかりだった。その僕に一体何を言う資格があるというのだろうか? 


 閉めた窓の内側に、いつの間にか大きさが十センチほどの巨大な蛾が羽を小刻みに振わせながらとまっていた。羽から鱗粉をまき散らし、眼にはオレンジ色の淡い光を宿している。こいつを刺激したら一騒動だ。僕は静かに部屋の灯を消し、そっとベッドに転がり込んだ。明日はインレー湖へのボートを予約しているので、普段より早起きしなくてはいけない。猫跳寺での大男との再会を祈って目を閉じた。遠くの方で舟の警笛が鳴るような音を聞きながら僕は眠りに落ちていった。




 翌朝、目覚まし時計が鳴る前に寒さで目が開いた。ここは高地で、湖の近くなのだ。早朝の気温は、昼間の猛暑からは想像できないくらい低くなる。昨夜の蛾はどこへ行ったのか、まるっきり姿が見えない。ベッドの下にでも張り付いているのだろうか?


 一階のロビーのようなところで、無料サービスの朝食をとる。小さな食パン二切れとコーヒーだけのシンプルなものだ。


 その後、僕は徒歩で昨日の夕方、ボートを予約した旅行代理店へ向かった。陽はすでに上がっているが、Tシャツ一枚ではやはり肌寒い。宿の前の川沿いの道を真っ直ぐ下ったところに、その代理店はある。店先では、昨日受付をしてくれた若女将が出迎えてくれ、近くの船着場まで僕を案内してくれた。ボートはすでに、エンジンのアイドリングを始めていて、いつでも出発できるといった様子だ。今日の客は僕一人ということだった。


「それじゃあ、今日は丸っきり赤字ですね?」


 僕がそう尋ねると、若女将はケラケラと笑いながら、「そんなことはないよ」と頭を振った。


 若いくせに猫背の船頭が目で合図したので、僕は桟橋からボートに飛び降りた。縦向けに五六人は楽に座れそうな、細長いボートだ。エンジンの排気ガスが鼻に付いたが、僕は一番後ろ側の席に腰を下ろした。走り出せば問題はないし、その方が船頭も都合が好いだろう。振り向くと、船頭は背中を丸めたまま、スロットルレバーに手を掛けた。ボートが桟橋を離れ動き出す。


 いざ出発と思いきや、エンジンが全開にならないうちに、ボートは国営旅行社のオフィスに立ち寄った。湖への入域料として、ここで三ドルを国に納めるのだ。やはりここは聖域と呼ぶにふさわしい場所なのだろう。領収書を切ってもらい、もう一度仕切り直しだ。


 ボートは白波を立てて、全速で湖を目指した。当り前の話だが、インダー族のオヤジの足漕ぎ舟とは比較にならない速さだ。ただでさえ肌寒いのに、風で気化熱を奪われて、尋常な寒さではない。僕は身震いしながら、この旅の途中で上着を手放してしまったことを、改めて後悔していた。


 それはまだ、中部の古都マンダレーにいた時のことだった。泊っていた宿の従業員の青年が、僕の上着と新品のロンジーを交換してくれとしつこく言い寄るので、ついそれを聞き入れてしまったのだ。あの時、青年はもっともらしい顔でこう力説した。


「この常夏の国で、そんな大袈裟な上着など必要ないし、荷物になるだけだ」


 確かに、ミャンマーに入って以来、僕は連日猛烈な暑さの中で旅を続けていた。それは同じ熱帯のタイやベトナム、マレーシアなどとは、全く違った種類の危険な暑さだった。それに荷物を少しでも減らしたいという欲求は、ただでさえ、かさ張るカメラやフィルムを持ち歩かなければならない僕の中に、常に存在していたのだ。そして、ロンジーは良い土産になるだろう。


 絶妙なポイントをつかれて、僕はたいして迷うこともなく、北朝鮮製のパイロットジャンパーを、彼の差し出す綿のロンジーと交換してしまったのだ。青年の言うことは正しいと、僕はその時、本気で信じていたのだ。


 だまされたことにようやく気が付いたのは、マンダレーから遺跡の街パガンへ、イラワジ川を半日かけて下る船の上だった。僕はそこで、川の上には、陸地とは全く違った空気が流れていることを、生まれて初めて、肌で実感した。


 日中はさほどでもないが、朝晩の冷え込みは、けっこう馬鹿にならない。第一、船上のデッキにすし詰めになっているミャンマー人たちは、皆厚着していたし、中にはニット帽や首巻までしてる人もいた。そして、このインレー湖はさらに、海抜八百メートルを超える高地にあるのだ。熱帯とは言え、寒くならないわけがないのだ。


 僕は寒さに堪えきれず、イラワジ川を下る舟のデッキでしていたのと同じように、カメラバッグからロンジーを取り出して、筒状のそれを、首から腰にかけてスッポリと被ってみた。事情を知らない船頭は、無表情だが良いアイデアだと言いたげに、僕に向けて親指を立てた。


 僕は苦笑して、彼から黄褐色の川面へと眼をそらした。そもそも、本当に必要ないものを、相手が欲しがるわけがない。冷静に考えれば、直ぐに分かることだった。代わりに手に入れたロンジーなど、ペラペラのただの布切れだ。こうして被っていても隙間風だらけで、たいして防寒の役には立っていない。しょせんは腰巻だ。旅慣れたつもりでいても、この程度のことで、コロリと騙されてしまうのだから、何とも情けない話だ。ついに、下腹の辺りがキリキリと痛くなってきた。あれほど疎ましく思っていた昼間の暑さが恋しくて仕方ない。


 川との境目が判然としないまま、ボートは湖に出たようだった。ただ、驚いたことに、いつの間にか目の前の水面がきれいに透き通っている。腹痛に気を取られて変化の様子が分からなかったが、先ほどまで走っていた川とは、明らかに水質が違うようだ。


 僕も東南アジア一帯を広く旅している方だが、これほど透明度の高い湖を見たのはこれが初めてだった。東南アジアの湖沼や河川は常識的に、どうしても黄褐色のイメージしかない。道端の水溜まりですらそうなのだから、水面下の世界がどうなっているか?などと思いを馳せることは、まずあり得ない。とても新鮮な光景だ。


 前方に舟の一団が見え、僕たちのボートは減速して、そこに近づいて行った。どうやら、インダー族の漁場に着いたようだ。七艘の小さな漁舟が、湖面のある一点を囲い込むようにして集まっている。一種の追い込み漁なのだろう。昨日のオヤジさんのように片足で器用に櫓を操りながら湖を覗き込み、舟に積まれた筒状の、骨組みが竹でできた大きな網を、慎重に水中に突き刺すように沈めていく。漁師たちには湖底に潜む魚の姿が見えているのだろうか?


 猫背の船頭は漁に配慮して、エンジンを切り、ボートは惰力だけで漁舟の周りを回り始めた。スピードが落ちると、僕の目にも水中の藻類やそれにまとわり付く小魚の影がはっきりと見て取れた。この透明度なら、目視で魚を追うことも充分可能かも知れない。


 気が付くと、漁舟団の周りを僕たちと同じように、観光客を乗せたエンジン付きのボートが何艘も取り囲んで漁を見物している。僕は反射的にスコットランドの大男が居ないか、眼を皿にして辺りを見回した。しかし、その中に、肩から水色の小さなリュックを下げた彼の姿はなかった。心なしか、乗っている観光客は、いかにも優雅な旅をしていそうな欧米人のお年寄りカップルが多いようだった。


 一通りの漁が終わると、ボートは一路、湖畔のイワマという街を目指して走り始めた。途中、植物の生い茂る大小様々な島がいくつもあって、ボートはその間を縫うように進んでいった。猫背の船頭の話では、それらは厳密に言うと陸地ではなく、植物でできた浮島なのだそうだ。そして、野生の草木に見えていたのは、全て人の手で植えられた野菜や果物であるということだった。なるほど、少し注意深く見れば、かなり手入れが行き届いており、トマトのような実も確認できる。天然の水耕栽培といったところだろうか。


 次第に陽は高くなり、湖の上も一転して暑さを感じるようになってきた。お陰で腹痛も、かなり和らいできた。頂きが黄金色に輝くパゴダ(仏塔)が眼に入る。イワマに着いたようだ。水上マーケットで有名な街らしいが、市は湖周辺を決まったサイクルで巡回しているらしく、今日は該当日ではないと見え、舟の数も少なく、のんびりとした空気が漂っている。

 運河に入ると、観光客に売るための土産物を積んだ小舟と何度もすれ違うが、余り商売熱心ではないらしく、こちらに声を掛けてくる気配すらない。呑気なものだ。


 僕はパゴダにほど近い船着場に上陸した。白い漆喰の地面に立つと、照り返しのせいか、一瞬目眩がした。猫背の船頭は、僕に目の前のパゴダとその一階部分にあるマーケットを見物したら、どこでもいいから昼食を食べて、二時間後までに、ここに戻って来るようにと、簡潔に指示を出した。


 彼は二時間もの間、この日差しを遮るものが何もない船着場でずっと僕のことを待ち続けるのだろうか。お代は払うから、一緒に昼食を食べないか?と僕は誘いをかけてみたが、彼はボートのこともあるし、待つのも仕事のうちだからと、事も無げに答えた。必要なこと以外は口にしたがらない、クールなタイプのようだ。それならばと、僕は近くの屋台で冷えた缶ジュースを一本買って、船着場に戻り、ボートの上の船頭にそれを手渡した。感情を余り表に出さない彼だったが、珍しく驚きを交えた笑顔でそれを受け取った。


 パゴダとマーケットの見物を適当に済ませた後、僕は運河に面した、いかにも観光客専用らしい、西洋風オープンスタイルのレストランで昼食をとった。客も少なかったので、一番川に近いテラスの席をとり、そこでオレンジジュースを飲みながら、今回はビーフのフライドライスを食べることにした。相も変わらず予想通りの味がする無難な料理だった。冒険心の欠片もない選択は、僕のこれまでの人生を暗示しているかのようで、そう考えるとうんざりしたが、今は料理より大事な目的があってこのレストランに入ったのだ。


 この川沿いのテラス席から眺めていると、湖から運河を伝って街に入ってくる殆どの舟がチェックできるのだ。そして、対岸には、ちょうど僕が降りた船着場もあり、見ていると、ほぼ全ての観光客は、そこからイワマの街に上陸しているようだった。ここに居れば、まず、あの巨体を見逃すことはないだろう。


 僕はなるべく時間を稼ぐため、チビチビとフライドライスを口へ運んだ。そもそも、今朝の冷え込みでお腹もかなり緩んでいるはずだった。ゆっくり食べるに越したことはない。そのうち必ず、スコットランドの大男はここへやって来るに違いないのだ。


 早く彼に会いたい。


 意識の中で、はっきりと、そう願っているにもかかわらず、何故か僕の視線は、対岸の船着場の、ある一点に釘付けになっていた。それは炎天下のボートの上で、身じろぎもせずに座って、僕のことを待ち続ける船頭の姿だった。とにかく、本物の猫など問題にならないほどの、見事なまでの猫背っぷりだった。その洗練された曲線美は側にいる時よりも、こうして遠くから眺めている方が、より一層印象深く眼に焼き付いた。彼は猛烈な日差しに身をさらし、ボートの中ほどに座ったまま、じっと虚空を凝視し続けていた。そして、ただならぬ怪しいオーラを彼は発していた。


 風変わりな奴だ。それにしても、彼には悪いことをしていると僕は思った。早めに昼食を切り上げて舟に戻り、次の目的地に進むことは、やろうと思えば可能なことだった。しかし、僕はいつ来るとも知れない一人の男を待つために、船頭に与えられた二時間という枠を、目一杯使おうとしていた。時計の針は、すでに残り三十分を切っている。もしこのまま大男が姿を現さなければ、船頭は無意味に身を焼かれ続け、実に不毛な時間を過ごしたことになる。


 我ながら残酷な話だった。僕は何となく、ばつが悪くなって、意識的に猫背の船頭から視線を外した。時間だけが不毛の欠片になるべく、刻一刻と過ぎ去っていく。僕は船着場の向こう側にそびえる、先ほど訪れたパゴダに眼を遣った。真昼の危険過ぎる日差しを受け、その頂きは眼を細めなければ、見ていられないほど眩しく輝いている。


 僕は思った。このミャンマーに入国して以来、一体どれだけのパゴダを見て回ったことだろう。まさに僕は、にわか巡礼者のごとき勢いで、毎日のように、行く先々でパゴダを訪れていた。旅も中頃を過ぎると、もはや、その名称や枝葉の知識などは、どうでもよくなり、目の前にパゴダがあれば、とりあえず、履いているサンダルを脱いで、黙ってその門をくぐるという旅のスタイルを、僕は自ら会得していた。


 どんなに小さな町や村を訪れても、人々の暮しがある限り、必ず、そこには白や黄金色に輝く大小様々なパゴダが存在していた。どこのパゴダも手入れが行き届いており、塔や本尊は、たいてい金箔が、これでもかと言わんばかりに張り巡らされていた。これだけのものを維持、管理していくだけのお金は、一体どこから発生しているのだろうか?僕にとってそれは純粋な疑問だったが、この国の事情に詳しい日本人旅行者の話によると、その一切は、地元に住む人たちの寄付やお布施で賄われているということだった。


 なるほど、どこのパゴダを訪れても、人々の祈る姿は絶えることがなく、境内のあちこちにある賽銭箱はミャンマー通貨のチャット紙幣が、いつもスシ詰めになっていた。宗教なのだから、当り前と言ってしまえばそこまでだが、その当り前の答に、僕はある種の戸惑いを感じていた。


 見ての通り、この国に住む人たちの生活水準は決して高いとは言えず、大半の人たちは山野や海辺で、質素な生活を強いられている。にもかかわらず、国中のパゴダは彼らの糧の一部によって、日々光り輝いているのだ。これほどまでに、仏教が広く従順に愛されている国を、僕は他に知らなかった。この国に比べれば、日本における宗教など、子供だましに思えてくる。


 僕が感じる聖域というものを裏付けている最大の根拠は、きっとパゴダを輝かせている、この国の人たちの無垢で切なる想いなのだ。そして今、長い歴史の中で、宗教と風土によってつくりあげられたその聖域に、僕たち観光客は土足で足を踏み入れ、意志とは無関係に、その完結した世界にクサビを打ち込もうとしているのだ。翻弄する側の者と、される側の者。その渦中にスコットランドの大男、インダーのオヤジと聖域に住む人たち、猫背の船頭、そして間違い無く僕がいるのだ。


 色々と考え事をしているうちに、フライドライスの皿は空になり、約束の時間が目の前に迫った。結局、大男がこの街に姿を現すことはなく、僕は不毛な時間の欠片をテラス席に残したまま、船着場の船頭のもとへ急いだ。




 ボートはイワマの街の喧噪を離れ、静かな水郷地帯へ入っていった。


 小さな村に上陸し、次は機織工場を見物するようだ。水辺の田舎の風景から、タントタンタンという機織機の音が心地よく耳に響いてくる。観光客の姿がいくつか見られることを除けば、昨日の葉巻工場とだいたい似通った雰囲気だ。従業員は無駄口一つ叩かず、静かに機械に向き合って職務を全うしている。ガイドや、セールスマンらしき人の姿もなく、僕はただ、見学の順路に沿って工場の中を歩くだけだった。ここで作っているものが、ロンジー用の反物であるということ以外、たいした発見もなく、もう少し見学者とのコミュニケーションがあってもいいのではないかと思えてくる。退屈で仕方ないが、きっかけというものがなかなか見つからない。何かを買いたいと申し出れば話は簡単だが、品物がロンジーだけでは、今一つ乗り気になれないし、僕のカメラバッグの中には、北朝鮮のパイロットジャンパーとトレードで手に入れた例のロンジーがすでに存在していた。


 どうしようかと思っていたその時、きっかけは思わぬ方角からやって来た。突然、何の前触れもなく、僕の下腹がキリキリと痛み始めたのだ。日中の暑さで、一時は回復したかに思われた下痢だったが、大腸がその水分を最後まで吸収することができなかったのだろう。もはやリミットは近い。


 僕は誰の目にも分かるくらい、そわそわとし始めた。その異変に気が付いたのだろう。目の前で機を織っていた、いかにも丁稚奉公お〇ん風の少女が僕の方を一瞥した。とっさに視線を合わせ、下腹を両手で押えて腹痛のジェスチャーをしてみた。すると、少女は急に白い歯を見せて笑い出し、機械の中から身を乗り出して、外の川の上に、高床式に突き出ている離れのような小さな建物を指差した。どうやら、あれが厠らしい。

 ありがたい。手短に少女に向かって頭を下げ、僕は背を向けた。クスクスと、複数の笑い声が後ろから聞こえてきた。前後の機械の仲間に少女が情況を説明でもしたのだろう。こっ恥ずかしいが、今それに構っている暇はない。建物の中に飛び込んでズボンを下げ、すぐに発射体勢を整える。


 ふと気になって、穴から下を覗き込んでみると、案の定、今朝の湖面と同じようにかなりの透明度だ。メダカのような小魚の影がちらほらと目に留まる。この清水に汚物をまき散らすことに一瞬罪悪感を覚えたが、一刻の猶予もない。


 みんなそうしているのだと自分に言い聞かせ、下を見ないようにして、一気に下腹の緊張を解き放った。全身に鳥肌が立ち、その後。さわやか過ぎる虚脱感が僕を包み込んだ。形にならない汚物が飛沫となって、水面を叩く音が聞こえる。それを見なければいけない道理は何もなかったが、結末を確かめたくなるのが人間の性というものだ。僕は再び、股の間から下を覗き込んだ。


 するとどうだろう。さっきは数えるほどしかいなかった小魚が、いつの間にか大量の群れを成し、水面近くで僕の汚物を、まるで釣りの撒き餌のように貪り食っているではないか。驚きのあまり、僕の汚物発射口は縮み上がった。


 よく見ると、小魚の群れは一糸乱れぬ動きで実に良く統制がとれており、それは子供の頃に読んだ絵本『ス〇ミー』を彷佛とさせる光景だった。一通り汚物を平らげた小魚たちは皆、一様に水面で口をパクつかせながら、もっと出せよ!と言わんばかりに、僕に向かってアピールしてくる。何百という視線がぼくの発射口に絡みついているのが分かる。しかし、僕の大腸の中に小魚たちに与えられるものは、もう何も残っていなかった。僕が発射口を衣服の中に格納すると、彼らはようやく諦めた様子で編隊を解き、思い思いの方角へと散って行った。眼下には最初と同じ濁り一つない透き通った水面が広がり、辺りに静寂が戻った。


 こういうタイプの厠は、アジアでは決して珍しいものではなく、汚物を魚の餌にするという発想も割と一般的だ。しかし、先刻も触れたように、東南アジアの水辺というものは黄褐色に濁ったイメージしかないため、水面下の世界というものは、あの世と同じくらい分からないものなのだ。これほどクリアに視覚化された食物連鎖の一コマを間近に、しかも自らの汚物で体験できる場所は世界広しといえど、そうあるものではないだろう。これは、そこらのパゴダや機織工場の見物より、よっぽど貴重な体験だ。


 僕は少し得をしたような妙な気分で工場の方へ戻った。心配そうな顔をしたお〇んが機械に掛けた手を動かしたまま、具合はどうだ?と目配せしてくる。僕はもう大丈夫、ありがとうと手まねでそれに応えた。おしんは安心した様子で、再び真顔で機械に向き合った。まだ幼いのに、凛とした横顔が妙に印象的な少女だった。彼女の眼が僕を捉えることは二度となかった。




 ボートは再び、水郷地帯の中をゆっくりと進んだ。


「次はいよいよ猫跳寺だよ・・・」


 すぐ後ろで、猫背の船頭が意味あり気にそう言った。僕が猫跳寺を強く意識していることを、あらかじめ知っていたかのような口振りだ。意表を突かれた形になったが、僕は努めて冷静を装った。この男はやはり、ただ者ではない。


「もう近くまで来ているのかい?」


 猫背の船頭は僕の質問には答えずに、ボートをゆっくりと岸の方へ寄せていった。舟先が砂地に乗り上げたので、僕はそこからボートを降りた。小さな一本道が川にぶつかっているだけの、何の変哲もない場所だ。辺りを見回しても、寺らしき建物はどこにも見当たらない。


「ここから道なりに歩いて行けば、猫跳寺に出るよ。時間のことはいいから、ゆっくり楽しんでおいで」


 イワマの街の時とは打って変わって、時間の制約がないのが反って意味深で気に掛かる。


「僕は猫跳寺の船着場で待っているからね・・・」


 そう言い残すと、猫背の船頭は後ろも振り返らずに、そそくさと、ボートを出して行ってしまった。彼は猫跳寺までボートで行くくせに、何故、客である自分だけが、この猛烈な暑さの中を、こんなところから歩いて行かなければならないのだろう。残された僕は、釈然としない気分でボートを見送った。これはこれでツアーの一つの演出なのだろうか?まぁ、写真家たる者、歩くことを疎んじているようでは、話にならないことも事実だ。ここは気を取り直して前向きに行こう。僕は目の前の一本道を、未だ見ぬ猫跳寺目指して歩き始めた。


 しばらく行くと、道の右手の方で大勢の人間の気配がしてきた。建物の感じからして、どうやら、小学校か何かのようだ。木造の校舎は窓が全開になっていて、道端からも授業の様子が丸見えだ。小さな子どもたちが机に教科書を立てて、先生の言った言葉を皆で復唱している。


 僕は先生の死角になる場所から窓を覗き込んで、カメラを構えた。すると、窓の近くに座っている何人かの子供たちが、いち早く僕を認め、ざわつき始めた。それまで、ぴったりと合っていた復唱のリズムが、微妙にズレていくのが分かる。明らかに原因は僕にあるようだ。教室じゅうが騒ぎになる前に退散しなくてはならない。こちらを見ながらニコニコと笑っている子供たちに焦点を合わせ、シャッターを切った後、小さく手を振って、僕は足早にその場を離れた。


 さらに、道なりに進んで行くが、先ほどから異様に喉が渇く。もちろんこの猛烈な暑さと、危険な日差しのせいだろうが、下痢もしたので少し脱水症状を起こしているのかも知れない。そう考え始めると、何やら意識までが朦朧としてくる。どのくらい歩いただろうか。気が付くと、いつの間にか僕は、湖に面した寺の境内のようなところに迷い込んでいた。近くには船着場があり、何艘かボートが見えるが、先に着いているはずの船頭の姿は見当たらない。どこで油を売っているのだろうか?


 本堂らしき木造の建物が、大きく湖の方にせり出している。こういうのを水上寺院というのだろう。ミャンマーの多くのお寺にありがちなきらびやかなパゴダや派手な装飾がなく、質実なイメージを受ける。とにかく、外は暑すぎた。僕は本能的に危険な日差しを避けるため、逃げるように本堂の軒下へ身を隠した。


 さっそく、いつも寺院へ入る時にするようにサンダルを脱ぎ、屋内へと上がり込んだ。中は薄暗いが、窓や吹き抜けの部分が多く、風通しの良い構造になっている。床は全て熱帯特有の木目のない板張りで、周囲の窓から入ってくる僅かな明かりを帯びて、ほのかに黒光りしている。その上に裸足で立っていると、石や漆喰とは違った、木材独特の冷やかなのに、何故か温もりのある心地よい感触が、足の裏からじんわりと伝わってきた。その、かつて生きていた木の持つ記憶、霊気のようなものが、足から全身へ徐々に行き渡り、暑さと下痢でバテ気味だった僕は生気を取り戻して行った。


 薄暗さに眼が慣れてくると、内部の様子も鮮明になり、奥の方には、まばらだが人影も見えている。跳ねている猫は確認できないが、人の姿を見て安心した僕は、一歩一歩きしむ木の感触を味わいながら、歩みを進めていった。右手には数体のこぢんまりとした本尊らしき仏像が祀られているが、その前で読経する僧や祈りを捧げている参拝者の姿は皆無だった。


 どうもおかしい。


 僕がこれまでに訪れたミャンマーの多くの寺院とは明らかに雰囲気が違う。本尊の対面側の奥は、床板にゴザを敷き詰めた広間になっていて、そこに僧侶や観光客が四つほどのグループをつくって、思い思いに談笑している。それぞれ、床や椅子に腰を下ろし、お茶をすすったりしながら、のんべんだらりとした様子だ。日本で言えば、健康ランドや、スーパー銭湯の休憩用の大広間を思わせる光景だ。


 そう言えば、僕に初めて猫跳寺の存在を教えてくれた日本人の旅行者は、あそこの坊主たちは、日々のお勤めなどそっち退けで、だらだらしながら、猫や観光客と遊んでばかりいると、それはもう、頭から湯気が出そうな勢いで怒っていたのだが、その原因が、こういう雰囲気にあることは容易に想像ができた。


 万事に対して、割といい加減な僕などは、数あるお寺の中に、こんなへんちくりんなお寺が一つくらいあってもいいではないかと、ついつい考えてしまうのだが、彼にはどうしても、それが許せなかったのだろう。彼の職業や、信仰心の度合いを今さら知る術もないが、日本という国において、本当の意味で敬虔な仏教徒というものに、ついぞお目にかかったことのない僕にとっては、彼の怒りの出所の方が、よっぽど異質で捉えがたいもののように思われた。


 とにかく、このお寺は『ファンタスティック』と言うよりは、むしろ『まったり』だなと僕は思った。日本語の『まったり』を英語ではどう表現するのだろうか?『リラックス』という言葉が妥当な気もするが、どうもそれでは説明し切れていないような気もする。僕の浅はかな語学力では正確な変換は不可能なようだ。いずれにせよ、それを話すべき相手の大男は、残念ながらこの広間にも存在しなかった。


 僕はそちらの広間の方には行かず、本尊の前を横切って、その先にある、外部へ続く渡り廊下のたもとへ向かった。何故なら、そこに、このお寺の主人公であるはずの一匹の猫の姿があったからだ。その薄茶の、どこにでもいそうな猫は渡り廊下の入口に、ちょこんと座って、静かに何かを待っている様子だった。渡り廊下の先には厠を思わせるブースが三つ並んでいる。ちょうど、建物が湖にせり出している部分なので、僕がロンジーの織物工場で入ったのと同じ天然の食物連鎖タイプの厠なのだろう。


 背中を丸めて、虚空を見つめながら佇む猫の姿に、僕はイワマの街の船着場で待ち続けていた猫背の船頭の姿を、無意識のうちに重ねていた。あの男は、もしかすると猫の化身なのかも知れない。だから、あの男は人の心理を巧みに読み取ったりすることができるのだ。


 そんなあり得ない想像を巡らしているうちに、厠の一番奥のブースの扉がドカンと開き、中から恰幅の良い僧侶が姿を現した。彼はズカズカと渡り廊下を歩いて来ると、猫の横に立ち止まり、右手にぶら下げた数珠で猫をあやし始めた。仲睦まじい光景だ。


 これはもしかすると、噂の猫ジャンプの前兆ではないか?


 僕は緊張しながらカメラに手を掛けた。しかし、残念ながら事が終わると、僧侶は再び僕の目の前を横切って、ズカズカと広間の方へ歩いて行ってしまった。その足下を薄茶の猫が、まとわり付きながら駆け抜けて行く。猫らしからぬ、犬並みの懐きっぷりだ。彼らの後ろ姿を見送りながら、僕はそう思った。


 時折、どこかしらの窓から風が入って、渡り廊下の方へ吹き抜けていくのが肌で感じられた。いつの間にか、身体の感覚は暑さから涼しさへと、再びシフトしている。まるで、舟の上にいるような穏やかな錯覚が僕を包み込んでいた。そう、ここは水上寺院なのだ。その風のいたずらか、近くにあった部屋の扉が、鈍い音をたてて内側に半開きになった。僕は何故か、吸い寄せられるようにその扉に歩み寄り、ノックもせぬままノブに手を掛けた。


 何の根拠も無かったが、中に人が居ないことを前提に、僕は内開きの扉を静かに全開にした。開けている途中で、しまったと思ったが、その時はすでに遅すぎた。僕の目の前には、何やら床で布団の手入れをしている一人の僧侶の姿があった。


「ごめんなさい。中に人が居るとは知らなかったので・・・」


 僕はとりあえず自分の非礼を詫びた。


「いいんだよ。気にしないで・・・」


 僧侶は一瞬、上目遣いで僕を見ると、再び視線を布団に戻して、手を動かし始めた。


「君は、どこの国からやって来たんだい?」


「日本です・・・」


 僕は彼の質問に答ながら、部屋の中を見回した。寝台にデッキチェア、そして私物の入った戸棚なども揃っていて、ここが彼のプライベートルームであることは、ほぼ明らかだった。我ながら失礼なことをしたものだ。


「君は日本で何の仕事をしているの?」


「えっと、学生です」


 僕はとっさに嘘をついた。というより、それは条件反射に近いものだった。アジアの国々、特に政情が不安定で入国にビザを必要とするような国で、外国人の旅行者が学生の仮面を被ることは一番無難で安全な行為なのだ。旅慣れた人ならたいていそうしているし、僕にとっても、それは旅の掟のようなものだった。しかし、嘘はしょせん嘘でしかない。学生などとうの昔に卒業しているのだ。何となく後味が悪い。


「そうなんだ。それで、何の勉強をしているんだい?」


 彼は畳みかけて質問してきた。


「写真です・・・」


 自尊心が少しだけ頭をもたげようとしたその時、いきなり僧侶の身体の陰から、これまた薄茶の、痩せた子猫が飛び出して、布団の辺りを一回りした後、壁際の戸棚の中を物色し始めた。部屋全体で、絵になる風景が目の前にある。カメラを持つ手に力が入った。しかし、ノックもせずに部屋を覗いた上に、ろくに話もしないうちにいきなり写真では、いくら何でも図々しくはないか?そんな分別の良い自制心が、僕の撮りたいという欲望を羽交い締めにした。写真を撮る立場としては、よくあることなのだが、僕は良識の虜になって完全に行き詰まった。


 その閉塞感を解き放ってくれたのは意外な僧侶の一言だった。


「気にしなくていいんだよ。撮りたければ撮りなさい。だって、君はそのために、わざわざここへやって来たんだろう?」


 彼は布団から目を上げることなく、静かにそう囁いた。


 その通りだった。完全に空気を読まれているのだ。頭の中に、かすかに電気のようなものが走った。僕は生唾を飲み込んで、返事をする代わりにカメラを構え、シャッターを軽く二回押した。ファインダーの中で、湖の上を渡ってきた風が部屋の窓から吹き込んでくるのを僕は感じていた。その風にあおられて、目の前の扉が勢いよく音をたてて閉まった。


 僕は先ほどと同じように、扉のノブに手を掛けた。しかし、何故かこの扉をもう一度開ける意味はもう無いように思われた。僕は手を降ろし、扉越しに小さな声でありがとうと呟き、その場を後にした。




 広間は相変わらず健康ランド的な、まったりとした空気が流れていた。僕はゴザの上に腰を下ろした。少し離れた二つの場所で、ヒッピー風情の青年と、西洋人の老夫婦が、それぞれガイドや、僧侶と和やかに話し込んでいる以外に人影はなく、広間は閑散としていた。


 イワマの街で見た観光客たちは、一体どこへ行ってしまったのだろうか?そして、肝腎のスコットランドの大男は、今どこで何をしているのか?僕はここでもまた彼のことを待ち続け、無為な時間を過ごすことになるのだろうか?それを考えると何だかうんざりとした気分になった。


 よく見れば、少ない人影の周りに、三匹の猫の姿も見える。どいつも観光客とじゃれたり、寝そべったりして、人間以上にまったりムードだ。寺の通称どおり跳ねている猫などどこにも居ない。大男が言ったように堂内で四六時中、猫が飛び跳ねている光景を真剣に期待していたわけではないが、今見る限りでは猫寝寺とか、猫まったり寺などという名称の方がふさわしいような気がしてくる。この様子を目の前にした大男の反応が見てみたいものだ。


 しかしながら、風土的に野良犬が主流の東南アジアにおいて、多くの猫がお寺のような場所で保護されている光景はそうあるものではなく、それだけでも一見の価値はある。僕の目の前の床には窓から差し込んだ光がつくった小さな日溜りがあり、そこで暖をとるように、尾ッポがシマ模様の猫がうたた寝をしていた。何やら、輪っかに柄のついたものを枕にしている。僕がカメラを向けても一向に動じる気配がない。


「お前は跳ねないのかい?」


 そう声を掛けても、両耳がピクリッと反応しただけで相手にしてくれない。それでも、猫が本来持つ無愛想さに触れて、僕はある意味ホッとした。少し寂しい気はするが、その連れない態度は猫が本当にリラックスしていることの裏返しでもあるからだ。人差し指で顎の下を軽く撫でると、シマシマ尾ッポは微かにグルッ、グルッと喉を鳴らした。


 するとそれを見ていたのか、どこからともなく一人の僧侶が僕たちのところへやって来た。ガタイは良いが、厠と小部屋で会ったのとは違う人のようだ。彼は僕に向かって軽く会釈をすると、両手を顔の前に上げてカメラを構える格好をした。写真を撮れとでも言いたいのだろうか?


 次に、彼は寝ているシマシマ尾ッポの横にしゃがみ込んで、枕になっていた柄付きの輪っかを右手で拾い上げると、そのまましゃがんだ姿勢でシマシマ尾ッポの斜め上空に、その輪っかを固定した。その高さは床から六十センチくらいあるだろうか。安眠を妨げられたシマシマ尾ッポだったが、不思議と嫌な顔はせず、すでに猫背座りで斜め上空の輪っかを真剣な眼で見据えている。


 暗い堂内だが、幸いここだけは窓から差し込む太陽の光が舞台のスポットライトのように床面を輝かせていた。これだけの明るさがあれば、写真の露光量としては充分だ。僕が中腰になりカメラを構えたのとほぼ同時に、シマシマ尾ッポは四本の足で立ち上がり、次の瞬間、音も立てずに宙に向かって飛び跳ねた。カメラの連写音が静かな堂内に響いた。シマシマ尾ッポの身体は宙で美しい放物線を描き、その頂点で直径十五センチほどの輪っかを見事にくぐり抜け、板を軽くノックするような音を残して床面に着地した。


 連写機能を搭載するに至ったカメラの進歩には、感謝せずにはいられない。この間僕は三回シャッターを切ったが、手巻のカメラなら恐らく、一回切るのが精一杯だろう。僧侶は僕と眼が合うと、ニヤリと愛嬌のある笑顔で人差し指を立て、もう一回やるか?と眼で尋ねてきた。


「ありがとう。もう充分です」


 僕が丁重に断わりを入れると、彼は満足気に右手に輪っかをもったまま、新しく広間に入って来た観光客の方へ歩いて行ってしまった。一仕事終えたシマシマ尾ッポと供にその後ろ姿を見送った後、僕は再びゴザの上に腰を下ろした。


「ご苦労様、ここは確かに猫跳寺だよ」


 そう言って、座っている丸い背中を撫でてやると、シマシマ尾ッポは先ほどよりやや強く、グルッ、グルッと喉を鳴らし、最初と同じように日溜まりの中に寝転がって、まるで何ごとも無かったように眼を閉じた。


 見ようによっては、ファンタスティックと言えなくもないなぁ・・・。


 僕は昨夜のスコットランドの大男を瞼に思い浮かべながら、そんな感慨に耽った。


 目の前の一件がきっかけになったのか、広間のあちらこちらで猫跳ショーが始まった。観光客の数もさっきより随分増えているようだ。茶トラと三毛の二匹が、僧侶と一緒に場所を変えながら孤軍奮闘している。猫が放物線を描き、宙に据えられた輪っかをくぐる度に小さなどよめきが聞こえてきた。


 目の前で見せられると、ファンタスティックに思えた光景も、こんな風に遠目に何度も眺めていると、いつの間にか陳腐な動物ショーに見えてくる。ただ、当事者である猫の目つきだけはシマシマ尾ッポもそうだったが、真剣そのものだ。彼らの跳躍は迷いや躊躇がなく、あまりに率直だった。


 彼らは、この跳ねて輪っかをくぐるという行為が、この寺で雨露をしのぎ、外敵から保護され、餌を与えられるという待遇と等価であることを正しく心で理解しているのだろうか?それとも、ラッパの音を聞いて塹壕から飛び出す兵隊のように、条件反射で跳ねるようになるまで、繰り返し厳しい訓練を僧侶たちから受けてきたのだろうか?興味は尽きないが、残念ながら、それは僕の知るところではない。


 そんな健気でいじらしい猫たちの姿を眺めていると、どういう脈絡だろうか、今まで聖域侵犯などと思い悩んでいた自分自身がひどく滑稽に思えてきた。それは決して、問題を途中で投げ出してしまったという意味ではない。ただ、変に良識や罪悪感というものを気にしすぎて、堂々巡りを繰り返している自分がひどく馬鹿らしく思えてきた。


 広間のどこかで猫が跳ねるたび、その思いは増々強くなっていった。猫ですらこれほどタフに生きているこの国で、僕は一体何を思い悩み、心配ばかりしていたのだろうか?


 人生のダイナミズムという点において言うなら、日本という平和な島国で、のっぺりとした平坦な人生を惰性で送ってきた僕よりも、この土地、いやこの国で生きている人たちの方が、はるかにタフで変化に揉まれた生き様を送っているはずだった。僕に、ああだこうだと心配されるほど、彼らは決して柔ではない。むしろ、柔で軟弱なのは僕の方なのだ。振り返ってみれば、今の僕を形作っているはずの過去は、フライドライスのように無難で見通しの利く、情けない選択の連続だったような気がする。こんな僕に気遣われる彼らこそいい迷惑だろう。


 比べてみればいいのだ。僕にあって彼らにないモノ。それは所詮、お金や物質で計れるレベルのものがほとんどだろう。しかし、彼らにあって僕に欠けているモノは、そのダイナミックでタフな人生に裏付けられた未知数レベルのものなのだ。インダーのオヤジさん、泥田の青年、猫背の船頭、お〇ん風の少女、そして、この寺の僧侶や猫たちの中に、僕はその形にならない何かを確かに感じていた。それを知りたくて、それに触れたくて、それをフィルムに焼き付けたくて旅を続けているはずだった。なのに僕は、その目的を見失って、良識や罪悪感という口当たりの良い言葉で、その未知数を無理に割り切ろうとして袋小路に迷い込んでしまったのだろう。


 善意から出たこととはいえ、全く滑稽な話だ。良識や善意に足を取られて自らの行動や視野を狭めてしまうのは昔からの悪い癖だった。物分りのいい大人を演じていたいだけなら、それでも良いかも知れない。しかし、僕にはやらなければいけないことがあった。


 座ったまま、そっと目を閉じた。先ほどの小部屋での光景が瞼の裏側でフラッシュバックする。


「君は写真を撮りに、わざわざここへやって来たんだろう?」


 僧侶にそう言われた時、きっと僕は目が覚めたのだ。


 広間の隅の方で、再び茶トラが跳ねた。西洋のご婦人が黄色い声を上げている。和やかな光景だ。それにしても、本当にスコットランドの大男は今どこで何をしているのだろうか?何かトラブルがあって湖に出ることができなくなったのだろうか?いや、あの男に限って、そんなことは考えられない。もしかすると、あの屋根付きの橋のたもとで、味を占めたインダーのオヤジさんに声を掛けられて、今頃はあの聖域の中を二人でのんびりとクルージングしているのかも知れない。もし、それが本当なら素敵なことだ。大男と小さなオヤジのツーショットは想像するだけでおかしくなってくる。


 僕は考えた。仮に今、大男が隣に居て猫跳ショーを眺めながら僕の考えていた聖域論を聞いたとしたら、どんな反応を示すだろうか?彼はきっとこう言うに違いないだろう。


「君の言っていることは確かに正しいかも知れない。でもね、それは君が心配することではないんだよ。ここは彼らの土地であり、彼らの国なんだ。彼らの道は彼ら自身が選んでいくんだよ。君はそんな彼らの写真を撮るためにこの旅を続けているんだろう?きっと、今の君に必要なのはあの猫たちのように、ためらわずに跳ねることじゃないのかな?」


 入口付近に、新たに四人の観光客の影が見えた。その中に水色の小さなリュックを背負った大男の姿はない。僕は眠っているシマシマ尾ッポの鼻を、軽く人差し指で小突いた。


「のんびり昼寝している暇はなさそうだよ」


 シマシマ尾ッポは、大きなあくびをかきながら、四本の足を同じ方向へ、目一杯伸ばしたが、まだ意識はまどろんでいる様子だった。


「ファンタスティックな思い出ができましたよ・・・」


 僕は心の中で大男にそう語りかけ、床から勢い良く立ち上がった。それに釣られるように、シマシマ尾ッポも眠たそうに身を起こした。僕は広間の真ん中を横切って、まっすぐ入口の方へ歩いた。最初は付いて来るかに見えたシマシマ尾っポも、師匠である例の僧侶を見つけると、一目散に彼の元へと駆けて行った。入口へ向かう僕を気に留める観光客や僧侶は誰一人いなかった。ただ外へ出ようとした時、入口の脇に置いてあった素焼きの壺の中から、まだ客の前で跳ねるには幼すぎる二匹の子猫がキョトンと顔を出して、僕のことを静かに見送ってくれた。猫跳寺の次世代は、間違いなく彼らが担っているのだ。彼らに比べて、僕の背中には一体どれほどのモノが積み重なっているのだろうか?


 軒下から出ると、再び暑さが身体を包み込んだ。涼しかった堂内で、体力はかなり回復したが、喉の渇きだけはどうしようもないようだ。考え事が多くて、飲み物を買うことすら念頭になかったようだ。失敗したなと思いながら僕は湖の方へ向かった。


 船着場には、見覚えのある懐かしいシルエットを持った男が僕のことを待っていた。近づいていく僕に気が付くと、彼はボートの中から何か赤いモノを拾い上げ、こちらに向かってそれを放り投げてきた。とっさに受け取った僕の手の中には、結露で汗をかいたアメリカ生まれの炭酸飲料の缶があった。この男は何でもお見通しのようだ。やはり、僕のかなう相手ではない。


 考え過ぎかもしれないが、彼があの時、僕をボートから降ろして一人で行ってしまったのは、最初からイワマの船着場でのお返しをするための、彼なりの演出だったのだろうか?


「ありがとう。遠慮なく頂くよ」


 今どき、日本では見られなくなった抜き取り式のタブを引き抜いて、吹き出す泡もろとも、炭酸飲料を一気に喉へ流し込んだ。冷えの甘くなった液体が何の抵抗もなく胃袋に向かって食道を流れ落ちていくのが分かった。僕は喉の潤おいと一緒に、猫背の船頭の想いのようなものを強く心に感じていた。それは昨日、聖域で泥田を耕していた青年と握手を交わした時と同じような、心地よい感覚だった。僕の感謝の言葉を軽くいなすように彼は言った。


「今度は随分早かったね。まだ時間はあるけど、もういいのかい?」


 相も変わらず意味ありげな口振りだ。


 僕は一度大きく息を吸い込んで、ゆっくりとそれを吐き出した。


「実はね、友だちをずっと待っていたんだ。でもいいんだ。もう充分過ぎるほど待ったんだから・・・」


 僕は自分自身に言い聞かせるように、そう答えた。全く未練が無かったわけではない。しかし、そのことはスコットランドの大男もきっと理解してくれるだろう。


「何だか疲れているみたいだね。この後いくつか予定はあるけど、お客は君一人だ。好きにすればいいよ・・・」


 確かに僕は疲れていた。正直、早目に宿に帰って、夕食まで一眠りしたいというのが今の一番の望みだった。彼の眼力には脱帽だ。


「じゃあ、ニャウンシュエに戻ってくれるかい?」


 猫背の船頭は黙ったまま頷くと、エンジンに火を入れ、ボートをゆっくりと岸から離していった。


 僕たちと入れ代わるように、一人の西洋人の青年を乗せたボートが船着場に入って来た。長身だがスコットランドの大男よりかなり若く、学生っぽい風情だ。頬がほのかに赤く、まだ少年の面影が残っている。ボートがすれ違う時、彼は出て行く僕にニコリと会釈をして、こう尋ねてきた。


「猫跳寺はどうでしたか?」


 僕は振り返りながら、迷わずに答えた。


「とてもファンタスティックなところでしたよ」


 視界の端の方で猫背の船頭が笑っているのが見えた。ただそれきりの遣り取りだけで、互いに手を振って僕たちは別れた。ボートがスピードに乗ると、湖を渡る午後の風が肌にまとわり付いた汗を瞬く間に飛ばしていった。透き通る奇跡の湖を眺めながら僕は思った。歪んだ部屋で一休みしたら、今夜は川向こうのあのレストランで夕食をとろう。タイガービールを飲み、そして無難なフライドライスではなく、久しぶりにミャンマー料理で冒険するのだ。


 美しい水上寺院はボートがつくる白波の後ろであっという間に点景になっていった。



 その後、旅の中でスコットランドの大男に出会うことは二度となかった。



                        一九九六年 一月 ミャンマー





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫跳寺 @kentaro0520

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ