揚げる音

もくはずし

揚げる音

 ホラー好きの方々は、よく “霊感” に対して憧れを持つ。例に漏れず、私も霊感がある人に対して羨ましいと思っていた。

 しかし、とある事件をきっかけにその考えは改まった。私たちはこの世の存在であり、あの世の存在を認識することはイレギュラーなのだ。そのイレギュラーが日常と重なり合ってしまっては、この世の生活に支障をきたす原因と成り兼ねない。


 一人娘が小学校に上がり、持ち家を購入したことが事の発端だった。

 旦那も私も、新築を買うのはお金が勿体ないと意見が一致したので、中古住宅の購入に至った。不動産屋に相談しに行くと、すぐさま条件の良いところを紹介された。値段も相場より大分安かったので、旦那共々何か欠陥があるのでは?と懐疑的だった。けれども実際に現物を見てみると、写真で見た以上に広く日当たりも悪くなかった。 

 唯一ある文句の付け所といえば、キッチン奥の壁の上に若干の黒ずみがあったことだ。なんでも、前に住んでいた人がボヤ騒ぎを起こしたそうで、それが値段が安い理由だそうだ。 けれどもそこまで目立つものでもないし、旦那も私も特に気にしていなかったので他の物件を見ないまま、殆ど即決で購入してしまった。


 家に住み始めてすぐのことだ。

 「お母さーん、夜ごはんは唐揚げ?」

 小学校に上がったばかりの娘の大好物は唐揚げだ。よくねだってくるが、調理から片づけまでが面倒くさいので、特別なことがある日にしか作ることは無い。

 「違うわよ、野々花。今日は肉じゃが」

 その日はそうなんだ、と言って去って行ったのだった。その日以降、かなりの頻度で、 “今日の夜ご飯は唐揚げ?” と尋ねられるようになった。

 それまでは唐揚げが食べたいときは回りくどいアピールはせず、「唐揚げが食べたい!」と直接訴えかけてきていたので、絡め手を覚えてきたか、位にしか考えていなかった。

 唐揚げがメニューに並ばないことで特段落ち込むこむことも無かった。すこしおかしいなとは思いつつあまり気にしていなかったのだが、あまりにもその質問が続くので訊いてみた。

 「野々花はいつもご飯に唐揚げが出てくる?って言うけど、何でそう思うの?」

 「だって、唐揚げを作ってる音が聞こえたから」

 つまり、その音を聞いて勘違いをしていたそうだ。不思議なのは、私が台所に立っていない時間帯にもその音を聞いていることだ。キッチンを覗いてみると誰も居ず、気付くとその音は止んでいるという。

 流石の私も気味が悪くなり、一人でいるときはなるべくキッチンに立たないようにしていた。


 ある日の午前中、家事の合間にソファで読書をしていると、どこからともなく

 「パチ、パチパチパチパチパチカラカラカラカラカラ」

 という、なにかを揚げているような音が聞こえてきた。事前に話を聞いていた私は冷静に、これが唐揚げと勘違いされる音かと気付いた。

 ところが、いくら探せどその音の正体が分からない。何日もそれが聞こえる度に音源を探るが、音が鳴る場所はおろか鳴りだすタイミング、鳴り止むタイミングまで規則性が見当たらない。外からの音かとも思ったが、音の鳴っている最中に勝手口を明けてみても不思議なことは何もなかった。

 更に、旦那は今まで一度もそんな音は聞いたことが無いらしい。かなり大きい音で、鳴っていれば気が付かないはずが無いのだが、覚えがないという。一人でリビングに居るときだけ聞こえるのかと思えば、野々花と一緒に遊んでいるときに二人して聞こえたこともあった。 

 昔から旦那は霊感というものが致命的に存在せず、深夜の墓地でさえ明かり無しでずかずかと歩いていける神経の持ち主だ。祖父の三回忌、ライターを墓石の上に置きっぱなしにしたと深夜に戻ったときは、流石の私も異様な雰囲気と生温く首筋をなぞる風に足が竦んだものだった。


 不思議なことが続き、この日も野々花がキッチンに来て唐揚げを揚げているか確認しに来た。違うと答えたのだが、その時初めて野々花の目線が私ではなく、私の背後に向いていることに気が付いた。

 「どうしたの、野々花? 何かお手伝いしてくれるの?」

 「ううん、違うの。なんか燃えてるの」

 野々花が指さす方を慌てて振り返るが、火が立っている様子は無かった。真剣な眼差しでキッチン奥の壁を見つめる野々花を、危ないからとリビングから追い出す。見つめていた先が前住居者が残した焦げ跡のある場所ということもあり、この子が見ていていい物じゃない、と勘づいた。

 ホラーや怪談の類に興味があった時期もあり、子供がそういったものを見やすいとの噂は知っていた。なので、食事の時に訊いてみた。

 「野々花、さっきは何を見ていたの?」

 「壁が燃えてたから、見てた」

 「本当に? でも、燃えてなかったよね」

 「うん。でも、私が見たときは本当に燃えてたの。それと、人の顔」

 「人の顔? どんな人?」

 「うーん、よくわかんない。けど、いっぱいあった」

 ゾワっと、背筋を寒気がなぞった。あまりこの話をするのは良くないと思い旦那に相談したところ、魔除けのお札を貼ろうという話になった。

 旦那はこういうものを信じておらず、気分の問題だからと神社で買ってきたお札をその焦げ跡に貼り、これで良いだろうと満足していた。

 実際お札を貼った効果はあったらしく、野々花はそれ以来キッチンに駆け寄ってこなくなったし、揚げ物の音がすると言うことも無くなった。

 ただし、音がしなくなったわけではなく、依然としてあの「パチパチ、カラカラ」という音が聞こえるときがあるのだが、耳を澄まさないと聞こえない程度の音量に抑えられていた。野々花はあまり落ち着いた性格ではなく、リビングに居るときはいつも騒がしいので、小さくなったこの違和感にはそれ以降気付かなかった。

 あれはいったい何だったのかと考えもしたが、特に参考となる情報も無かった。とりわけこの土地に陰惨な歴史があるわけでも無く、何かの跡地だったという情報も手に入らなかった。

 

 それから1か月経ったとある夜、野々花は就寝済みで私と旦那はテレビを見ていた。日曜の夜、バラエティを見て寝床に就くのが習慣になっていたのだが、珍しくこの日はウトウトとテレビの前で舟を漕いでいた。テレビから意識が離れ、眠る前特有の全ての音が遠くに聞こえる現象を愉しんでいると、またあの「カラカラカラ」という揚げ物を揚げているような音が聞こえる。それが気になって、意識が現実に引っ張られる。

 「ねえ、またあの音がするわ。やっぱり不気味よ」

 いつもの通り同情されるだけかと諦め半ばに毒づいたが、返ってきた反応は予想と反していた。

 「本当だ、音するなあ」

 その返答を聞いたとき、完全に目が冴えた。今まで家にいてそんなものは聞いたことが無いと不思議がっていた旦那に、あの音が聞こえるはずがない。

 座布団を蹴り上げキッチンに向かうと案の定、それは現実の事象だった。バチバチと音を上げ、キッチンの奥の壁が燃えている。今にも天井に届きそうな勢いだった。

 「野々花起こして! 消火器! 家燃えてる!」

 旦那に二階から野々花を抱えて来てもらう間、私は買ったばかりの消火器の使用方法を何とか把握し、噴出孔を火に向けた。勢いよく火元に向かって放たれる白い粉末に、炎は勢いを弱めていった。

 「騙されなかったか」

 しゃがれた男性の声だった。一瞬の事なのに、頭の中を這いずり回るかのように声が響き、暫くの間その場を動くことが出来なかった。

 旦那が野々花をおぶって様子を見に来た時には完全に消火しきっていた。購入当初についていた焦げ跡に繋がるように真っ黒になった壁には、一か月前に貼ったお札が辛うじて原型を保って張り付いていた。


 結局出火原因も分からず終いだったこともあり、その家は購入から三か月目を向かえないまま、購入元に売却となった。

 合理的な理由を提示できなかったので完全な払戻しにはならなかったが、事情を話すとあっさり元値同然に引き取って貰えた。詳しい理由は最後まではぐらかされてしまったが、後ろ暗いところがあるのだろう。売却の話を持ち出したとき、営業マンは明らかに何かを諦めたような表情をしていた。

 もしもあちらの世界の音が日常になってしまった私だけだったら、と思うと今でもあの音が聞こえる気がして、キッチンを覗きに行ってしまう。

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揚げる音 もくはずし @mokuhazushi

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