第56話 ウバレイン=モルダーvsグラスタン=ボルフィード

「死ぬかと思った……。というか死んでた……。なんだあのやべえやつ……」


 なんとかクリスタルカリバーの力で回復した勇者だが、血を流しすぎたのか回復量が足りず、足に力が入っていない。見つからないよう、祈るように遠ざかる副隊長の男の背中を見続けていた。どうやら剣士の悲鳴はあそこまで届いていなかったらしい、振り返ることもなく、村の中央へ進んでいる。


「このまま行け……振り向くな……振り向く――


 何かを感じたわけではなかった。副隊長の男は無意識で勇者の方へ振り向いていた。死んだはずの勇者と副隊長の男の目線が交差する。


「くそっ……あの野郎!」


 勇者はその場から逃げようとするが、足に力が入らず、その場に立つことしかできない。なんとか逃げようとするが、既に敵の男は村の入口を越え、戦闘距離まで近づいてきていた。


「死んだと思ったんだがな……何かの術かは知らないが、俺もあまちゃんだったよ」


 部下の剣士を見下ろし、抑揚のない声でつぶやくように男は言った。


「俺も死んだと思ったんだがな、どうやら俺は思っているよりも頑丈だったらしい」


 軽口を聞くように勇者は答えるが、額から汗がとめどなく流れていた。


「クリスタル……なるほど、その剣のおかげってわけか……」


 副隊長の男は剣を構え、戦闘準備に入る。勇者も力が入らない体でなんとか戦闘準備に入った。


「お前の名は?」


「ウバレイン=モルダーだ」


「そうか。俺の名はグラスタン=ボルフィードだ。よろしく頼むよ」


 勇者はこの状況を見て一瞬だけ笑った。余りにも絶望すぎる戦い。震える足をなんとか止め、ボルフィードと名乗る男に向かい勇者は駆け出した。


 二人の間合いはおよそ10m。踏み込めば一瞬で切り倒せる距離ではあるが、勇者にはそれをするだけの体力すら残っていなかった。勇者は迎撃の構えを取り、ボルフィードが仕掛けるのを待った。勇者からすれば相手の力量は分からないが、たとえ相打ちであっても切れば回復出来る分、切り合いでは優位に立っていた。ただしそれは切り合いになればの話だ。戦闘状態に入って30秒が経とうとしていたが、両者に動く気配は全く無かった。


 ボルフィードは考える。眼の前の男が持つクリスタルを嵌めた白い剣。先程の出来事を踏まえて推測すると、恐らく、肉を切ることで回復することが出来る。その対象が他人であれば、この場合はもし私が敵を切りに行って逆に斬られた場合、相手が回復するだけではなく、こちらが怪我をし状況は逆転する。迂闊には近づけない。


 では斬る対象が自分自身で合った場合はどうか? 先程自分の腹を刺し、生きながらえたのを見るとダメージを追うが回復はし続けるように思える。斬ること自体で回復するのではなく、血の吸収がトリガーとなっているのだろうか。ただし、剣士一人を切っても回復しきれなかったこの状況から察するに、回復スピードにも限界がある。


 この状況下での最善手は相手の攻撃を喰らわず、自身の攻撃を与えること。ただ、遠距離の攻撃をもっていない私ではそれは不可能に近い。立っているのが精一杯のようにも思えるが、演技の可能性もある。ならば、今するべきことはこの男が逃げないように一定の距離を置き、味方が来るのを待てばいい。後ろにいた兵士は殺されていたのであればそちらからの援護は期待できないが、中央の兵がグラン・クリスタルを奪取すればいずれこちらに来るだろう。確認に行かせた兵士が戻ってくる可能性も高い。問題点があるとすればこいつの仲間が現れる場合もあるということか……。クリスタルを所有しているのを見ると、エルフに加担している、つまりエルフ族の仲間である可能性が高い。回復魔法を身に着けているエルフが来て回復された場合、状況は悪くなる。


 いや……冷静になれ。エルフが助けに来る可能性は低い。入り口から我が軍は進行している。わざわざそこから逃げるエルフはいない。別の方向から我が軍の索敵を逃れ、助けに可能性がないわけではないが、可能性が低すぎる。仮に来たとしても、回復される前にそのエルフを倒せばいいだけだ。眼の前の男が疲弊しているこの状況下でそれは難しくない。つまり今するべきこと、それは相手に近づかず、時間を潰す。それが最善手だ。


 ボルフィードが考え出した結論は最適解であると言えた。勇者にはエルフ族の仲間はフィニーしかおらず、助けにくる可能性は極限に低い。勇者自身も助けに来るとは思っていなかった。


 勇者は考える。相手の男はこちらに警戒して一定距離を崩さない。恐らく、この剣の効果はバレているだろう。相手を斬ることでの回復は望めない。隙きをつき斬ろうにも、その隙きがない。その上、相手の懐まで斬り込める体力は残っていない。立っているだけで精一杯だ。このままでは俺が気絶させた兵士が来る。それ以外にもあれだけ騒ぎを起こしたのだ、他に配置された兵がいればこちらに援護に来る可能性は高い。そうなったらもうこちらに勝ち目はないだろう。ならば今するべきことは目の前の男を倒す、それが最適解だ。


 だが、どうする? 相手は斬り込んでは来ないだろう。つまり俺が近づく必要がある。ただし、その体力は残っていない。誰かを斬れば体力は戻るだろうが、それは叶わない。ならいっそ……。


 勇者が剣を右手に持ち、右手を空高く突き上げ構えた。想定外の動きにボルフィードは勇者から距離を空け、警戒しつつ考える。


 まさか剣を投げる気か? いや、みすみす武器を捨てるような真似はするはずがない。であれば……。


「まさか……お前……!」


 ボルフィードは勇者に駆け寄ろうとするが、すんでの所で思いとどまる。罠である可能性を捨てきれなかったからだ。


「そのまさかだよ」


 ボルフィードは勇者が剣を振り下ろすのをただ眺めていた。一瞬、勇者の体から血しぶきが舞い、気づけば肘から先がなかった勇者の“左腕”はさらに根本から絶たれ、地に落ちていた。


「これで……戦える体力は戻ったな」


 斬られた左腕の切り口は塞がっており、先程まで立っているのがやっとだった勇者が自身の状態を確かめるように足を強く地面へ叩いた後、納得したように相槌を打っていた。


「これは……予想外だったな。だが、右手だけで戦えると思っているのか?」


「なあに、人間相手だったら右手だけで余裕だ。なんせ俺は魔王を倒した男だからな」


「はっ、冗談を……。だが体力は戻ったようだな。これで俺も戦わなければいけなくなったというわけか」


 両者剣を構え、目の前の敵を見据える。勇者は片手と言えど、攻撃すれば回復する以上、ボルフィードの優位は消えていた。一太刀でも入れれば優位になる勇者側、一太刀でも喰らえないボルフィード側。一瞬でも油断すれば殺られる。この状況にボルフィードが一瞬だけ臆したのを勇者は見逃さなかった。


 地面を蹴り、勇者は一瞬で男に近づき、剣を真上から振り落とす。それを瞬時に察知し、剣で防ごうとしたボルフィードは違和感を感じた。


 なぜ、右手だけで骨ごと、綺麗に斬れたんだ? そもそもこの剣の能力は回復だけか……? もし違うのであれば……仮に……肉を抵抗なく来れる切れ味を持っているとしたら……この剣の軌道では殺される……!


 紙一重だった。ボルフィードは剣を躱すように後ろに倒れながら両足に力を込め地面を蹴り、なんとかその場から倒れるように勇者の剣を躱す。勇者が振り下ろした剣はその勢いのまま地面にあたったかと思うと、まるでそこに何も無かったかのように地面を切り裂き、空中に放り出された。

 

 勇者はバランスを崩しその場に倒れ込む。倒れながら後ろに飛んだボルフィードも動揺に地面に倒れ込んでいた。倒れ込みながらもお互いに目が合う。何も口には出さない。無言でこの状況を考えていた。不意打ちをすんでの所で躱され、剣の効果が相手にバレてしまった勇者は、内心焦っていた。二度と今のような状況は訪れないだろうと。ボルフィードも動揺に焦っていた。あの切れ味では剣で敵の剣を防ぐことはできない。すべて躱す必要がある。躱しきれるのかと。


 一瞬の沈黙の後、勇者が起き上がり再びボルフィードへ駆ける。出遅れたのを一瞬で察したボルフィードは腰に挿して置いた短刀を勇者の体へ放つ。


 そしてボルフィードは考える。奴が避けるのは右か左か。避けるならどちらの可能性が高い……? 奴の攻撃手段は右手の剣のみ。ならば右手で剣を振るうだろう。となると……左か……? いや、どちらも構わない。どちらが来ようとも対応するだけだ。


 一瞬、奴とまた目が合い、時が止まった。一瞬の駆け引き。選択肢を誤れば殺される。奴は今何を思っている……いや、考えても分からない、直感に任せよう。


 左に避けるにせよ、右に避けるにせよ、避ける瞬間、そこに隙きが生じる。ならばそこを叩くのみだ。


 その瞬間を突くために、ボルフィードは自分が投げたナイフに向かい駆け出した。


 時間がスローモーションで流れていく。ナイフは依然として奴の体目掛けて飛んでいる。世界がまるでコマ送りしているかのようだ。実際には一秒も立っていないのだろう、この瞬間でも思考ができる、手が動く。これなら確実に殺れる。早く来い……! お前が躱し始めた時点で俺は即座に対応できる、今ならば散弾銃ですら見切れるだろう。だから早く動け……どっちだ……どっちから来る……。どっちに避けるんだ……。


 違和感に気づいたのはただの偶然だった。俺はこのナイフを奴が避けるものだと、いや普通は避けるだろうと、そう考えていた。ただ、こいつに限りその選択肢以外にも一つあった。


 コマ送りの世界でナイフが奴の体に刺さっていくのが見える。だが奴は怯みもしない。奴はもう俺しか見えていないのだろう、右手の剣が俺の体目掛けて振り下ろされる。だが、コマ送りの世界にいるというのに、俺の体は反応しない。反撃するために四肢に命令を送るが一向に体が動かない。俺が見ていた世界は走馬灯だったのか。


 だからどうした。散々こういう場面にをくぐり抜けてきた。いいから動けよ、右手だけでいい。


 もはや何も考えてはいなかった。脳は考えることをやめ、ただ死を待つように、沈黙していた。


 だからこれはただの体の反射に過ぎない。奴の剣が届くよりも早く、俺の体がひとりでに奴の体を斬っていた。


 貫いた剣からは血が滴り降りていた。それを見ても実感が沸かない。ただ、コマ送りで血が地面に落ちるのを眺めていた。コマ送り、つまりは走馬灯。正直俺はよくやった。もう俺の体は俺の命令を聞かずともよくやってくれる。ただ俺はそれを眺めてればいい。


 奴は体を貫こうとも一切怯むことなかった。腹を裂いたというのに、こいつは止まることはない。奴の剣が間近に迫るのをただ、俺は眺めていた。体は剣を引き抜き、さらに追撃しようとしているが、既に遅い。眼の前でコマ送りで迫る剣を見て、俺はそっと目を閉じた。そしてなぜか俺は笑っていた。


 意識が薄れていく。もし神がいるとするならば、願わくばもう少しだけ戦いたかった。もう少しだけ……もう少しだ――――



 ウバレイン=モルダーVSグラスタン=ボルフィード。どちらが勝ってもおかしくはなかったこの戦いはウバレイン=モルダーの勝利で幕を閉じた。

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