魔獣との遭遇

 哨戒という任務は敵の襲撃を警戒し、飛行機などから見張ることである。敵への警戒はむろん、アドルフたちも行うのだが、哨戒任務にはそれを専門とするノインという班員が就いていた。


 彼女は労務のあいだじゅう、飛空艇と縄でつながれたチェイカという小型飛行機に乗り込み、望遠鏡を覗き込んで自分らの敵、魔獣の出現を見張っている。

 アドルフの定位置から見れば、ノインは左舷の後方一〇メーテルの位置にいる。飛行帽にゴーグルを装着し、黄金に輝く長髪をはためかしたノインの姿がそこにある。


 囚人であるからにはノインもまた亜人族で、種族はエルフだった。戦闘ともなれば、魔法で強化した投擲の槍を用い、敵を一閃する狙撃手の役割も担う。

 そんな戦闘員としての顔も持つノインは、普段は自分のことを「収容所でいちばん可愛い」と思い込むお嬢様育ちの痛い女であるが、彼女や乗っているチェイカの説明はひとまず後回しにしよう。このとき注目すべき点は、哨戒のベルに反応したのがアドルフだけではなかったということだ。


 通常なら、警報を受け取り次第、攻撃の指揮をとるのはアドルフの役目である。ところが新任の現場主任ゼーマンは、班長と主任の役割分担を十分に理解していなかったのか、哨戒用のベルが鳴り響いた途端、地割れのような叫び声を船上に轟かせた。


「敵襲じゃねぇのか、貴様ら? 臨戦態勢をとれ! 臨戦態勢を!」


 おのれの領分を侵された形になったアドルフだが、彼はこのとき、ゼーマンの勇み足に注意をむけることはなかった。なぜならアドルフ班の熟練度はきわめて高度なレベルに達しており、少々イレギュラーが起きた程度でそう易々と連携が崩れることはなかったからである。

 現に咄嗟の判断で指示を発したゼーマンを振り返らず、銀髪をなびかせたフリーデは、首からさげた双眼鏡を覗き込み、空の彼方を眺めていた。警報を待たずに敵を発見したとおぼしき彼女は、主任の声などきれいに無視し、敵影の確認に意識を集中しているようだ。


 魔獣との遭遇は、本来起きずに済むのが望ましい。班長であるアドルフは無駄を嫌う性格もあってか、特にそう願っている。

 しかし同じ考えの持ち主は彼の同僚にはおらず、いざ戦闘が近づくとアドルフ班の面々は水を得た魚のように躍動しはじめる。異なる細胞があたかもひとつの意志のもとで連動するように、艇身とつながれたチェイカからノインの声が大音量で聞こえてきた。


「敵襲、敵襲!」


 その甲高い声とほぼ同時に、マストにぶら下がったベルが再びけたたましく鳴り、双眼鏡に眼をつけたアドルフも敵影の確認をおこなった。


 見たところ、敵影は決して大きくない。


 つまりその脅威は軽微と言えるが、相手が小物でも、戦闘を避けると火焔攻撃などを食らい、船が炎上する危険がある。敵が雑魚でも侮るわけにはいかない。それがこの異世界セクリタナで暮らす人類の共通認識なのだ。


「六時の方角に敵影確認。全力で操船!」


 凛々しい声を張りあげ、双眼鏡を離したアドルフがようやく指示を発した。彼の声がむかう先は、操船の要である操舵手である。


 操舵手とは、尾翼を動かす木製のレバーで飛空艇を操縦する仕事だ。ちなみにレバーは、鉄のように固い木材で出来ており、強度はかなり丈夫。そのぶん重量が重く、普通なら扱いに困難が生じる。


 だが、そんな代物を軽々と操る少女がアドルフ班にはいた。それは信じられないほどの怪力を誇る、ドワーフのディアナである。

 彼女が発揮する抜群の腕力があればこそ、船は素早くその方向を変えることができる。アドルフ班の対魔獣戦がつねに先手を打てるにはディアナの働きが不可欠なのだった。


 ところが、である。


「聞いておるのかディアナ? 操船だ、操船。六時の方角に突撃せよ!」


 指揮官として命令をくり返すアドルフ。視線を船尾にむけるが、彼はそこであきれ返るようなものを見つけてしまったのだ。


 なんと操舵中のディアナは、椅子を背にして眠り込んでいたのである。愛用する海軍帽で顔面を覆い隠し、その姿勢はいつ甲板へずり落ちてもおかしくない状態だったが、器用なことに腕に抱えた舵は決して離さず、それどころか風の流れに合わせ絶妙な動きで飛空艇を操っている。背中にバカでかい剣を背負っているにもかかわらず、大したバランス感覚。


 こうなると居眠りをしているのか、本当はうっすら起きているのか区別はつかないが、取り急ぎなすべきことをアドルフは心得ていた。


「あいつめ、サボることまで達者とは。罰として朝飯は抜きだ!」


 憤然とした足どりで甲板を蹴ったアドルフは、ディアナのまえに立ちはだかり、右手を大きく振りかぶった。グーでなくパーで殴るようだから、平手打ちの構えである。

 彼がそれを振り下ろした瞬間、ディアナがバネのように跳ね起き、顔に載せた海軍帽が四〇サンチほど浮いた。当然、騒がしい絶叫がすぐに響き渡る。


「――いてぇえええええっ!?」


 突然の出来事に目を白黒させたディアナだが、彼女の状況把握は驚くほど素早かった。落としかけた海軍帽を掴み取り、見開いた眼をそばに立つアドルフへむけ、乱暴に捲し立てたのだ。


「てめえ、アドルフ! 俺のことドツきやがったなァ!? ほっぺためっちゃ痛ぇんだが!」


 その反応はまるで不良娘そのもの。ドワーフの特徴どおり背丈は低く、否応なく子供っぽさが出るから、パッと見はよく吠えるガキという印象。


 他方で体の発育にかんして言うと、実はフリーデやノインより断然良く、亜人族にしばしば見られる青みがかった髪色は神秘的ですらあり、そんな髪を三つ編みにして後頭部でまとめているため、黙っていれば色気すら感じさせる。

 それによく見ると彼女のバレッタは、黒いアゲハ蝶の装飾が施されている。値の張る代物かはわからないが見事な細工であった。大人の女性が身につけても恥ずかしくない髪飾りである。


 言葉にすると非常に魅力的な要素を備えるディアナだが、それらが美少女という評価にまったく結びつかないのが彼女らしい。おまけにディアナは、自分の怠惰を棚に上げ、腹立たしげに叫びまくる。


「クソったれマジ気持ちよく寝てたのによォ。こう見えて船はちゃんと動かしてんだ、居眠りぐらいでガタガタ騒ぐなって。次殴ったら一〇倍返しにすんぞクソが」


 言い訳がましいことこの上ないが、覚醒して数秒も経たないうちに操舵態勢をてきぱき整える。この辺りの要領の良さは見事に百難隠していると、付き合いの長いアドルフなどは思う。


「んで、俺は何すりゃいいのさ?」

「いましがた魔獣と遭遇した。六時の方角に全速力でまわり込め」

「あいよ、了解」


 たった少しの会話でディアナはきびきびと返事をかえすようになり、巨大な舵を苦もなく動かしつつ、飛空艇の方向を瞬く間に変えていった。噛み合っていなかったアドルフとの息も、ぴったり合ってきた感じである。


 だてに同じ班員として輸送船業務をこなしてきたわけではないが、実のところ彼女たちはアドルフにとって単なる同僚ではないのだ。控え目に言ってもある種の幼なじみ、少なからぬ時間を幼少期に過ごした〈施設〉の仲間なのである。その付き合いはもう九年以上に及んでいた。


 ディアナに操船命令を授けたあと、慌ただしく帆を張り直したアドルフは、急に流れてくる額の汗を拭った。上空は確かに寒いが、晩秋のこの頃、活発に体を動かせば途端に熱が溢れてくる。


「――ふう」


 自分の役割がひと段落したアドルフは、このときようやく索敵の余裕を得た。フリーデが睨みつける目線の先を見やると、そこには一匹のロングレンジがこちらへむかっていた。


 ロングレンジとはオスとメスがペアを組んで活動する特徴をもち、大型の辺境クロトカゲそっくりな見た目の魔獣。二つの翼を羽ばたかせて住処とえさ場を移動し、上空での遭遇頻度が比較的高い相手だ。

 正直なところ、戦闘力は大したことない。雑魚モンスターとさえ言える。しかし右肩をぐるぐるまわしたフリーデは、奇妙な準備体操を終えると、おもむろに左腕を前方に突き出した。


 ロングレンジと相対するとき、狙いは遠隔攻撃一択だ。それはフリーデにとっても好ましい相手であることを意味している。銃と爆弾のかわりに剣と魔法が支配するセクリタナにおいて、彼女はすぐれた魔導師であるばかりでなく、遠距離攻撃はお手の物だったからだ。


 したがって彼女がもし魔法の力を倍加する〈増幅器〉を手にしていれば、上位魔獣や高い力量をもつ看守と互角の勝負ができるだろう。それアドルフの買いかぶりではない。収容所側が囚人から〈増幅器〉を取りあげるのも、元はといえば、彼女のような術者が叛乱を起こすことを恐れたからだ。


 ――味方にすれば頼もしい女よ。雑魚が相手では、我が命令を出すまでもないな。


 そう小声でつぶやいた彼をよそに、フリーデは左腕を直角に伸ばし、見えない弓にほのかに光輝く矢をつがえた姿勢をとっていた。そして朝日を浴びた横顔のなかで、桜色に染まった唇を小刻みに動かす。


 武器を模した魔法の使用、及び魔法による武器の強化を一般に魔導武装と呼ぶ。フリーデの得意とする戦い方はその一種で、敵との距離を活かした先制攻撃であった。


「放たれろ〈死霊〉――」


 増幅器がない状態で使えば、本来なら詠唱に三〇秒以上は要る。そんな遠距離魔法の詠唱を短縮したフリーデはあっという間に魔法の矢を数本撃ち放った。

 その矢は高速でロングレンジに吸い込まれ、敵の頸部という急所を貫く寸前、肉を失った数体の骸骨騎士、すなわちアンデッドモンスターに変貌し、敵に襲いかかる。


 渋くて玄人好みする類いの魔法なため、アドルフにはその客観的な価値がわからない。ただ、狙った的は外さない正確無比な弓撃は何度見てもほれぼれする。

 もっとも骸骨騎士がロングレンジを殲滅しても戦闘はそこで終わらなかった。なぜなら眼を凝らすと、べつの敵影がはっきりと見えたのだ。肉片となった魔獣と入れ替わる形で、その背後から爬虫類型のモンスターがこつ然と姿を現す。


 ――やはりもう一匹いたか。


 ロングレンジはペアで行動するため、セオリーどおりの展開となったわけだ。幸いフリーデの弓撃のほうが射程距離が長く、初弾は安全な位置から撃てた。けれど艇身が近づくにつれ、相手の射程圏内に入りつつある。


「ディアナ、距離」


 アドルフは操舵手に指示を出した。もちろん、敵との距離を取れという意味だ。


「言われるまでもねぇぜ!」


 即応したディアナは舵を操り艇身を傾けるが、それはフリーデが第二撃を放つまでのあいだ、ロングレンジの射程圏外をかろうじて維持する対処だ。

 それはアドルフにすれば、非の打ち所のない戦闘行動だった。なのにたった一人、彼のやり方にケチをつけてくる人物がいた。戦闘に到る流れを黙って見ていたとおぼしきゼーマンである。


「馬鹿なのか貴様ら。もっと距離をとれ、距離を!」


 おそらく敵の射程圏外ぎりぎりを進むのを見て、憤慨したのだと思う。だがそうした逃げをうったところで、いずれスピード勝負に負ける。揚力こそ大気中に漂うマナの結晶体、すなわち魔法石から得ているが、推力は帆に受けた風頼りの空飛ぶヨットがアドルフたちの乗る飛空艇カイセル号なのだ。一人乗りのチェイカのような機敏な小回りは期待できないことを、着任したばかりのゼーマンは知る由もないのだろうか。


「いまの意見だが承知した。ディアナ、もう少しだけ距離をとれ」


 やむを得ずアドルフが選んだのは、主任の命令を聞き入れつつも、ロングレンジが飛行速度を増したところで撃墜するという作戦だ。

 その指示を的確に取り入れたのか、フリーデはもう一度左腕を伸ばし、光り輝く矢をいつでも放てるよう、目に見えない魔法の弓を力いっぱい引き絞っていた。


「オイこら、距離が短いぞ。船に攻撃が当たったらどうするつもりだ、カスども!」


 依然、腹立ちと警戒心が混ざり合った声を発するゼーマンだが、カスはどっちだろうか。アドルフ班の実力を把握しておらず、空戦にたいする理解もないなら口を閉ざすべきなのだ。

 彼の発する命令を百歩譲って認めても、命令どおり距離を長く取ると今度はこちら側の弓撃が当たらなくなる。言葉にせずとも自明なはずだ。


 ――ふん。そんな理屈もわからぬ輩が現場責任者とはな。我なら即刻クビを切るところだ。


 人類史に空前の悪名を轟かす指導者だけあり、アドルフの管理職評価は辛辣だった。もしこの世界にアレキサンダー大王やナポレオンが召喚されたとしても、気に入らない点があれば容赦なく見下し、間違いなくゴミ扱いしたであろう。

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