壱 密航者(一)

 漏れ出した光に目が眩み、思わず手の力が弛んだ。

 がたりと音を立て、周囲が再び一寸先も見えぬ闇に囲まれる。

 暗闇の中、少年は一度強く目を閉じ、深く息を吐き出した。

  

 少年は閉ざされた空間の中に居た。

 長い間、この息も詰まりそうな空間に閉じこもっていたため、彼の肺は新しい空気を求めていた。

 真っ暗な上天に向け、再び腕の力を込める。呼応するように、徐々に光の面積が広がっていく。

 眩しさ故に、薄目で自身がやっと通れそうな程の空間が出来たのを確認すると、その僅かな空隙に強張った身体を捩じ込んだ。

 転がるように外に出ると、すぐに全天に光を感じる。

 無機質なコンクリートを白ませるほど煌々こうこうと輝く太陽と、その光を乱反射する水面。

 そして、その両者を一身に受けきらめく、

「おい、動くな!」

 幾本もの刀。

 地に転がる少年を囲うように、数人の男が刃を突き付けていた。

  

 麗らかな春の日差しに似つかわない、緊迫した空気が港の一角に漂っている。

 船から降ろされたばかりの木箱から這い出てきた和装の少年と、彼に刀を向ける男共。

 少年も脇に刀を差してはいるものの、多勢に無勢なのは火を見るより明らかだった。

 男達は揃いの藍色がかった厚手のジャケットとパンツを身に纏い、足元は半長靴はんちょうかという出で立ちだった。中でも、肩口に金の飾り紐をつけた壮年の男性が口を開く。

「我々は貴様を密航者と判断した。入管法に則り、貴様を拘束する」

 声を掛けられ、少年は胡乱な瞳で目の前の男を見上げる。そこに刃を向けられていることに対しての動揺や恐れは見られなかった。後ろ手に手錠を掛けられても、抵抗する素振りすら見せない。

「おい、立て」

 しかし少年は動かない。その薄い反応に苛立ってか、飾り紐の男が声を張り上げると、少年を囲っていた男の内の1人が、地べたに座り込んでいた少年の羽織を荒々しく掴んで引っ張り上げる。どうやら飾り紐の男と他の男は上司と部下という関係らしい。

「やめ…」

「問答無用。その刀で抵抗しようものなら、即刻この場で首を撥ねるぞ」

 少年が僅かに声を上げるも、男は耳を貸さない。少年は後ろ手に拘束されていることに加え、背中を掴み上げられたことでやや前傾姿勢になる。

 必然的に、彼は目の前に立つ飾り紐の男を下から見上げる様な体制になった。その顔には苦悶の表情が浮かんでいる。

 その表情を見、自身が優位に立ったと思ったのだろう。男は悦に入った様な表情を浮かべ、身を翻しながら少年に声を掛ける。

「移動する。逃げようなどと考えるなよ」

「……り」

「あぁ?何だ」

 大人しく付き従うと思われた少年の口から何か発せられたのを聞き、男は少年の胸倉を掴むと、俯き加減になっていた彼の顔を無理矢理上に向かせた。

「もう、むり」

 そう一言漏らすと、少年は。

  

「おろろろろろろろろろろおろでゅろろろろろろおろろろろろろげぼぼぼぼぼぼろろろろろろ」

  

 腹の中のものを盛大にぶちまけた。



 🌸🌸🌸

  

 窓を通し、微かな波音が部屋まで届く。

 L字型に置かれた机が2つと、そのひとつを挟むようにして置かれている椅子2つ。家具はそればかりの小さな部屋の中で、唯一この小さな波音のみが音を立てていた。

 窓も明かりとりのものひとつしかないため、真っ昼間だというのに部屋の中は薄暗い。

 海辺に臨むこの施設の一室に入って以来、少年はずっと外の景色から目を離さなかった。

 固まったかのように椅子から動かず、僅かに眉根を寄せ、口の端をきゅっと結びながら。

「黒い海は初めてか?」

 突如声のした方に、少年はゆっくりと顔を向けた。それは話し掛けられたためではなく、単に声のした方に反応を示した、といった具合だった。

 声の主は飾り紐の男だった。彼は今しがた入ってきた扉を閉めると、室内の部下に労いの言葉を投げつつ、少年へと近付く。

 少年が座る椅子の横に位置する机には、彼の荷物が陳列してある。

 数枚の札と小銭が入った財布、畳み皺がつく程きっちり畳まれた替えの着物、真っ白な手ぬぐい、矢立やたて懐紙かいし、削られた様な傷が入った印籠、和紙で出来た扇、竹の皮に包まれた握り飯、液体の入った竹筒、縞模様の巾着、それらをまとめていた風呂敷。

 中でも目をひくのが一振りの日本刀だ。

 何となし、という風に刀を手に取り、半分ほど引き抜き、眺めながら男は続ける。

「ここらあたりじゃ別に不思議なことじゃない。逆に底の見える海や川を拝んだことがある人間なんて、ほんの一握りだろうさ」

 お前は水が綺麗なところから来たんだな、と呟く様にポツリと溢すと、男は少年に顔を向ける。

「良い刀だな。手入れも行き届いているのが分かる」

 投げ掛けられた言葉に何も返さず、少年はむっつりとした表情で男を見上げる。

 称賛の言葉にも表情ひとつ崩さない少年の様子を見、男はピクリと眉を吊り上げた。

 刀を元の位置に戻すと、部屋に控えていた部下に「ずっとこの調子か」と問う。

「はい。終始ぼうっと海の方を眺めているだけでしたねぇ。抵抗はしない代わりに、こちらからの質問にも一切答えませんでした」

 そちらはどうしたか、と付け加える部下に、男は頭をくしゃりと掻きながら溜息交じりに答える。その目は少し落ち窪み、充血している。見るからに疲れが溜まっている様子だ。

「全員シロと判断した。この港じゃ付き合いが長い人達だ、事情聴取するのも気が引けるくらいだったよ。調書を更新したから、見ておいてくれ」

「では……」

「本人の口から聞くしかねぇなぁ」

 言うなり男は少年の前の椅子にどっかと座ると、両手組み、彼をやや見下ろす様に背筋を伸ばす。

 少年と男の目が交差した。

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