魂の行き着く場所(2)

 ここは、魂の集う場所。


 この世に強い未練を残した魂が、行き場もなく彷徨い続ける無限回廊。


 この場所へ近づけば近づくほど寒くなったのは、冥界に最も近い場所だから。

 見上げた先には洞窟内だというにもかかわらず、先の見えない暗闇が、夜空のようにどこまでも広がっている。恐らく、あの先が冥界へと繋がっているのだろう。現世と冥界の狭間にて、行き場をなくした魂が流れるように動いている。それはまるで夜空を彩る流れ星のように。その『魂の奔流』は、残酷にも美しいものだった。


 そんな光景を、ぼくはただ、川の流されに身を任せゆったりと進むカヌーに乗りながら静かに眺めていた。ギコッ、ギコッ。岸に上がらないように適度にオールを漕ぐ音。川のせせらぎ。


 そして、魂達の怨嗟の声が、洞窟内に響き渡る。


「……私が初めて来た時は戦争が始まる前だったから、魂はもっと少なかったんだよ」


 オールを手にクレアさんが、悲しげに声を漏らした。

 彼女の言う通り、黒き空には数多の翡翠色の魂が浮かぶ。


『我が子の顔を1度でもいいから見たかった』『最後に家族に会いたかった』『俺を殺したあいつが許せない』『妻を残して死にたくなかった』


『死にたくなかった』『死にたくなかった』『死にたくなかった』




 川を進めば進むほど、怨嗟の声が幾重にも重なって僕の頭に直接流れ込んでくでくる。恐怖のあまり、アイーダさんが耳を塞ぎ、体を縮こませてしまった。


「聞きたくねぇよ、こんなの……」


 弱々しい声。アイーダさんの気持ちは、僕にも痛いほど理解できた。名前も知らない誰かの、叶うことの無い願いが、生者たる僕らに向けて投げられる。


 戦争によって望まぬ死を迎えた者達の魂が、悲痛の叫びをあげていた。


「着いたよ。アイーダちゃん、ユアン君」



 そんな時、クレアさんがカヌーを止めた。

 怨嗟の声はいつの間にか止み、魂達も今は見えない。カヌーから慎重に降りると、そこには再び鉄の扉。見上げる程の大きさで、僕一人の力では、とても開けそうにはない。何より、扉には今まで見た事のない魔法陣が刻まれていた。少なくとも、五大元素のいずれにも当てはまらないものだろう。扉を守るための魔法が仕組まれているのかもしれない。


「クレアさん、この先には何があるんですか?」


「この先にはね、ユアン君。君にどうしても見せたいものが……」


 クレアさんは何かを言いかけて、首を横に振った。


「ううん、違うな。君に、会って欲しい魂がいるんだ」


 僕に、会って欲しい魂?


 僕は思わずオウム返しをしてしまった。


「本当はね、会わせるかどうか悩んでたんだけど。ユアン君にも、真実を知る権利があると思うから」



 神妙な顔つきのクレアさんは僕の手をとると、扉の方へと優しく引っ張っていく。いつもと様子の違うクレアさんに、僕は一度深呼吸した。この先で、僕は一つの真実を知ることとなる。クレアさんが次の目的地を散々内緒にしていたのもこれが理由だったのだろう。であれば、僕もそれ相応の心構えをせねばなるまい。


「行ってこいよ、ユアン。アタシはここで待ってるからさ」


 そんな僕の背中を押すような、アイーダさんの声。先程まで怯えていたのが嘘のように、その声はとても頼りになるものだった。


 ここから先は、クレアさんと2人。


 ドクン、ドクンと鼓動がはっきりと聞こえてくる。緊張しているのだろうか。


 そのまま僕は扉に手をついた。続いてクレアさんも、優しく触れる。魔力が扉へと吸われていくような感覚。すると、僕とクレアさんの魔力が注がれた魔法陣が、眩く光を放ち始めた。


 瞬間、あんなにも重圧に感じた鉄の扉が、すんなりと開いてしまう。扉に施されていた魔法がクレアさんの力で解除されたようだ。


「それじゃあ、行こっか」


「……はい」


 クレアさんの手を取ったまま、一歩、一歩と扉の先へ足を踏み入れていく。


 そこは大理石で造られた部屋だった。隅に4本の石柱。天井はなく、そして、部屋の中央に設置された台座には、この場にあまり似つかわしくない、黄金の杯。天井はなく、ここでもまた、行き場を失った魂が黒き空を揺蕩っている。


 ここが、どう言った目的で作られた場所なのかはわからない。ただ、なんだろう。足を踏み入れた瞬間、不思議なことに、懐かしさのようなものが込み上げてきたのだ。


 体中がほんのりと温かみを感じる。さらに、誰かに優しく抱きしめられているような安心感。


 言いようのない感覚に僕が足を止めると、クレアさんが僕の手を引き、部屋の中央へと歩いていった。



「この杯はね、彷徨う魂を呼びよせるための触媒のようなものなんだ」


「魂を、呼び寄せる?」


「うん。実体がないから話をしたりすることはできないけど、魂と魂が触れ合うことができるんだ」


 クレアさんは淡々と話を続ける。


「ユアン君。その盃に君の血を一滴垂らせば、君は会うことが出来るよ」


 誰に、とは聞かなかった。誰のことを言っているのか、僕には想像が出来ていたから。

 血を流すには痛みを伴うしかない。しかし、怖くはなかった。僕はクレアさんから小剣を受け取ると、一切の躊躇いなく指に切り傷を入れた。沁みるような痛みに体が力む。


 大丈夫?と声をかけてくれたクレアさんに僕は無理に笑顔を作ると、指先から滴る血を、黄金の杯へと落とした。


 瞬間、空を漂う翡翠色の魂が一つ僕の血に反応したのか、杯に吸い寄せられるように舞い降りてきた。ぼんやりと光を放つ『それ』は、ほんのりと温かい。


 同時に、先程まで感じていた懐かしさがより一層強くなっていくのを感じる。やっぱり、この魂は……。



「……その魂はね、私の大切な友達なんだ」


 杯へと伸ばしかけたクレアさんの手が、届くことなく宙で止まる。


「とても優しい心の持ち主だったんだ。一緒にいるだけで……楽しかった。」


 そして、クレアさんは遂に口にした。その友達の、『魂』の名前を。


「名前は━━━━━━━━レリス。レリス=コーネリア。世界に7人しかいない魔女の内の一人で……ユアン君。君の母親だよ」



 その名前を耳にして。目の前の魂の正体を聞いて。


 やっぱりなと呟いた僕の声は、微かに震えていた。








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