魂の行き着く場所

生と死の狭間にて(1)

 クレアさんに上手いように話をはぐらかされたあの夜から、さらに数日が経った。


 平原を超え、海を越え、長い山脈をも超えた先にたどり着いたのは、広い大地にポッカリと開いた巨大な『穴』だった。


「な、なんですかこれぇ!?」


 僕はそのあまりに異質な光景に、クロの背中から落ちないよう慎重に体を乗り出した。

 その穴は、小さな町ならばまるまると飲み込んでしまう程の大きさで、人為的に作られたとしか思えないほどに綺麗な曲線を描いていた。


 穴の先は真っ暗で底は見えない。覗けば体が吸い寄せられてしまうような不気味さを放つそれは、この世の深淵に続いているようで。


「すごいでしょう?いつ、何が原因で出来たかは誰も知らない。穴を通って行き着く先は……お楽しみにって感じ?」


 愛らしい仕草で誤魔化そうとしているようだが、ようするに僕達はあの得体の知れない穴の中へと入っていくという事だろう。


 一度入ったことがあるのであろうクレアさんが言うのだから、危険はないのだろうけど。


 僕は平気だけど、アイーダさんは……。


「ワタシ、イキタク、ナイ」


 恐怖が一定の領域を超えると声がカタコトになる仕組みでもあるのだろうか?

 という冗談はともかく、高所恐怖症のアイーダさんを説得しないことには話は進まないだろう。


「そんなこと言わずにー。ほら、行くよ!」


「エ?ちょ、ちょっと何してんだクレアァァァァァァァ!!」


 クレアさんが半ば無理やりアイーダさんの首根っこを掴むと、一切躊躇うことなくクロから飛び降りたのだ。

 二人はそのまま暗い穴の奥底まで落ちていく。その姿が見えなくなる最後まで、アイーダさんの卑劣な叫び声が止むことはなかった。



「……えーと、これってもしかして僕も飛び降りる感じかな?」


 取り残された僕は一人、返事が来ないことをわかっていながらも、確認するように呟いた(一応クロがみー!と鳴いて答えたけども)。


 再び体を乗り出して穴を覗く。二人の姿はやっぱり見えない。

 クレアさんたちも行ったのだ、僕も勇気を出す時だ。男なら覚悟を決めろと己を奮い立たせようとしたものの、やはり怖いものは怖い。


 ……行くぞ。3……2、1!



「うおおおおおおおおおおお!」


 クロの背中から飛び出すと、重力に引っ張られるがまま僕の体が落ちていく。頭から、一直線に。


 独特の浮遊感に冷や汗をかいたのも束の間。


 僕の視界は、突然暗転した。







「……ぐっ……」


 体が、鉛のように重い。思うように動かない己の体を無理やり起こし、周囲を見渡す。


 一面真っ白の世界。雪景色ともまた違う。本当に、何も無い。硬い地面は一切の凹凸もなく、どこまでも続いてるようで。少し歩いてみるが、景色に何も変化がない。


 ここが、クレアさんの次の目的地、なのだろうか。


 二人の姿もない。もしかすると、僕だけ違う場所に落ちてきたのかも。


「クレアさん!アイーダさん!いたら返事をしてください!!」


 僕の声はどこまでも響いていくが、返事はこない。


 もしかすると僕は、どこまで行っても何も無い、無限に続く白の世界に閉じ込められてしまったのか。


「なーんじゃお主。一人ぼっちは嫌じゃ!という顔をしとるのう」


「そんなこと思ってません……って誰ですか貴方!?」


「ほほっ、中々に良い反応じゃ。久しぶりに生きておる人間と話すのは楽しいのう」


 つい先程まで誰もいなかったはずの空間に、人の姿があった。姿は霧のように不鮮明で、表情は伺えない。とりあえず、声は少女のようなソプラノ音だったから、女性とみていいだろう。話し方は年寄り臭いけど。



「儂のことなんぞどうでもよかろうて。そんなことよりもお主、地上にある大きな穴から落ちてきたんじゃろう?」


「そんなこと、って。……まぁその通りです。クレアさんに連れられて来たんですけど、はぐれちゃったみたいで」


「ほほっ!奴はとにかく自由気ままなやつじゃからの、苦労してるじゃろうて」


「振り回されてることは否定しませんけど、苦労はしてないですよ。クレアさんといるとそれだけで楽しいんです。……って、貴方はクレアさんのこと知ってるんですか!?」


 お主の反応はいちいち面白いのう、と腹を抱えて笑う少女(?)は何やらご満悦な様子。

 イマイチ掴みどころのない人だな、というのが正直な印象だった。一体何者なのだろう。



「ん?わかる、わかるぞよ。お主の言いたいことはわかる。じゃが、聞きたいことがあるのであれば、まずは名乗るところから始めるべきだと思わんかの?」


 妙に鼻につく言い方だが、確かに言ってることは正しい。


「僕はユアンといいます。本名はユアン━━━━」


「ユアン=ゼルフス、じゃな」


 ……言葉を先取りされたことに、僅かながら苛立ちを感じている自分がいる。

 しかし、今は堪えろ。このまま相手のペースに乗せられるとろくな事にならないぞ。


「僕の名前、知ってるんじゃないですか」


「ほっほ。それはもちろんじゃ。他にも知っておるぞ?写し絵についても、クレアとの関係についても。戦争を止めるために写し絵を集めておることもな」


 少女(?)の口から語られるのは、全てが紛れもない事実の数々だった。他にも、『天界の海』にいったことも、ドワーフの里での事件についても。さらには、僕の好物や趣味、日頃の癖ですらも。なんでも知ってると言わんばかりだ。


 全てを聴き終わった頃には、僕は疲れのあまり肩を落としてしまった。


「……なんでそんなに知ってるんですか、貴方は」


「ほほっ、儂はなんでも知っておる。なんたって儂はこの白一色の場所でずーっと、世界全体を観測していたのじゃからな」


 世界全体を観測、だって?


「何を言っておる、と言いたげじゃなお主。それじゃあそろそろ自己紹介でもしようかの」


 霧に包まれているように不鮮明だった少女(?)の姿が、徐々に顕になっていく。

 真っ白な世界で、真っ白な長髪。真っ白なワンピースを身にまとい、肌も白い。まるでこの世界に溶け込むような容貌に、僕は目を大きく見開いた。


 背丈は小さく、童顔で。ただ、その少女は━━━━━紅い双眸で僕を見つめているのだ。



「儂の名はエウロラ。既に気づいておるじゃろうが、世界に7人しかおらん魔女の内の一人じゃ。……ま、既に死んでおる身じゃがのう」








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