人と亜人、そして魔女(4)
ゾルグさんの表情は読めない。
僕は胸の内に秘めた思いを全てをぶつけた。ここで引かないのであれば、僕にはもうこの男を止める手段はない。
「なるほど、なるほど……」
額から汗がつーっと垂れる。彼の言葉が一つ一つが、この場の運命を決めるのだ。
「見事としか言いようのない、美しい絵であった。そうか、空には雲海を泳ぐクジラがいたか」
賞賛か、それとも嘲りか。曖昧な声が僕の意識を支配する。
「小さな幸せか……考えたこともなかったな」
「だったら……!」
「しかし、だ」
現実は、残酷だった。
「私はフランルーツ王国騎士団、特殊部隊隊長ゾルグ。今まで1度も、与えられた任務を失敗したことはない。であれば……後はわかるな?」
彼の足が、ゆっくりと動いた。僕の横を通り過ぎ、ドワーフたちの元へと歩む。
止まらない。止められなかった。
どこまでいっても、彼は、ゾルグさんは王国兵だった。王国の利益のために動く、忠実な兵士。であれば、ただの子供たる僕の声も、彼の耳には届かないのか。
そう、諦めかけていた時だった。
「……すみません、ゾルグさん。俺には、やっぱりできないです」
それは、誰の声だっただろうか。振り返ると、ドワーフたちを取り囲んでいた王国兵の内一人が、武器を収めてゾルグさんに頭を下げているところだった。
「どういうつもりだ?」
「ドワーフの家族をみていると、どうしても妻と娘を思い出すんです。たまに家に帰ると、喜ぶ2人の笑顔が俺にとっての幸せで。そんな幸せが、ドワーフたちにもあるんじゃないかって、考えてしまいました」
それはきっと、僕の言葉が聞こえていたから。届いていたからこそ起こった、微かな『変化』だった。
謝罪する兵士に続くように続々と、周りの兵士たちが武器を下ろしていった。
「俺たちは、生きるために戦ってきました」
「金を稼ぐために、家族を養うために、です」
「でも、そのために彼らの……ドワーフたちの幸せを奪うなんて、できません」
ゾルグさんの前に集まった兵士たちが、揃って頭を下げる。隊長の命令に逆らうとなれば、己の立場にも響くというのに。
そんな光景を、僕は呆然と眺めることしかできなかった。
ゾルグさんは何も言わない。頭を下げる兵士たちに、どんな言葉をかけるのかと考えているのかもしれない。
そう思っていると、兵士の一人が僕の方を向いて。
「ありがとう。君のおかげで大事なことに気がつけた。人間としての良心を、失うところだったよ」
感謝の言葉が述べられた。僕に向けられたもの……のはずだ。なのに、僕は信じられないままだった。
僕の言葉が、ちゃんと聞こえていた、のか?
ゾルグさんは沈黙を続ける。ただ、頭を下げる兵士を前で小さく息を吐く。そして、
「そうか。お前たちの言いたいことは、ちゃんとわかった。……ドワーフたちを解放してやれ。これ以上は無意味だ」
えっ?と驚愕の声が兵士たちからあがった。罰を受ける覚悟をしていたからだろう。
僕も驚いた。アズールを倒し、里をも襲撃した彼が、やけにあっさりと手を引こうとしたからだ。
ゾルグさんが兵士たちにそう命令すると、今度は未だに感情の読めない瞳で僕を見てきた。
そして、
「……君の勝ちだ。まったく、こんな子供の言葉が兵士たちの心を動かすとはな。幼いながら、しかし強いな、少年」
僕の頭をポンポンと軽く叩くと、賞賛の拍手を僕に送る。
「僕の、言葉が?」
「その通りだとも。でなければ、彼らが急に頭を下げるなんてこと、するはずがないだろう?」
未だにその現実が信じられず、呆然とする僕にゾルグさんは話を続けた。
「小さな幸せ、か。すっかり忘れていたよ。私は彼らから、それを奪おうとしていたのだな」
解放されていくドワーフたちを見る。
縄を解かれ自由になった彼らは互いに抱き合い、涙を流し。兵士たちに一瞬敵意を向けるものの、それよりも解放して貰えたことを喜んでいるのだった。
そんな姿を見て、ゾルグさんは口元を緩める。
「亜人種は魔族の血が混ざっているからと、我々は忌み嫌っていた。しかし、それは間違いだったのかもしれない」
「……僕もそう思います。彼らだって僕達人間と同じなんです」
同じように笑い、同じように喜び、同じように生きる。人間と亜人種の違いは、あってないようなものだ。
「やれやれ、これじゃあ私は騎士団の間で笑いものだ。子供の言葉に心を揺らされて、任務を失敗しただなんて。特殊部隊隊長の名が廃るな」
まいったな、とポリポリと頭を掻きながら呟くゾルグさんは、言葉とは正反対に清々しい表情をしていた。
彼の視線の先には、つい先程まで険悪な雰囲気だった広場の空気は風に乗って消えてしまったのか。人とドワーフが、共に語らう姿があった。
「まぁ、魔女が来ていた以上、どちらにしても任務は失敗は必然だったのかもしれんな」
「クレアさんがいたから、ですか?」
「あぁ、そうだ。そういえば君はあの魔女と一緒にいたようだが、どういう関係で……」
再び僕を見たゾルグさんの目が、微かに見開かれる。
「紅と青の、オッドアイ……」
「え?はい、生まれつき目の色が違うんですよ」
「そうか、君が……」
ゾルグさんは何を考えているのだろうか。僕にはわかりそうにないが、彼は何か納得したようにウンウンと頷いて。
「あの魔女が君と共にいる理由がわかった気がしたよ」
「え?」
「おや、君だって知ってるはずだろう?紅の双眸は魔女の証」
それは、クレアさんからも聞いた言葉だ。魔女とバレないようにするには、まず目を隠さなきゃいけないんだ、と言ってたのを思い出す。
「であれば、片方の目に魔女の証を持つ君もまた、魔女の力を引き継ぐ者、だろう?」
言われてみれば、確かに。
不思議には思ってた。なんで僕の片目は紅いのかと。でも、その理由は父も、祖父母も、クレアさんからも教えてもらってない。
その答えがいきなり判明して、僕は戸惑った。
「僕が、魔女の血を!?」
「なんだ、聞いていないのか?ならば、ここで私がこれ以上説明しても仕方ないだろう。……気をつけるといい。魔女は君に、隠し事をしているようだ」
ゾルグさんは最後にそう言うと、手をひらひらとさせながらこの場を後にし、兵士たちの元へと向かっていく。
彼の残したあの言葉。
僕が、魔女の血を引き継いでいる?
疑問は消えない。なぜその事を誰も教えてくれなかったのか。それに、優しいあのクレアさんが僕に隠し事を……?
「ケホッ、ケホッ。あークソ、いってぇな……」
しかし、僕の思考を遮るように咳き込んだのは、倒れていたアイーダさんだった。
「アイーダさん!?だ、大丈夫ですか?」
考えるのは後にしよう。今はアイーダさんの体が心配だ。
僕がゆっくりと彼女の体を起こすと、
「心配いらねぇよ。ったく、情けねぇ……アタシが一撃でやられるなんてな」
「で、でも」
「アイツ、手加減しやがった。あの一瞬でアタシの意識を奪ったんだぜ?本気でやりあってたらアタシは間違いなく死んでたな」
クソッタレ、と。アイーダさんは悔しさを込めた拳をぎゅっと力強く握りしめた。
「それで、どうなったんだ、みんなは」
「皆さん無事ですよ。拘束も解いてもらって、自由になりました」
「……そうか。最初は正直、弱っちいやつだと思ってたけど、なかなかやるじゃねぇかユアン。……ありがとな、助かった」
アイーダさんの強ばっていた体が安心したことによって、力の抜けたように大の字で倒れる。そして、満面の笑みで僕に感謝の言葉を述べたのだった。
初めて見る屈託のない笑顔に、思わず目逸らした。普段は男っ気の強い人なのに、笑顔が可愛いのは、なんだかずるい気がした。
それにしても、指輪を追っていったクレアさんはどうなったのだろうか。なんて考えていると、
「おーい!アイーダちゃん!ユアンくん!」
噂をすれば影がさす、とでも言うべきか。
杖に乗って帰ってきたクレアさんは、その手に光り輝く指輪を握りながら手を振っていた。
「よかった、クレアさんも無事だったようですね」
「そりゃあそうさ。クレアは昔っから強いからな!」
僕達は喜びの声を上げ、クレアさんを迎えた。
かくして、無事に『蒼炎の指輪』も取り戻し、人間とドワーフがある程度和解したところで、今回の事件は幕を降ろすのだった。
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