人と亜人、そして魔女(3)

火山の頂上から、里に向けての急降下。僕は振り落とされないようしっかりとクレアさんの腰を掴んだ。風を切って進むクレアさんは真剣な目付きで、爆煙の上がる里の姿を捉える。中央広場で、騒ぎが起きているところだった。


「だから、アタシたちはお前ら人間の戦争に直接関与する気はねぇんだよ!わかったら蒼炎の指輪をこっちに寄越してさっさと帰れ!」


「そんなことを言わないでくれ。できることなら私は穏便に済ませたい」


「穏便に?指輪を守るアズールに手を出して、村を破壊した奴が何を言ってやがる!」


 騒ぎの中心にいたのは、片方はアイーダさん、対するは、フランルーツ騎士団の紋章が刻まれた純白のコートを羽織った、栗色の長髪が特徴的な男。


 険悪な雰囲気に、僕もクレアさんと身を引きしめて、地上へと降りる。


「あれは必要な戦いであった。ドラゴンが相手では、逆らうのであれば殺すしかないからな。……おっと、君たちは」


「クレア、ユアン!来てくれたのか!」


 二人の間に割り込むように降り立った僕は、状況を確認するために辺りを見渡した。この広場に里のドワーフたちが集められているようだ。そして、それを取り囲むように全身を鎧で固めた王国兵が配置されている。長槍を構えており、ドワーフたちが下手に動かないよう抑制しているようである。


 だが、何よりも目に止まるのは目の前のこの男。


「おや、こんな場所に人がいるとはね。私はゾルグ。フランルーツ王国騎士団、特殊部隊隊長を務めている。ところで君たちは見たところただの旅人、というわけではないようだが?」

 

 ゾルグと名乗ったその男は、感情の読めない瞳で僕とクレアさんに視線を向ける。

 そして、不気味な笑みを浮かべた。


「これはこれは魔女様、森の中に引きこもっているはずの貴方が何故ここに?」


「……理由を語る必要はないでしょう。今の私はとっても不機嫌です。怪我をしたくないのであれば、指輪を返してさっさとこの里から出ていってください」


 嗤うゾルグさんに、杖を構えるクレアさん。真っ黒なとんがり帽に顔が隠れて表情が読めないが、その声色には怒りに近い感情が込められていた。


「フフ、残念だがこの場にはもう『蒼炎の指輪』はない。既に兵士が持ち帰っているところだからな。さて、いいのかい魔女様、こんな所にいて?」


 ……言葉にならない声を漏らしたのはクレアさん。唇を噛み締めた後、僕に目を向けた。


「ごめんね、ユアン君。私が行かなきゃ、どうやっても間に合わない。だから━━━━━━━━」


「……行ってください、クレアさん。僕たちなら、大丈夫ですから」


「アタシからも頼むぜクレア。アタシはここから動くわけにもいかねぇからよ!」


 クレアさんは迷ったのだろう。非力な僕をこの場に置いてもいいものなのかと。でも、僕だって男なのだ。戦うべき時がきたのであれば、引く訳にはいかない。守られてばかりじゃ、夢だって叶えられないはずだ。


「……気をつけてね、アイーダちゃん、ユアン君!」


 もちろん、と。僕とアイーダさんは同時に頷く。すると、微かに顔を綻ばせたクレアさんは、すぐさま飛び去っていった。


「……ふぅ、怖い怖い。さすがの私も、魔女相手に1人で勝てるなどと自惚れてはないさ。指輪の力も魅力的だが、あっちは諦めることにしよう」


 クレアさんがこの場を後にしたのを見て、ゾルグはほっと息を吐いた。

 クレアさんを他所へと向かわせるための嘘という可能性もある。やけにあっさり指輪の場所を言うのも気がかりだが、今はとにかくこの男だ。


 特殊部隊隊長。対峙してはっきりとわかった。この男は間違いなく……強い。アズールを倒したというのも納得がいくほどに、立っているだけなのに全身が震えるのだ。


「さて、では話の続きだ。君たちドワーフにはこれから本格的に戦争へと加わってもらいたい。これから戦争は、佳境へと突入する。したがって、とにかく兵力がいる。ドワーフの屈強な肉体は戦場で必ず役に立つだろうさ。できることなら……武力行使による強制はしたくないのだが、どうだい?」


 それがゾルグさんの……王国の要求のようだった。


 今まではあくまで武器の製造を頼まれていたというドワーフたちに、今度は武器を手に取って戦えと。この男はそう言っているのだ。


 だが当然、アイーダさんがそんな要求を呑むはずがない。


「だから、断ると言っているんだ!アタシらは誰も戦いなんて望んでなんかねぇ。言葉でわかんねぇなら……」


「力ずく、か。利口とは言えないな。力の差というのがわからないのか。お前ではどうやっても私には━━」


 言葉を遮り、アイーダさんが飛び出す。地面を蹴り、弾丸の如く突撃するその一瞬。


 僕が認識する前に、勝負はついていた。


「……え?」


 意識せず声が漏れ出る。ゾルグさんへと飛びかかったアイーダさんは地に伏していて。その体を、彼が踏みつけていた。


「全く、人の話は最後まで聞くべきだろうに。まさか君も……そこまで愚かではないな?」


 ゾルグさんの次の標的が、僕へと切り替わった。


 冷徹な彼の瞳は、あまりに無情。

 嫌な汗が背中にべっとりと滲む。ダメだ、どうやってもこの人には敵わない。僕に一体何が出来る?考えを巡らす。僕はどうやっても、この男には勝てない。ならばどうする。


「僕は、僕は……」


 必死に頭を回転させて打開策は考えるうちに、ふと脳裏に過ぎった記憶。



『僕、戦争を止めたいんです。この写し絵の力で、絶対に!』



 本当にそんなことができるのか?自信に問いかけても、答えは分からない。……でも、約束したんだ。どんな壁にぶつかっても、無謀だと言われても、絶対に諦めないと!



「……僕は、反対です、ゾルグさん。ドワーフのみなさんを巻き込むなんて、絶対に許せません」



 僕は、ゾルグさんの前に立った。足は震えて思うように動かないし、涙がこぼれそうにもなるけれど。ここで動かなかったらきっと、僕はもう夢に向かって歩いていけない。


「よしてくれ。君も、我々が守るべき民の一人。それに、私は子供に手出ししない主義だ」


「嫌です。絶対にここをどきません」


 僕の意思は、もう揺るがない。

 ならば仕方ないと、ゾルグさんが腕を動かそうとした、その瞬間。



「ゾルグさん、貴方は知っていますか?この世界には、雲海を泳ぐクジラがいるんですよ」


 僕の言葉に、ゾルグさんは動きを止めた。


「……君は一体何を言ってるんだい?いいからそこをどきたまえ。この女のようにはなりたくないだろう」


 ゾルグさんが、口から血を吐いて倒れているアイーダさんを蹴り飛ばした。僕はそれを受け止めるが、勢いが強くその場で尻もちを着いてしまう。


 意識を失ってるけど、まだ息はあるみたいだ。


 そのことを確認して少し安心した僕は、アイーダさんの体をそっと地面に下ろした。


「この人……アイーダさんは、最初はガサツな人だなって思ってたんです。でも、たくさん話をすればするほど、ガサツなところは彼女の一部なだけであって、本当は出会ったばかりの僕なんかの心配をしてくれる、優しい一面もあったんですよ」


 アイーダさんのお気に入りの湖で、共に語った夢を思い出して、僕は頬を緩めた。


「出会って、言葉を交わすまで知りませんでした。本を読むだけじゃあわからないことも、こうして実際に交流することでたくさん理解できたんですよ」


「……」


「これを見てください」


 僕はリュックから幾つかの紙を取り出すと、それをゾルグさんの前に差し出した。


「これは、僕が実際にこの目で見て触れた、世界のほんの一部です」


 ゾルグさんはその紙を、静かに受け取った。そして言う。


「これは……クジラ、だね。随分と上手な絵だ」


「ただの絵じゃないです。それは僕の記憶の写し絵です。本当に、この目で見たんです。クレアさんが空の上まで連れて行ってくれたんですよ」


 紛れもない事実。その全てを、僕はゾルグさんにぶつけた。ペラペラと捲られていく写し絵の中には、白雲を泳ぐクジラはもちろん、コーダさん一家とともに食卓を囲んだ時の光景も。湖を静かに見つめるアイーダさんの姿も。黒猫の背に乗って空を飛ぶクレアさんの姿も。


 クレアさんと共に森を出て、ドワーフの里に来るまでの、思い出の数々が詰まった写し絵だが、今彼の手にあるのだ。


「世界には僕にも、そしてあなたにも知らない景色がたくさんあるんです。知る由もない、当たり前の幸せが至る所にあるんです」


 僕は言葉を止めない。止める訳にはいかない。


「でも、そんな景色も、小さな幸せも、戦争は全て壊してしまうんです!!」



 だから、だから、だから!


 最後までゾルグさんから目を離さず、僕は言葉を放った。


 僕の夢、そして想いを!



「だから、どうか……ドワーフのみなさんの幸せを奪わないでください!戦争なんてやめて、皆で手を取り合う未来を創りましょうよ!!」



 たとえ綺麗事だと笑われても。



 それが、僕の夢で、願いだった。

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