人と亜人、そして魔女(2)
噴火口へと続く洞窟を一気に駆け抜けていく。
目指すは祭壇。指輪を盗んだ者と途中で接触する可能性もあったため、常に気を引きしめなければならない。
足場の悪く薄暗い洞窟内を全速力で走るのは至難の業だ。実際何度も足がもつれ、転びそうになるとクレアさんが心配そうにこちらを見てきた。
「道が悪いから、気をつけてねユアン君!」
心配ない、そう口に出そうとするが、息絶え絶えで思うように声が出ない。代わりに頷いてこたえると、クレアさんは続けて叫ぶ。
「あそこ!もうすぐ出口だよ!」
洞窟の奥に、微かな光を見た。
ぜぇぜぇ、と息を切らしながらも必死に走り続けて、そして。
「なんだよ、これ……」
驚愕の声を漏らしたのは、一足先に噴火口へたどり着いていたアイーダだ。
僕らの目の前に広がった光景は、美しさとはかけ離れたものだった。
石造りの道とその先にある祭壇は荒く削られたように破壊されており、指輪も姿を消していた。
周りの溶岩も黒く変色しており、冷え固まっているのがわかる。
そして、何よりも目についたのは。
「ったく、万が一このドラゴンが起きた時のための監視とはいってもよぉ。どう考えても死んでんだろ、こいつ」
「文句を言いたくなる気持ちはわかるけど、仕方ねぇさ。副団長の命令は絶対だぜ」
冷え固まった溶岩に横たわる、蒼い鱗に覆われた巨大なドラゴン。その前で会話をしているのは、間違いなく王国兵だ。
フランルーツ王国の王国騎士団。世界最大とされるその国の騎士団は、背中に描かれた悪魔を貫く十字架の紋章が何よりの特徴だ。
見た限りだと5人ほど。僕らの存在には気づいていないようである。だが、状況は最悪だ。話を聞いた限りだと、既に『蒼炎の指輪』は盗み出されたあとということになる。
「フランルーツ騎士団……ここ最近里に頻繁に出入りしてた奴らだ」
「一体どうして指輪を盗んだんですかね」
「さァな……どうせ、ろくな理由じゃないだろ。そんなことより、アイツらをさっさとぶっ飛ばして指輪を探しに行かねぇと!」
指輪の行方も気になるが、今は目の前の兵士たちを相手する方針になった。
「そのとおりだよアイーダ!私も、できることなら姿を見られたくないから、手っ取り早くいくよ!」
非戦闘員である僕が物陰に隠れると同時に、2人が動いた。
まずはクレアさん。兵士たちの視界になるべく入らないよう上へと飛ぶと、杖を高々と掲げた。
「遠慮は、しないからね!」
詠唱なしに魔法を発動させるクレアさん。杖からは五大元素の一つ、『空』の魔法陣が展開され、やがてそれは大きな稲妻を呼ぶ。
直後、大地を穿つのような紫電が王国兵を容赦なく貫いた。
噴火口内に響く雷鳴に、たまらず耳を塞ぐ。
ようやくこの場に自分たち以外の誰かがいることに気がついた王国兵も、あっという間に一人になっていた。クレアさんが撃ち損ねたのではない。あえて一人残したのだろう。
「なっ、なにが━━━━━━━」
「おっと、あんまり叫ぶなよ王国兵さんよォ」
最後の一人が慌てて剣を手に取ろうとするが、アイーダさんの方が数段早い。一気に懐まで潜り込み、首を掴んで地面に叩きつけた。さらに、腰に携えていた小剣を首元に突きつけると、この場は一気に制圧されてしまった。
時間にして数秒。数は少なかったとはいえ、アイーダさんもクレアさんも実践慣れしているような手際だった。
「ふぅ、ひとまずは、だね」
アイーダさんが王国兵を押さえつけてる間に、クレアさんは僕の元へと降り立ってきた。杖をくるっと回して腰に戻すのは、彼女が魔法を使ったあとの癖のようだ。
「あの、さっきの雷。アズールにはあたったり……」
「もちろん避けたよ。それに、あの程度の魔法であれば、あの強固な鱗を貫くことはできないからね」
クレアさんの言葉にほっと安心する。
……しかし、だとしたらアズールを倒したのは一体何者なのだろうか。厄災クラスともされる竜をも討ち取る強さ。
只者ではないはずだと、胸がざわつく。
「ねぇユアン君。アイーダちゃんのところに行ってきて?私は、姿を見られる訳にはいかないからさ」
黒のローブをパタパタと叩いていたクレアさんが、遠くのアイーダさんの方を見て言った。
言われた通りアイーダさんの元へと向かうと、
「お、俺の知ってる情報はそれだけだ!ほ、ほんとだよ!だから殺さないでくれぇ!!」
命乞いをする兵士の男と、苛立った様子のアイーダさんの姿があった。
聞けることは全て吐かせたのだろう。アイーダさんの力の籠った渾身の拳が兵士の鳩尾へとぶつけられた。ゴスっ!と鈍い音ともに、兵士が項垂れる。
「聞けることは聞いた。……クソっ、こいつら絶対に許さねぇ……!」
怒りの矛先を失ったアイーダさんが、悔しげに拳を壁にぶつける。
あまりにも痛々しくて僕は慌てて彼女の元へと駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか?手から血が……」
「問題ねぇ。余計な心配をかけたな、ユアン。それよりも、だ」
ぽたぽたと手から血が流れ落ちているが、全く気に止めることなく、アイーダさんは手を強く握り、目を細めた。
「まずいことになった。アタシらがここに来る少し前に、里の方へフランルーツ騎士団精鋭部隊の隊長が向かったんだと」
「精鋭部隊、隊長……?」
「あぁ。名前の通り強者揃いの特殊部隊で、その隊長ってわけだ。相当の実力者とみて間違いない。アズールを倒したのもおそらくそいつだ」
血の滴る拳を強く握り、アイーダさんは言葉を続ける。
「何が目的か知らないが、アタシたちドワーフに何も言わずこうして指輪を強奪した時点で、明確な敵対意思があるとみていいかもしれん。とにかく何が起こるかわかんねぇから直ぐに里へ戻らねぇと!!」
焦燥に駆られたアイーダさんは、話を終えると火山の出口へと向かっていく。僕もあとを追うべきなのだろうか。
どうするべきかと僕が二の足を踏んでいると、人目が無くなったのを確認してかクレアさんが近づいて来た。
「ユアン君はここにいて。君も、なるべく王国の人間に見つからない方がいいから」
「でっ、でも、アイーダさんが……。それに、里の方たちも」
命が危ないかもしれない。そう言いかけて、僕は喉奥に言葉を押しとどめた。口に出して言うと、現実になってしまうのではないかと恐くなったからだ。
「落ち着いて、ユアン君。里のことは心配だけど、すぐ危ない目には合わないと思うよ。もし始めから武力行使で行くつもりなら、先に里を襲撃していたはずだよ」
「……たしかに、そうかもしれないです」
「うん。それに、王国兵はドワーフたちに武器の製造を頼んでいたって言ってたでしょ?ということは少なくともドワーフの力を必要としているってこと。殺すようなことはしないはず」
憶測の域をでることはないが、クレアさんの考えにも納得がいく。
「だから、私たちが行くのはギリギリまで待とう。もし私が……魔女が森から出てきていることが知られたら、大変なことになるから」
クレアさんが僕の手を取った。相変わらず白く綺麗なその手は、微かに震えていた。
クレアさんも、内心はすぐにでも里へ戻りたいのだろう。親しいドワーフの方たちに何かあったのではないかと、心配する気持ちは僕なんかよりもクレアさんの方が数倍強いに決まっている。
でも、彼女の声、瞳からはそんな感情が読み取れないほどに、落ち着いていた。落ち着いて、現状自分たちに出来ることをしようと言っているのだ。
ならば、僕も……!
「クレアさん、アズールの生死を確認しましょう!もしまだ生きているのなら……!」
「うん、そうだね。今、私たちにできることを!」
意識を一旦切り替えて、今はアズールのことを考えることにした。
冷えたマグマの上に横たわるドラゴンの巨体は、全身が傷だらけだ。蒼く煌めく龍鱗も傷で抉れている箇所が多い。何より、胸に刻まれた十字架のような大きな傷から今も血がドクドクと流れでている状態だ。
「すぐに治療しないと!ユアン君、少しだけ離れてて!」
今、僕にできることは何も無い。言われた通りアズールの体から少し離れると、クレアさんが治癒魔法を唱えだした。
アズールの巨体を包み込むように緑色の療術魔法陣が展開されると、傷口が次々と塞がっていく。
……すごい。これが魔女の、クレアさんの魔法なのか。
傷を瞬時に癒す魔法使いなんて滅多に居ないはずだ。その道を極めたものならまだしも、クレアさんは五大元素の魔法を全て完璧に熟知している。
それに比べて僕は何も……何も出来てない。
無力な自分が悔しくて仕方ない。でも、でも!耐えろ、自分を卑下したって意味は無いんだから。
今はとにかく見守ることしかできない。アズールの胸元の傷がいよいよ修復されているのを、僕は静かに見守る。そんな時だった。
ドゴォォォォォ!
空気が爆ぜるような音が微かに耳に届く。僕はすぐさま音の聞こえた方へと顔を向けた。はっきりとした方角は分からないが……里の方から聞こえたような気がする。
「ユアン君、今の音……!」
「はい、何かあったのかもしれないです。行きましょう、クレアさん!」
治療を終えたクレアさんが、僕と合流する。彼女にもはっきりと音が聞こえていたようで、僕の言葉に頷いた。
「緊急事態だから使うしかないよね!ユアン君、しっかり掴まってて!」
言葉を受けて、僕はクレアさんの体にしがみついた。次の瞬間、再び魔法を唱えたクレアさんが杖に跨ると、一気に高度を上げて飛び出した。この魔法は見た事がある。巨大化したクロにかけていたものと同じ、浮遊魔法だ!
「急いでいくよ!落ちないように気をつけてねユアン君!」
横たわるアズールの上を飛び、噴火口から外へと出る。僕とクレアさんは、ともに空から見下ろして、確認する。
行先は火山の麓、アイーダさんたちのいるドワーフの里だ。
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