湖の誓い
アイーダさんは一体どこに向かっているのだろう。
里を出てそこそこ時間は経っているはずだが。溶岩地帯を超えて、僕達は針葉樹の立ち並ぶ森までやって来ていた。距離にしてみると中々に長い道のりのはずだが、身の子なしの軽いアイーダさんは、僕を担いだ状態でもなお常人を超えるスピードで大地を駆ける。
「そら、着いたぞ」
やがて、目的地はと着いたようで。風を切って走るような感覚が心地よかったこともあり少し名残惜しく感じながらも、ゆっくりと足をつける。
ここはどこだろう、と辺りを見渡して、気づく。森林の中で唯一開けた場所で、近くには水場がある。
間違いない、ここは湖畔だ。湖に生き物の姿は見当たらない。水面は一切揺れることもなく、静寂を保っていた。火山から少し離れたからか、空を覆っていた火山灰はそこになく、満月が顔を覗かせていた。
「アタシのお気に入りの場所なんだ。アンタに是非とも見てもらいたくてな!なかなかにいい場所だろ?水浴びをしようものならここまで来なくちゃならないんだけどさ。遠いからか里の連中はだーれも来ないのさ。だから、ここはアタシ専用の水浴び場でもあるってわけ」
上機嫌に説明をするアイーダさんは僕を湖の畔に降ろすと、僕の横に座り空をぼうっと見上げた。
「えぇ、とっても気持ちよくて……落ち着く場所、ですね」
アイーダさんとの適切な距離感がわからなくなって、ちょっと離れた場所で僕も座り、湖畔を眺める。
水面に映る満月がほのかな光に照らされていて美しい。
「……」
「……」
お互いに景色を堪能しているためか、会話はない。
……何か話したいことがあるのか、ちらちらとアイーダさんが僕の方を見ていることが気になって仕方ない。
「だー!やっぱりしんみりとしたのはアタシ苦手だ!」
い、一体どうしたというのだろうか。
突然大声を上げたかと思うと、アイーダさんはその身に着ていた派手な装飾の入った麻の服を脱ぎ捨てて……服を脱ぎ捨てて?
「なっ、なな何をしてるんです!?」
「なに、って。水浴びをするに決まってるだろ。ユアンもどうだ?火山地帯にずっといると汗もかいて服もビシャビシャだろ。服を洗うついでに汗臭い体もまとめて綺麗にしちまいなよ。冷たくって気持ちいいぜ?」
「そんなことを言ってるのではなくてですね!男の前でいきなり裸になるなんて……!」
いきなり服を脱ぎ出すものだから、咄嗟に目を両手で塞ぐこととなった。ど、ドワーフの女性は男の前でも平気で裸体を見せたりするのだろうか?たとえそうだとしても人間である僕が見る訳にはいかない。
うぅ……何故かこっちが恥ずかしくなって、顔が熱くなってきてしまった。
「ははっ、んな細かいことは気にすんなって!アタシはアンタに裸を見られたって全く恥ずかしくないっての!」
「アイーダさんは気にしなくても僕は気にするんです!」
そんな僕の気をよそに、ケラケラと笑うアイーダさんはというと。
「んなことよりほら、アンタも入れよ、っと!」
目を隠しているせいで何も見えない僕の足を掴んだかと思うとそのまま湖へと引きずり込み……。ズバン!と大きな水しぶきをあげて入水することに。ひんやりとした水が全身を包み込んでたまらず身震い。もう、目を隠している場合じゃあない。
「うわぁ……服がビシャビシャだ……」
「んな細かいこと気にすんなよ。それよりほら、気持ちいいだろ?眺めのいい場所で水に浸かってると、悩みなんて吹っ飛んじまうよ」
既にアイーダさんのペースに呑まれ続けている気がする。もう裸なことについてこれ以上何を言っても変わらない気がしてきたので、アイーダさんを極力視界に入れないよう、僕も下着以外を脱いで、湖に浸かりながら空を仰ぐことにした。
クレアさんの冷却魔法のおかげで熱さは凌げていたものの、全身にびっちゃりと付いた汗は気持ち悪かったので、こうして水で洗い流せると気分はすっきりした。
こうしてゆったりと湖に浸かっていると、アイーダさんが口を開いた。
「アンタ、悩みがあんだろ。なんでも聞くぜ?」
「……え?」
「アンタが自分の夢を語ってる時さ。思い詰めてる様な顔をしてたから、気になってたんだ。夢について何か悩みでもあんのかなって」
アイーダさんは写し絵に夢中になってたもんだと思っていたのだが、しっかりと周りのこともみていたようで。
正直なところ、図星だった。
「まぁ……その通りです」
「写し絵の力で戦争を止めるってのが夢なんだろ?そりゃあ悩みもするさ。あまりにも壮大で、無謀。実際に自分がその夢を叶えている未来が想像できないんだろ?」
……言葉は返さず、僕は静かに頷くことで応えた。
彼女の言葉は、全てその通りであったからだ。まるで心の中を見透かされているような気分になる。
「よくわかるよ、その気持ち。アタシも同じだからさァ」
「アイーダさんも、ですか?」
意外だな、悩みなんてなさそうなのに。そう思って思わずアイーダさんの方へと向きそうになって。褐色の肌が見てた辺りで慌てて顔を逸らす。そういえば裸なんだった。
「にひひっ。まぁ、ね。アタシさァ、本当はさっさと里なんか出ていって、世界中を歩き回りたいんだ」
「世界中を?」
「おうともさ。見たことの無い景色、たまんないだろ?……でもさ、これでも一応里長の娘だ。親父に何かあった時はアタイが里の面倒を見なきゃいけなくてよ。だから、里の外に出ることなんてほとんどできなくて……この湖に来るのが精一杯さ」
夢を語るアイーダさんの声は出会った時と同じように荒々しさが残っていたものの、どこか悲しげでもあるように感ぜられた。
あの時。僕が雲海の写し絵を見せた時、アイーダさんが目を輝かせていたのも、その夢が理由だろう。
アイーダさんにとっての世界はドワーフの里と、この湖だけ。狭い世界で生きてきたからこそ、外の世界に憧れる。その気持ちは……僕にも痛いほどわかってしまって。なんとも言えない感情が、ふつふつと湧き出てきた。
「アタシもうずっと、この里から離れることはできないんだなって。そうわかっていても、世界を巡るって夢をどうしても捨てきれない。アンタも似たようなもんだろ?」
「……そうかも、しれないです」
僕も心のどこかでは、自分の夢なんて叶うわけないんじゃないかと考えていたのは間違いじゃない。クレアさんは『きっと叶うから、一緒に頑張ろう』と励ましてくれるし、彼女の魔法の力を見ていたらなんでも出来そうな気になる。
でも、やっぱり。僕の夢は結局他人頼り。世界中の絶景を写し絵にすることも、クレアさんの力なしにはなし得ることのできない夢だ。
だからこそ、夢に向かって頑張りたいと思う自分もいれば、それとは反対に夢を叶えるなんて無理なんじゃないかと、諦めかけてる自分もいた。
「僕という人間はあまりにも小さいから……戦争なんてものを止めるだなんて、無理なのかもしれないですね」
「ははっ、たしかにアンタは小さくて可愛げがあるけどさ」
「そ、そういう意味での小さいってことじゃあ」
「わかってるさ。ちょっとからかっただけ」
小馬鹿にされてるようで悔しいが、否定はできない。
水面に映る自分の姿を見てみた。首にかかるほど伸びた黒髪に、まん丸としたオッドアイ。15歳の僕は、多分年相応の顔をしてるのだろう。
と、そんなことを思っていると、水面がユラユラと揺れ動く。何事かと顔を上げてみると。
「大丈夫だぜ、ユアン。アンタは何にも縛られてないんだ、夢に向かって真っ直ぐに進めばいいさ」
目の前までやって来たアイーダさんが、僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。引き締まった褐色の体と、微かに揺れる2つの山。そして、水に濡れてべったりとなった前髪の隙間から覗く、透き通るようなルビーレッドの瞳が順番に僕の目に入って。
前かがみになったアイーダの姿に、僕は顔中が燃えるように熱くなっているのがはっきりとわかった。
「諦めちまったら、夢は絶対に叶わないんだぜ?だったら、誰かの力に頼りっきりになってでも。無謀だろうと是が非でも叶えてやるんだ!って堂々としてな……って、あれ?」
アイーダさんの目線が、上から下に。そして、下から上に。最後に、真っ赤になった僕の顔を見て、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「あちゃー、思春期の男の子には刺激が強すぎちゃったかな?」
「か、からかわないでくださいよ!」
真面目な話をしていたはずなのに、そんなことを忘れたように笑うアイーダさんは、何だか楽しそうである。正直に体が反応してしまう自分が恥ずかしい……。
「まぁまぁ、アンタがもうちょーっと大人になったら、相手してやってもいいぜ?」
「なんのですか!?」
「言わなくてもわかってんだろー?この正直者め!」
面白いおもちゃでも見つけたようにはしゃぐアイーダさんの距離感はあまりにも近く、意識して目を逸らさなければ、色んなところが見えてしまいそうで。僕が狼狽えている様をも楽しんでるんだと思うと、何がなんでも平常心を保ってやろうと決心する。
「はー、楽しかった。こんなに笑ったのはいつぶりかね」
「ぼ、僕はちっとも楽しくないですよ!」
「そーんなこといって、ほんとはもっとアタシのこと、見たいんじゃない?」
散々僕のことをからかい、腹がよじれる程笑ったアイーダさんは、満足気に湖の中で座り込む。
最後の言葉は無視することにする。
「裸の付き合いってのも、悪くなかっただろう?」
「まぁ……否定はしません。とても悩んでいられるような状況じゃなかったもんで」
「そんな拗ねんなよー。アタシは、アンタと親睦を深められて大満足だってのにさ。アンタもどうだ?ちょっとはスッキリしたんじゃない?」
確かに、夢についての不安も、アイーダさんに話したおかげで気分は良い。完全に消えた訳でもないが、前に進む勇気も、元気も湧き出てきたような感じだ。
「おかげさまで。頑張って夢を、叶えようと思いました。ありがとうございます、アイーダさん」
「うん、素直なのはいいことだぜ?」
「アイーダさんも、諦めないでくださいね」
何を?と返すアイーダさんと。肩と肩がくっついてしまいそうな程の距離で、共に空を見上げながら語らう。
「夢ですよ。世界中を歩き回るって夢。絶対に、叶えましょうね」
「…………あぁ。叶えてやるさ、絶対に。お互いに頑張ろうぜ、約束な?」
そう言って差し伸ばされた手は、握手を求めているようで。僕は迷わず、その手を取った。
「もちろんです」
綺麗な月夜の下で、僕達は二人だけの約束をしたのだ。
破るわけにはいかない。きっと、アイーダさんは僕に期待してくれてるから。その気持ちを無下にする訳にはいかない。
心の中でそう強く決心し。僕は最後に言った。
「それはそうと、男の前で裸にはならないでくださいね!絶対に!!」
「そりゃあアタシの自由だっての!」
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