7. 芝生と鍵盤

 約束通り、30分後にユウヒと合流した。

 コーヒーを1杯だけ買って、向かった先は近くにある大きな公園。ジョギングにぴったりな遊歩道や、ピクニックが気持ちいい芝生があって、閉園まで何時間居座っても怒られない。学生にとってはありがたい定番の遊び場。


 クリストファーのおかげで、道すがらの話題には困らなかった。それについては、ちょっとだけあの人に感謝してもいいのかな。


「災難だったね。僕も、キングには初対面で子分扱いされたから、君の気持ちはなんとなくわかるよ」

「う、うん。車に乗せてくれそうだったけど、断ったよ」

「ほんと、困った寮長様だな。それでも憎めないのが不思議だよ。だから人気者なのかな」


 私たちは芝生に座り込んだ。まだ日が出てるし、コーヒーもある。外は気持ちよかった。


 どこかの家の子どもが、必死に2本足で芝生の上を歩く。裸足だから、きっと足の裏がちくちくしてくすぐったいんだろうなあ。歩くたびに、鼻の辺りをムズムズさせて、見守る若い男女の方を振り返る。


 寝転がって空を眺めていたユウヒは、私の視線の先に気づいたみたい。


「君、子ども好きなの?」

「あ……。あれぐらいの子なら」

「じゃあ、苦手なのは?」

「……初等学校エレメンタリースクールの小さい子は、少し苦手」

「7・8歳なら、話が出来るようになって、面白いんじゃないの?」

「ニコニコしてればいいんだけどー……。泣いてると、ちょっと辛くて」

「嫌なことでも思い出す?」


 ユウヒに顔がなくてよかった。きっと、私のこと見てるんだろうけど、どんな顔でユウヒがこっちを見てるのか、わからないから。

 それでも私は、急いで明るく言った。正解かはわからないけど。


「で、でもね、グミが好きになったのはその頃なの」

「長い付き合いなんだね」

「人生の半分はグミと一緒だよ」

「虫歯になりそうだ」

「ならないよ!」

「冗談だよ」


 ユウヒの肩が、背中が揺れる。足をバタバタして、ユウヒは笑う。芝生の空を飛んでるみたい。

 それと、私も笑ってた。気づけば、言葉は頭の中で落ち着いて、なんてこともないように、私はユウヒと話してた。



 少しして、ユウヒは思い出したように人差し指を振った。


「昨日、君の友達が喧嘩を止めたの、かっこよかったね」


 クラブ・ジャックに行ったのが、なんだかすごく昔のことみたい。


「う、うん。びっくりしたよ……」

「シンイーが、あの子のこと気に入ってたよ。セキュリティとして雇いたいくらいだって」

「クララ、多分喜ぶよ。あの後、嬉しそうだった」

「あの子がクララか。グミパーティーの時、僕と話してくれなかった子だ」

「ちょっと不思議だけど、いい子だよ」

「ってことは、あのクールそうな子がビアンカ?」

「うん」


 そこまで返事して、私はふと考えた。

 昨日、私たちはちっとも喋ってない。ユウヒはステージの上、私はダンスフロアの隅っこ。私たちは、ユウヒに近づくことも出来ないままで、シンイーにお礼を言って帰った。


「……なんで知ってるの?」

「そりゃ、ステージから君を探してたんだよ。楽しんでるかなあと思って。音が苦手だって言ってたのも、気になったしね」


 なんて返事すればいいの?

 「大丈夫だよ」はおかしいし、「ごめん」も違う。「そっか」は味気ないし、じゃあ、なんて言えば?


「た、楽しかったよ!」

「それを、直接聞きたかったんだ。今日はいい日だ」


 正直に言っただけなのに、なんだか頭が煮えくり返りそう! コーヒーのせい? なんだか体がポカポカしてきた!

 また頭の中がぐるぐる回る。言葉は、転がりながら口を飛び出す。


「あっ、あの曲、なんの曲なの?」

「どの曲?」

「は、蜂蜜とクッキーが甘い……」

「ああ、それかあ」


 ほんの少し風が強くなって、草の香りがする。どこかで、犬が走りながら吠えている。それにびっくりした子どもは、ぼてっと転んだのに笑い声を上げてまた走り出す。

 ユウヒの背中が笑う。彼は、指揮者みたいに両手の人差し指を振った。


「ずっと前に、クラブの企画で作ったんだ。お題を出されてね」

「お題って?」

「当ててみて」

「……ダイエット?」

「確かに、ダイエットは辛いだろうね」


 街路樹が揺れる。ハロウィンパーティーが終わる頃には、葉っぱの色は変わってるんだろうなあ。そしたら、こんな風に芝生に座っておしゃべりするのには、向かない冬が来る。


「恋だよ、恋」

「こっ、恋?」


 唐突な単語に、私の声がひっくり返る。だって、恋だなんて! 驚かない方がおかしいよ。あの曲に、恋の要素なんてあった?

 それでもユウヒは、なにもおかしいとは思ってないみたい。


「僕は恋が出来ないからさ、想像で作ったらみんなにウケたんだ。よくも悪くも、インパクトはあるみたいだね。1回しか聞いてない君でも、うっすら覚えてるくらいには」


 恋が出来ない。

 

 それって、どうしてそうなの? 16歳の今までも、これからも、ずっとそうなの?

 あ、違う違う、聞きたいのはそういうことじゃなくて……。ええと……。

 ちっとも、うまい言葉が出てこない。


「そ、それ、どういうこと?」

「恋って、情報量が多そうだろ? 多分、この機械頭のスペック的に無理なんだ。朝から晩まで同じことを考えてたら、処理が追いつかなくてそのうちシャットダウンする」

「……それ、本当?」

「僕は冗談を言うけど、嘘はつかないよ」

「き、機械頭の人って、みんなそうなの?」

「普通なら、生身の頭と同じように使えるさ。僕は単純に、安物を使ってるだけ」


 ユウヒは、機械頭を指でつついた。人型だったら、こめかみ辺りを触ってたのかもしれない。


「まあ、心臓病の人が、あんまり走らないように気をつけるのとおんなじだね。人生の半分くらいこの頭だから、慣れたもんだよ」

「……音楽は、続けて平気なの?」

「生身の頭の頃からやってたことは、そこまで負荷がかからないんだ。とっとと初恋を済ませておけば、この頭で女の子と上手にキスする方法ぐらいは、思い付いたかもしれないけど」


 大したことじゃないような口ぶりに、流されそうになる。でも、それって大変なことじゃない? 頭の機能に、感情が制限されてるってこと?


「い、今のところ、どういう風にする予定なの?」

「うーん。相手によるんだろうけどー……」


 私が今聞くべきことって、そんなことじゃないのに! 変なことを口走っても、ユウヒはいつもの世間話みたいに答える。


「きっと、砂糖みたいに素直な言葉を吐いて、相手の手の甲に機械頭の下の方を、くっつけるんじゃないかな」

「ああ……、あの、おとぎ話の王子様がやりそうな」

「そうそう。それで気持ちは伝わる?」

「えっ?」


 食べようとしていたグミが、手からぽろっと落ちてしまう。でも、私がそれに気づいたのは、ユウヒが芝生からグミを摘み上げてくれた時。

 グミを私の膝の上に置いたユウヒは、楽しそうに肩を揺らして、声を弾ませた。

 

「伝わりそうだね。よかった」


 頭の中が、ぐるぐる回る。ユウヒの言葉もぐるぐる回れば、へんてこな違和感も、ぐるぐる回る。

 相手に思いを伝えるって、どういうこと?

 ありがとうも、ごめんなさいも、それさえ言えなかったとしても?

 もう、伝える相手がいなかったとしても?

 もちろん、そんなこと誰にも聞けない。



「そうだ! 恋の歌は、まだあるんだよ。やってみようかな」


 ぴょんと飛び起きたユウヒの声で、頭のぐるぐるはどこかへ吹き飛んでいった。私がうなづくと、ユウヒは満足そうに指を曲げ伸ばしして、左手首の腕時計を操作する。それが、彼のデバイスみたい。


 デバイスが空中に映し出したのは、ユウヒの肩幅よりも少し大きい鍵盤。通信画面と同じで、半透明に光ってるから、ちょっと見えにくいけど。鍵盤の上にはボタンやつまみがたくさんあって、いくつかをユウヒが指先で回し始める。


「夕方のピクニックにぴったりなアレンジにしてみるよ」


 鍵盤を手元に引き寄せると、細長い指がその上を流れるように踊った。バラバラな声色の、ちぐはぐな機械の声が言う。


『拗ねる』

『聞かせて』

『ずっと遠く』

『僕』


 なんのことかよくわからない。でも、ユウヒは嬉しそうに指を何度か空中で振ると、ボタンを1つ押して、リズムを刻み出した。


 鍵盤の上で、猫が弾むみたいな軽い音色。水たまりの上ではしゃぐ雨粒みたいに、バラバラと繰り返された言葉は、やがてひとつの曲になる。


『どうして拗ねるの? さっきまで楽しく話してたのに

 君を遠くに感じるよ 今までよりもずっと遠くに

 どこかにいるんだろ? 逃げ出したいならそうしなよ

 でも振り返った時に 僕がいなかったらどうする?


 違うよ違うよ そんなことじゃない

 もっとうまく言えたらいいのに 君の声を聞かせてって』


 ぽんっ。

 童謡みたいな和音で曲を閉めると、ユウヒは自分で小さく拍手した。近くで、もっと小さな拍手が聞こえる。どこかの子どもが、音楽につられて踊ってたみたい。若い男女が、こっちに軽く手を振る。ユウヒも手をひらひら振って、子どもは拍手しながら男女の元に走っていく。また転ばないといいけど。


「……前の曲よりも、恋の歌っぽいね」

「実感が伴ってるからね」

「そ、そうなの?」

「これさ、機材を修理してる時に思い付いた曲なんだ。大事な機材だったから、どうしても自分で直したくって」

「え?」

「だけど、みんなが恋の歌だって言うから、そういうことになってる」


 なにもかも、大したことないって言う風にユウヒは笑う。


「みんなが踊れなきゃ、音楽なんて作ったって意味ないからね。踊るためには、そういう思い込みも必要さ」


 ユウヒが、黒い頭の中でなにを考えてるかはわからない。もしかしたら、いつまで経ってもわからないままだったのかもしれない。


 だって私は、彼の頭の中で起きていたことを、なにひとつとして想像出来なかったんだから。

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