Disc.2 僕らについてのいくつかの話を
Mon., Oct. 2
6. 浮かぶ足と車
月曜日はドタバタと通り過ぎて行く。始まるまでは嫌なのに(特に、昨日の夜は踊ったし)、いざ始まるとあっという間。そうそう、こんな感じだったよね……って思いながら、廊下を大急ぎで移動して、次から次へと授業を受ける。
授業が終わると、メイリはダイナーでアルバイト。私は、シニアホームでボランティア。今時、人が人を介護する、贅沢なホーム。
単位取得のために始めたけど、車椅子のおばあちゃんと中庭を散歩する時間は、のんびりしてて好き。昔遊んだダンスクラブの話とか、まだ車もバイクも宙に浮かなかった頃の話とか。レトロな思い出話を、何度も聞かせてくれる。
「あなた、お幾つなの?」
「16です」
「やだあ、若いわねえ。学校は楽しい?」
先週と同じ会話だけど、私は気にしない。ボランティアは何人も来てるし、ホームにも入居者はたくさんいる。お互い、顔と名前と話題を全部覚えていられないのは、年齢のせいだけじゃないもの。
それに、今日は新しい話題もある。
「週末に、ダンスパーティーがあったんです。たくさん踊りました」
「あらあ、いいじゃない。わたしもよく、たくさん踊ったのよ。デイヴィッドと会ったのもその頃で……」
誰かの名前を口にした後、車椅子に座ったおばあちゃんが、いきなりくるりとこちらを向いた。まるで大事なことを思い出したみたいに。
「キングになったのよ!」
「え?」
「わたしの孫よ。かわいいかわいい、クリストファー」
珍しい名前じゃない。それに、今はダンスパーティーの時期だから、たくさんのキングとクイーンが誕生してるはず。だから、あのクリストファーが、“かわいいクリストファー”だとは限らない。
そう思って、話を続けようと思ったら。
「ばあちゃん、元気そうだ」
ベンチから立ち上がる、あの大男が見えた。
我らがキング、クリストファー。赤いブルゾンに黒いデニムに真っ黄色なゴツゴツしたスニーカー。穏やかな庭らしからぬ、目がちかちかする存在感。
おばあちゃんは、その声と姿に大喜び。駆け寄ってきたクリストファーに手を伸ばす。
「あんたぁ、よく来たねえ」
「今日はフットボールの練習が休みでさ」
クリストファーは、彫刻みたいな顔でこっちを見た。直視するのは怖い。私は、近くのベンチに車椅子を寄せながら、クリストファーから目を逸らす。
体の大きなクリストファーには、ここのベンチは低いみたい。長い足を持て余すように組んで、おばあちゃんの手を握る。ゴツゴツした手。
こういう風に、家族の面会があった時のマニュアルがある。それに従って、私はクリストファーに声をかけた。
「どうぞごゆっくり。あと30分でストレッチのアクティビティが始まるので、それまでにはあちらのドアからホーム内に戻ってきてください。アクティビティにはご家族の方も参加できますので、お時間あればどうぞ」
クリストファーは軽く手を挙げてそれに応じると、おばあちゃんと話し始めた。話は弾んでるみたいで、私が中庭を出ていくまで、2人の会話、特によく通るクリストファーの声が、ずっと聞こえていた。
アクティビティが終わったら、ボランティアは解散。このシニアホームは、寮から歩いて10分くらいだから、私はいつも徒歩で行き来してる。
いつもならのんびり歩くけど、今日は少し急ぎ足。私には珍しく、この後予定があるから。
耳たぶに触れて通信画面を出して、昼過ぎにやりとりしたユウヒからのメッセージを見る。
『昨日は来てくれてありがとう。直接お礼を言えなくて残念だったから、今日一緒に遊ばない?』
だから私は行こうって返事して、ボランティアが終わったら連絡するねって言ったんだった。
「もしもし、もしもし」
まだ通話は繋がってない。これは発声練習。それじゃ、いくよ。
思い切って、画面に表示される名前に触れた。無機質な呼び出し音が、何度か鳴る。
『やあ』
「えっ」
『どうしたの、かけてきたのは君だろ?』
ユウヒが笑う声がする。確かにそうだよね。私が通信繋いだんだから。
「あっ、ボ、ボランティア終わったから、通話、かけたの。い、今歩いてる」
『ああ、ありがとう。お疲れ様』
「ユ、ユウヒはなにしてる? この後、大丈夫?」
『あと少しで点滴が終わるから、大丈夫だよ』
「て、点滴?」
『食事が出来ない分の栄養を、首から下に与えてるのさ。毎日やってるんだ、大したことじゃないよ』
「あ、そうなんだ……」
本当にそうなのか、それとも本当は大したことなのか、私にはよくわからない。でも、ユウヒがそうやって言うなら、あんまり気にしないことにする。
『そしたら、30分後に寮の前で待ち合わせようか』
「わ、わかった。どこ行くの?」
『30分で考えとくよ。そこら辺でコーヒーでも……飲んでる君を、僕が見守ろうかな』
「もう、なにそれ」
『じゃあ、また後で』
通信が切れると、なんだか足元がふわふわ浮かぶみたいな気がした。なにこれ。どうしたんだろう。前よりうまく話せたから?
寮に戻ったら、メイクを直して着替えなきゃ。どこに行くかわからないけど、いつも通りでいいよね? いつも通り? いつも通りってどんなだっけ?
思わずスキップをしそうになった時。
車道から、クラクションが聞こえた。急な音に心臓が大きく鳴って、その場に立ち止まる。
大きく深呼吸。大丈夫、大丈夫。あれはきっと、私には関係ない音。
「よお、
最悪。声は、私のほうに向かって飛んでくる。
振り返ると、そこには派手な青のオープンカーがぷかぷか浮いていた。運転席にはクリストファー。他には誰も乗ってない。クリーム色の革のシートがぴかぴかに光っている。
また音を鳴らされたらどうしよう。そう思うと、自然と体が後退りして、歩道の脇の芝生に片足が入っちゃう。
でも、クリストファーはそんなのお構いなし。
「お前、俺と会ったことあるよなあ?」
「さ、さっき、ホ、ホームで会った……」
「違ぇよ、もっと前からの話だ」
クリストファーはドアに片腕を置いて、どかっと背もたれに身を預けて座ってる。なにこの状況。嫌な汗が背中に滲むのがわかる。
車道の信号が青に変わっても、クリストファーの車はその場に浮いたまんま動かない。
「し、信号、青だよ……」
「お前、ユウヒの女だろ?」
「え?」
「ドローン持ってった時、あいつが話してたのお前じゃねぇの?」
「そ、そうだけど……別に、ただの、友達だよ」
「へぇ、友達ねぇ」
にやにやからかうように、整った顔を揺らして笑う。私は車の青を見ているから、クリストファーの顔はよく見えないけど。
すると、視線の先の運転席のドアを、クリストファーが平手で叩いた。
「地味子。お前、名前は?」
「ギ、ギーゼン……」
「そりゃ
「……野菊」
「よし、野菊。乗せて帰ってやる。乗れよ」
「そ、それはー……。ちょっと、無理……」
「俺の誘いを断るなんて、お前、本当に人間か?」
まるで、空が上から落ちて来るみたいに、クリストファーは顔を歪めた。理由は想像してた通り。
「俺の助手席に乗りたいやつが聞いたら、キレるぞ」
「……あの、だからあんまり、い、一緒にいるところを、あなたのファンに、見られたくないの」
「まぁー、めんどくせぇもんなぁ、世の中」
「だ、だって、あなたって、ほら……」
「住む世界が違うもんな」
「そうそう! そうなの。だから、そっとしておいて!」
顔を上げたら、クリストファーは目を丸くしていた。彫りの深い顔、青い瞳がこっちを見てる。
それはぴたりと私の視線と重なる。だから私は、思い切り目を逸らした。
目の片隅に見えたのは、笑い出すクリストファーの真っ白な歯だった。
「なんでそこで満面の笑みなんだよ、意味わかんねえ!」
どうしてだか知らないけど、クリストファーはご機嫌みたい。ミュージカルのスーパースターみたいに、歌い出しそう。
「ユウヒのお友達ならよぉ、人気者の俺をクラブのDJに雇った方がいいって言っとけよ? なんであいつが出来て、俺にやらせねぇんだって」
「……で、でも、あなたこの前、ダンスパーティーでDJしてたでしょ?」
「ふざけんな、あんなところでやってなんになるんだよ。俺は、クラブ・ジャックで回してぇの」
ごつごつした手が、ハンドルを叩く。この人、車に愛着とかないのかな……。お金持ちだから、私と感覚が違うとか?
「……あ、あなたも、曲作ったり、するの?」
「はぁ? 俺はこまけぇこと担当じゃねぇんだよ。音楽なんてこの際なんだっていい。ジャックで回せりゃ、それでいい」
私は、音楽のことなんてよく知らない。だけど、ユウヒがDJの準備をしたり、クラブ・ジャックで音楽の中にいた姿は、そういうものじゃなかった気がする。だって、ユウヒの音楽で踊った時、その真ん中にいたのは、ユウヒじゃなくって音楽だった。
「……その考え方は確かに、ユウヒとは、違うのかもしれないね」
「まぁ、愛しの地味子ちゃんが言えば、あいつが俺を認めるかもしれねぇからな。言っとけよ?」
「……今日、ホームで会った話は、するかも」
「それは色んな奴に言いふらせ。“クリストファーは家族思いの素敵な紳士”ってな」
「……し、紳士は、道端で下級生を引き止めるなんて、しないでしょ?」
こういう会話を、簡単に受け流す会話のマニュアルがあればいいのに。丸ごと暗記して、今まさに使いたいくらい。
クリストファーは大袈裟なため息をついて車のハンドルを握った。
「そんじゃあな、地味子」
勢いよく車は飛び出して、あっという間に見えなくなった。ほっとして、肩の力が抜ける。ああ疲れた!
……っていうか、地味子ってなに、地味子って。
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