第5話
しかし早田には母親らしき人は会いに来ませんでした。女としての美貌は持ち合わせていればいるほど血の繋がったものにだけわかる霊的な直感は感じない。女としての美しさと母としての美しさは違うのです。ですから早田は女が来ては1目見て追い返し、誰も来なくなったらまた探しに行きと街を流浪人のようにフラフラと回っていました。
寺と街とを往復する日々はつむじ風のように過ぎ去って秋、冬、春、夏、また秋となったころ早田はまだあきらめてはいませんでした。苦しめば苦しむほど阿弥陀如来の試練だと思って、またあの占い師の言葉もあって見つからないだろうということは露ほども思っていないのでした。ただ気になってあの占い師のところに何度か行っても会うことはかないませんでした。やはり仕事が上手くいかないと田舎に引き下がってしまったのか。どう想像しても人に聞いても早田は答えにたどり着くことはできませんでした。
その年その街一体で豊作となりまして、特別に豊作祭りが開かれることになりました。しまったばかりの法被をもう一度引っ張り出して人々は揃った文様に我を忘れて楽しむのでした。早田もぜひそれに参加したいと思いまして住職に言って特別に夜外に出してもらいました。普段は「君子危うきに近寄らず」と夜は必ず寺に帰るよう命じられてきましたが祭りを危うきと申すのは失礼だと説いたところなんとか納得してもらったのです。
いつものように南門から入るともう祭りは始まっていたようで人に人が重なって罵声に嬌声が混じりあっていました。早田ははやくも母の手がかりが遠のいたような気もしましたが、ここまできたらせめてお師匠様に土産話の1つでも持って帰らねばと散策がてら大通りを人の流れに身を任せて歩くのでした。
土ぼこりが舞う通りの左右には先が見えなくなるほど店が立ち並んでいて見なれたおやっさんもいれば見たことのないうら若き女性も店番をしているのでした。特に酒が飛ぶように売れていて大抵男は顔を真っ赤にしているものでしたから帰って色の白い早田は目立つようでした。
「おお早田の兄ちゃん! どうだいいっぱい」
「いえ私は遠慮しときますよ」
「なんだい付き合い悪いなぁ」
「ははここで飲んだら寺を破門されるかも分かりませんから」
早田はほとんど同じ答えをして酒を飲まないようにしていましたが、暴漢というのはそんなものでは止まらないものでした。
「なんなら俺が飲ませてやるよ! 頭からなぁ!」
あっという間もなく早田の頭の上から勢いよく酒が流れ落ちて髪からくるぶしまで苦い匂いで埋めつくされました。
「ははは! 酒もしたたるいい男とはこのことだい!」
そう言いながら酒をかけた男は得意な気分になって今度は女に絡んでいくのでした。なかなか強い酒だったものですからかけられた拍子に飲みこんだ分だけで酔いがまわってきました。特に早田は酒に対する耐性が弱かったのもありましたので頭が痛くなって焦点もままならなくなって千鳥足とはいかないまでも苦しそうな歩き方になったのでした。
そのときです。突然目の前でピンク色が転がりました。よく見ると幼い少女のようで、大人の流れについていけずに転んでしまったようでした。早田はあっと思って止まりましたが後ろからわけも知らない大勢が押し寄せてきます。結局その力には抗いきれずに早田は少女に覆いかぶさるようにうずくまりました。
後ろの人も避けてはいきますが大抵は酔っているものですからぶつかる人も出てきます。早田は右手の甲に鈍い痛みが走るのを耐えていました。ぐいと肉がねじれてちぎれるかと思った時にふっと離れてヒリヒリとあとに残る感覚が早田の脳をいっぱいにしました。
すぐに騒ぎが大きくなって早田を取り囲むように円ができました。もう大丈夫だろうと顔を上げると少女は泣いていました。
「もう大丈夫ですよ」
と頭を撫でてやると少女は早田の酒臭さにも関わらず抱きついてきました。ようやくことの次第を理解した群衆からは拍手やら口笛やらが飛んできましたがあまり早田には聞こえていませんでした。
「お母さんやお父さんは?」
と早田が聞いても首を横に振るだけで少女はこたえようとしません。着ているものが破れているとか頬がこけているわけでもありませんでしたので後見人はいるのでしょう。ただとにかくこのまま放っていくわけにも参りませんでしたので
「あなたの家はどこ?」
と聞いて見ましたがやはり少女は首を振るばかり。このまま自分のことを口にするつもりはないのでしょう。
「それならとりあえず家にいきましょう。部屋の数が多いばかりの寺ではございますが」
と聞くとやっと少女はうんと頷くのでした。
「ははそれがいいそれがいい! 迷子だろうとお寺さんなら安心だ。物騒なこの俗世じゃ不安で夜も眠れねぇよ!」
「お前さんはどうせ飲みすぎですぐ寝ちまうよ!」
周りが一斉に笑い始めました。早田もこれだけ証人がいれば問題ないだろうと少女を連れて南に向かって歩くのでした。
門から離れるほど夜は暗くなります。少女はどんどん不安になって目がうるうると滲むのでした。
「私がついてますから大丈夫ですよ」
と右手で少女の頭をなでようとした瞬間早田はふいに立ち止まりました。先ほどふまれた時にできたのでしょう。甲はあざになっていてわずかな光に反射する青黒く染まった早田の手はこれまでに見たことのないほど醜いものなのでした。これはと早田は思いました。このあざと母親の醜さがつながる光の線が確かに見えたのでした。
「このあざは.....」
少し先を歩いていた少女は不思議に気づいて戻ってきました。
「.....どうしたの?」
「いやあざができちゃったみたいで」
「.....見せて」
早田は屈んで少女の顔の前に手を差し出しました。
「.....ごめんなさい私のせいで」
「君のせい?」
「.....うん。私をかばったせいで」
いつもなら優しく否定してあげる早田もこの時ばかりは頭が冴えていてあざと少女とが結ばれたのです。
「ああそうか。そういうことか」
「.....え?」
「いや。私には全てわかってしまったんだ。あなたは私の母なのですよ」
少女はわけのわからないといった風に首をよこにカタンとかたむけました。それがあまりにも勢いよくいったものですから早田もおかしくなって笑いだし、歩けないといった感じで腰を下ろしました。
「母はきっと死んでしまった。私の知らないうちに。けど母は仏を信じてなかったからまた成仏できずにこちらの世界へ戻ってきてしまったんですよ。そしてあなたになった。」
少女はやはり意味がわからないと言いたげに首を戻さず横に向けたままじっと早田の目を見つめていました。
「.....あなたには少し難しい話だったかもしれませんね。まあ良いでしょう。寺に帰った時にゆっくり話すとしましょう」
重い腰をあげてぐっと背伸びをした早田は空の上に月が浮かんでいるのを見つけました。満月が近くふっくらとした柔らかな金色の光を放って月は輝いていたのでした。
ふまれた 大箸銀葉 @ginnyo_ohashi
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