第4話

 ちょうど日が天高く昇ったころ早田は国境をくぐりぬけ、往来をなんともなしに歩いていきました。中心街にはまだほど遠いものの市がたっていて人も多く集まっているようでした。

「いらっしゃい! この辺じゃ珍しい瀬戸物の皿だよ!」

「今日の朝とってきたばかりのホタルイカはいかがかね!」

「優れた蚕の優れた糸だけで織り込んだ反物はどうだい。質は1級品とほぼ同じ。けど格段に安いよ!」

方々から活きの良い声が響き渡っていました。情緒をかなぐり捨てたような場所に早田はクラクラしていましたがすぐにそのようなことも言ってられなくなりました。


 人々がこちらをずっと見てくるのです。確かに着の身着のまま駆け出してしまったために周りと比べると多少浮世離れしている所はありますが、特にみすぼらしいとか格調高いとか異常な点は見られませんでした。それどころかやたらと目が合うのです。最近の女子の間では人の目を見ては顔を赤らめてこそこそ走る遊びでもはやっているのかしらと不思議がりながら歩いているとふと日陰の小さな隙間があることに気づきました。

「ちょうどいい。あそこで少し座って一休みするとしよう」

早田は逃げるように店と店との隙間に入りこむと中は割と広くなっていて手入れのされていない部屋だったのでした。もう何年も空き家なのかと思っていたところに

「いらっしゃい」

との声をかけられたので早田は心臓が飛びだすかと思うほどびっくりしておそるおそるそちらを向くと

「あれお客じゃないのかい?」

と全身を黒い薄手のローブで包んだ年齢も性別もよく分からない人が椅子に座っていました。わずかに見える目のきらめきはまず男ではなく乙女のみが持ちうるものだとは考えても外の女子と比べるとどうも体つきが細くふっくらとしていない。むしろそのことが余計に目を輝かせているとさえ思わせるのです。


 蜘蛛が地べたをはいずっていました。全身ローブの乙女は客の前で失礼はいけないと捕まえようとしましたが早田が

「いけません。蜘蛛も生き物です。殺生はいけません」

というので合点して軽く外に逃がしました。

「それであなたは何者なのでしょうか」

「私はこの市の南口から山を登ったところにある早田寺からきました早田と申します。失礼ですがあなたは」

「ああ、お寺さんの。私はここで占い師をしています。貧乏ですがなかなかつぶれないで評判の占い屋です」

早田はこの乙女の偉く声が甘ったるいのが気になりました。猫なで声よりももっと甘くしたような、媚びるような声。乙女の生まれつきの声なのでしょうが早田は声の奥に酷い不潔を感じました。それがこの寂れて隔離されたような小屋に似つかわしいと思ったのでした。

「占いですか」

「ええ。お寺さんからすれば低俗なものかもしれませんが案外当たるものですからバカにはなりませんよ」

「よしきた。私を占ってくれ」

「はい、何を占いましょう」

早田は占いという言葉を聞いたときから願かけついでにも聞いてみたいことがあったのです。

「待ち人」

「待ち人、と申しますと誰なのでしょう?」

占い師の目の輝きが一瞬くすみましたが、早田は気がつくことはありませんでした。待ち人というのはどうも神社らしい言い回しだから寺の者が使うのは滑稽だったかなと考えているうちに元の通りに戻って早田の返事を促すのでした。

「それが恥ずかしい話なのですが、生き別れた母を探しているのです」

「まあ、それは。私ったら失礼なことを」

「いえ良いのです。私も隠そうとは思っておりませんでしたから。それはそうと私が母に会えそうかどうか占ってはみてもらえませんか」

「わかりました」


 それから占い師は早田の手のひらをじっくり眺めまわしたり、水晶をみたり、カードをみたり、そしてまた手相と顔の相がどうたらといって体をまじまじと見てようやく占いが終わったと言うのでした。

「お待たせしました。早速ですが結果から。.....待ち人はすぐ現れると思います」

「本当ですか! それはよかった」

「え、ええ。本当に」

早田は思った以上の結果に驚いて思わず占い師の手を取りました。

「あれ」

「あ、ああすみません取り乱しました」

「ふふ、いえいえいいのです。ただ気をつけていただきたいことが」

「といいますと?」

「待ち人.....その母親とは願った通りの再開とはいかないと結果が出ています」

早田は不思議に思いましたが占い師もそれ以上は分からないと言いたげに首を横に振ったために聞くことができませんでした。

「あくまで占いですから、正しくない場合もあるのですよ」

「いやいやそれは私が仏なんかいるかどうかわからないというようなものですから」

ふふと占い師は笑いました。


「そういえばあなたはあの遊びをなさらないのですね」

「遊び、といいますと」

「ほら、はやっているのでしょう? 人の顔をジロジロ見ては顔を赤くして走りさる遊びです。俗世には疎いもので私にはなにが面白いのかさっぱりなのですが.....」

占い師は首をかしげては

「さあ、仕事がら顔や手を見ることはあるのですが」

と言ってはそこら辺を歩き回ってなにか想像しているようでしたが突然ああなるほどと承知したように座りなおして

「それならば私も似たようなことをしているものですよ」

と言いました。けれどもこれ以上いくら早田が尋ねたとしても

「あまりにも恥ずかしいから女の口から言えるものではありません」

とかたくなに拒否するのでした。それではきっとこの占い師もベールの下で顔を赤らめているのかと無理に聞きたい気持ちを押しとどめて早田はあきらめて帰ることにしたのでした。

「それならば仕方ない。私も早速母を探しに参りましょう」

「それがよろしいかと」

草履をはいていざ店を出ようとしたところで早田は

「ああそうそう。お題を忘れていました。貧乏なものでこれだけしかありませんが取っておいてください」

と小袋を取りだして床の上にぽんと投げ、のれんをおしあげて外に出ていきました。占い師はずっしりと重く垂れ下がった巾着袋をみて

「はは。占いだけでこんなに稼げちゃった。変なお方」

と苦笑に近い微笑を浮かべるのでした。


 さてそれでは早田はすぐに母親に会えたかというとそうではありませんでした。そもそも顔もわからず声もわからず名前もわからず年齢すらよく分からない人をこの街の中から探し求めるというのは砂場にまぎれた砂金の1粒を見つけ出すようなものでした。それでも早田はあきらめることなく尋ね回ったのでした。天下一の色男が孝行のために母を探しているとたちまちに噂がたって一躍早田は有名人になったのでした。特に遊女街で男が口説き文句に「早田の母」を用いだすようになってからは艶やかな女性がわんさかと早田のもとにやってくるようになるのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る