第54話 「こーへいのヤリチン……」

 俺はいつかの公園にやってきていた。


 春香と一緒にピースケの散歩をした時に、ふらっと寄ったあの小さな公園だ。


『子供のころからしんどいこととかあるとここに来て、一人でぼぅっとしながらブランコに座ってるんだ』


 そんな風に言っていた春香の秘密の隠れ場所。


 つらい時に立ち直るための、その小さな小さな公園に――、


「春香、やっぱここだったか」

「こーへい……なんでここにいるし……意味わかんないし……」


 ブランコに座って、小さくキコキコ揺らしている春香はいたんだ。


 俺が春香に近づいていくと、春香は身体を一瞬ビクッとさせた。


 でもここまで走って疲れたのか、それとももう逃げられないと観念したのか。

 春香はブランコに座ったままで逃げたりはしなかった。


 その代わりに怒ってるような悲しんでるような、拒絶してるような――色んな感情のこもった瞳が俺をじっと見つめてくる。


 そんな春香の目の前まで俺はゆっくり歩いていくと、


「春香の家に行ったらいなかったからさ。ならここかなって思ったんだ。春香、言ってただろ? しんどい時はここで気分転換するんだって」


 俺は自分が出せる中で一番優しくて穏やかな声で言った。


「そういえば言ったね……ピースケの散歩してた時だっけ」


「まったくピースケには感謝しかないよな。春香と出会ったのもピースケがやんちゃしたおかげだし。今日もピースケのおかげでまた、こうやって春香と会うことができたから」


「あはは、じゃあ今度会ったら言ってあげて、きっと喜ぶよ。でもわたしはさ……うっ、ひぐっ……今はちょっとだけ……ぐす、ひとりに……なりたかったり……だし……」


 嗚咽おえつをこらえながらとぎれとぎれに言葉を紡ぐ春香の瞳から、一筋の涙がほほを伝ってこぼれ落ちた。


 そして一度決壊してしまった涙の川は、次々とあふれるようにこぼれ落ちていって――。


 必死に涙をこらえようとして、だけどこらえきれないでいる春香の顔を見た瞬間、


「春香――」

 俺の心はどうしようもないほどに締め付けられて、俺はもういてもたってもいられなくなっていた。


「春香――!」


 俺はもう一度強く名前を呼ぶと、春香への愛おしさを抑えきれずに正面から春香をギュッと抱きしめる。

 ブランコに座った春香の頭を、俺の胸のあたりで抱きかかえるような格好で。


「春香――」

 春香の頭を抱きかかえながら俺はその耳元で、三度その名前を呼んだ。


 だけど春香はイヤイヤをするように身体をゆすって、俺から離れようとする。


「やだ……離してよ……ひぐっ、こーへいは千夏がいいんでしょ……うっ、ぐす……わたしのことは……すん……ほっといてよ……」


 だよな。

 やっぱそう思っちゃってるよな。


 だから俺は、


「全部誤解なんだ。だからここではっきり言うよ。俺は春香が好きだ。千夏よりも春香が好きなんだ。これからも俺は春香と一緒にいたい。俺は春香に隣にいて欲しいんだ」


 昨日1日考えに考えた結論を、誤解なんて起こりえないように俺ははっきりと春香に伝えた。


 この1か月、春香とともに過ごして育んできた想いを。


 学校帰りに買い食いをして、早起きしてピースケの散歩をして、休みの日にはデートをして――。

 色んなことを2人でしている内に、気が付いたら大きく育っていた春香への恋心を。


 これからも春香と一緒にいたいって強く確かな気持ちを、俺はこれ以上なく簡潔に伝えたんだ。


 だけど、


「嘘だし……ひっく……屋上で2人でこっそり会って、キスしてたもん……うっ、ひぐっ、嘘つきなこーへいは大嫌いだし……」


 春香は俺の腕の中で、俺を糾弾しながら泣きじゃくるままでいて。


「嘘なもんか。俺は屋上で春香が好きだって千夏に伝えたんだよ。そうしたら、好きな相手からのろけ話を聞かされてムカついたって言われて、いきなりキスされたんだ」


「……そーなの?」


「おうよ」


「……でもこーへい、キスされてちょっと嬉しそうだったもん……」


「う”っ!? そ、それはその、あの、だから、えっと……嬉しくなかったかと聞かれたら、そういう気持ちが完全にゼロではなかったというか……」


「嬉しかったんだ……」

「ほんのちょっとだけな? ほんのちょびっと、さきっちょだけ」


「2回もキスされてたし……」


「う”えっ!? あ、あああ、あれはえっと、その、急なことすぎて完全に気が動転してしまったというか……!?」


「それで2回もキスしたの……?」

「……あ、はい」


「こーへい、さいあくだし……」

「……だよな、ごめん」


「こーへいのヤリチン……」

「ヤリチンでは、なくない……?」


 まぁ最後のは置いといてだ。


 春香に最悪と言われて、俺はもうほんと言い訳のしようがなかったのだった。

 文句なしにズバリその通りだったからだ。


 春香を好きだと言いながら、千夏にキスされて嬉しいと思ってしまった俺は、本当に最悪でクズでカスなクソ野郎だった。


 春香に問い詰められるのも当然だ。


 でもさ。


 それでも俺は春香に気持ちを伝えるんだ。

 何度だって説明して誤解を解くんだ。


 俺がバカをやったせいで、大好きな女の子を泣かせてしまったんだ。

 だったら俺がやらずに誰がやる?


 なにを言われたって構いやしないさ。

 春香の心を解きほぐせるのは、春香のことを大好きな俺だけなんだから。


 高校の入学式の日、やさぐれて不貞腐ふてくれていた俺を春香が助けてくれたように。

 今度は俺が、泣いてる春香を救い出してあげるんだ――!


 俺がもう一度春香に想いを伝えようと口を開きかけた時、


「でも……好き……」


「……え?」


 ふいに、俺の腕の中で春香が小さくつぶやいた。

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