第二部 春香とこーへい。そして千夏。

第26話 「こーへい、おっはー」

 翌朝。


 心のもやもやがすっかりなくなった俺は気持ちよく早起きをすると、最近ちょこちょこやり始めた朝のランニングへと出かけた。


 家を出てすぐのところで、


「こーへい、おっはー」

「おはよう春香」


 ピースケを散歩させている春香に遭遇した。

 遭遇したって言うか、


「もしかしなくても俺が出てくるの待ってたのか?」


「うん。って言っても5分くらいだけどね。いつも同じ時間に走るって言ってたから、待ってたら会えるかなって思って」


「もし俺が今日は走る気分じゃなかったら、どうするつもりだったんだ?」

「学校があるから朝まで待ってればいつか出てくるでしょ?」


「くっ……」

 その言葉はズバリ、俺が昨日春香に言ったカッコつけ台詞であり。


 昨日のあれこれ――俺の気持ちを正直に告げたりとか、逆に春香に告白されたりとか、あと特に最後のキ、キスとか――を思いだした俺は今更ながらに恥ずかしくて。


 だから俺は、自分でも分かるくらいに顔がカァッと火照ってきたんだけど、


「ううっ、なにこのセリフ恥ずかしすぎだし! わたしこんな恥ずかしいこと言われちゃってたの!? こーへいのばーか! この女たらし!」


 当の春香もまた、顔を真っ赤にしていたのだった。

 そしてなぜか事実無根の非難を受けている俺……。


 朝の住宅街でお互いに顔を赤らめたまま、しばらく無言で見つめ合ってから、


「た、立ってるだけじゃなんだし、ピースケ散歩させながら話そうぜ」

「そ、そうだよね。ピースケの散歩に来たんだもんね」


 俺と春香はひとまず、ピースケを連れて川沿いを歩くことにした。


「きょ、今日は良い天気だな」

「いい天気だよね」


「今日は雲が全然ないな」

「全然ないよね」


「……」

「……」


「か、風もないな」

「そ、そだね、無風だね」


 お互い昨日のことを引きずっているのか、そんな感じで最初はかなりぎこちなかったものの、


「あ、ピースケそっちはダメだってば。通るのはこっちの大きい道ね」

「ピースケは相変わらず、いつ見ても元気だなぁ」


「もう元気すぎて、すぐにいろんなとこに行こうとするんだよね」


 俺たちの微妙な空気なんて関係なくあっちにフラフラ、こっちにワクワクするピースケという存在がいてくれたおかげもあって、俺と春香はいつの間にか今までみたいに自然と話せるようになっていた。


 そしてこれまたすぐに、俺はあることに気が付いていた。

 決して勘違いや思い違いじゃないと思う。


 俺は意を決して聞いてみた。


「なんとなくその、今日は距離が近いような……」


 2人の肩や肘、手の甲が時々トンって感じて軽く触れ合うんだ。

 そしてそのたびに俺は、昨日の別れ際のキスの感触を、思い出さずにはいられなかった。


 触れ合う距離にいるんだから、ちょっとの勇気があれば春香と手をつなぐことだって可能だ。


 そして俺を好きって言ってくれた春香はそれを嫌がらないだろう、どころかその方が喜ぶんじゃないかとさえ思う。


 でも、だ。

 改めて春香と手をつなぐって考えたら、なんかすごく恥ずかしくなってきたんだよな。


 昨日の決意はいったいどこにいってしまったのか、俺が若干ヘタれていると、


「だって……距離縮めてるんだもん……」

 なんてことを春香が言ってくるんだよ。


「そ、そうか……わざとだったか……」


「距離を縮めたらもしかして、こーへいが手を握ってくれたりするかなーって、ちょっと期待したりもしてたんだけど……」


「それはその、ヘタレでごめんな……」


 昨日の夜の俺は、確かに何でもできそうな気分だったはずなのに。

 人間なかなか変われないなぁ……。

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