第3話

 しかしその日からご主人さまのペンはさっぱりすすまなくなりました。スランプというやつでしょうか。きのうまでのしごとがうそのようです。このままではすぐ「クリスマス」がちかづいてきます。人々の心も何だかうわついてくるようです。もしかしたら、そとをあるく人のうわつきがご主人さまにスランプをおしつけているのかもしれません。


 ご主人さまの心はどんどんおもくなりました。ネルとしゃべるかいすうもへりました。いえ、そうではありません。ネルはほとんどご主人さまのへやに入らなくなってしまったのです。


 ご主人さまはかくしていました。本とうはびんぼうないえなのです。ネルをたべさせるのがやっとでした。それでも足りないときは、おみせにはらいをつけといてもらって、としのせにはらおうとかんがえていました。そのきじつがせまってきたのです。ご主人さまはどうしようもなくてこまりはてました。そしてはじめて自分からネルをへやによんだのです。

「ネル。本とうにもうしわけないけど、きみにちょっとしたしごとをたのみたいんだ」

ネルは何もしりません。ことわるりゆうもわからないので、ただ「うん」とうなずくだけでした。

「ありがとう。ほんとうにありがとう。

 じつはね、へやのおしいれにたくさんマッチがしまってあるんだ。それをうってきてほしい」

「マッチ? なんでそんなものがたくさんあるの?」

おしいれをあけて、百はあるかとおもうくらいのマッチばこを目にしたネルがいいました。

「これはね、ぼくがむかし、生きるのがとってもつらくて、たよれる人がだれもいなかったときがあったんだ。そのときにかったものだよ。でもこれをつかうゆうきがなくてね。おろかなはなしだよ」

ご主人さまははずかしそうにいいました。ネルにはきっとなにをいっているのかさっぱりわからなかったことでしょう。

「うん。わかった。いいよ。ご主人さまのたすけになるなら」

「ありがとうね。じゃあさっそくだけど、今日のよるからおねがいできるかな」

「うん」


 ネルはゆうがたになって、まちにでかけていきました。



 さて、まちにつきました。だいぶいきが上がっています。ネルはかぶきどおりのなかで、とくに人どおりのおおいばしょをえらんで声をかけはじめました。大きなはしがこうさして、四ほうから、おおぜいの人々があるいてきます。

「マッチはいりませんかー」

フロックコートをきた人たちはだれも立ち止まりませんでした。ちらっとみて、すぐにとおりすぎて行きました。いきようようと声をはりあげていたネルも、だんだんかなしそうな目にかわっていきます。さむさのせいでネルの手がふるえはじめました。声もふるえています。

「そこのお方、マッチはいりませんか」

ふとったおとこの人にネルは声をかけました。はいいろのコートをきています。しょるいかばんには、きっと大きなしごとのとりまとめが入っているのでしょう。

「ごめんねおじょうちゃん。あかりにはこまっていないんだ。マッチはもうもっているし、足りなくなったら「ひゃくえんさつ」というよびもあるし。……ああそんな目をしないでおくれ。わたしはそんなうるうるとした目によわいんだ」

「おねがいします。どうしてもお金がひつようなんです」

「わかった。わかったよ。せっかくだから一はこかっていこう」

おとこの人はマッチをかってくれました。でかけるまえにご主人さまがいったねだんよりも、はるかにたかいお金をはらってくれました。

「マッチ、マッチはいりませんかー」

ネルは一きわ大きな声をだしてよびかけました。ふとった人のように心やさしくマッチをかってくれる人もいました。むししてあるいていく人もおおぜいいました。またごく少すう(本とうにごくごくわずかですが)

「きたない“いえなき人”のくせにきがるに声をかけるとはけしからん!」

とどなりちらす人もいました。ネルはなみだをこらえてあたまを下げます。はなをならして行ってしまうまでずっとネルはあたまを下げつづけました。


 ネルはさむさにげんかいまでたえていました。立ってマッチをうりつづけたのです。そしてよるもふけ、人々のかずがへってくると、トボトボいえにむかってあるきはじめました。いつもならふとんに入ってねむるじこくです。

「ただいまー」

ネルがかえると、ご主人さまはまだおきていて、つくえにむかってすわりこんでいました。

「あれ? なんかいえでのしごとなのにつかれてない? いきが上がっているようだけど」

「いや、いや、いや、そんなことないよ。にっきかくのいそがしかっただけで」

ご主人さまはみみまで赤くしていました。ネルとご主人さまのおなかが、どうじにグーとなりました。二人はわらいました。なにか、ちのつながったかぞくになったきがしました。

「ねるまえに、ばんごはんたべようか。そのときに今日のはなし、ゆっくりきかせて」


 ばんごはんは、いつもネルのしごとでした。というのも、ご主人さまにはまったくりょうりのさいのうがありません。ちょうみりょうをいれまちがえたり、やさいをきりながらまないたをちだらけにしたりしたこともありました。すぐに

「あぶないからもうりょうりはしないで」

とネルに台どころに入るのをきんじられていました。


 でも今日はちがいました。かなりひえたごはんも、くずれたさかなも、つながったやさいも、ご主人さまがよういしたごはんです。ネルも

「つめたいし。おいしくない」

といいながらこめつぶ一つのこさずたべました。

「しおあじもきいてておいしい」

ご主人さまのごはんはちょっとふやけてしまいました。


 二人でかたづけをしたいといったネルもすぐウトウトしてねてしまいました。

「おつかれさま。よくがんばったね。ぼくもがんばらなきゃ。ネルにまけないように。ネルのくろうをむだにしないように」

ながいながい一日がおわりました。ご主人さまもどうやってふとんに入ったのかよくおぼえていません。

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