第2話
ご主人さまはひるでも、よるでもいえにいました。ひるのほとんどのじかん、ご主人さまはかみに何かをかいていました。インクがにじむペンがすらすらと文字をつづっていきます。
「ねえ、何をかいているの?」
うしろからのぞきこんだネルがいいました。ネルはひらがなとカタカナならよめます。いみもわかります。けれどご主人さまがかくのはそのどちらでもありません。ネルがしっている文字は上から下にむかってすすむのに、ご主人さまのかく文字は左から右にむかってすすんでいました。
「これはね、う~ん。……。にっきみたいなものかな」
「にっき?」
「そう。ぼくがおもったこととか、かんがえたことをかくにっき」
「まいにち?」
「うん。それでも足りないくらい。一日が十二しじゃあなくて。二十四しだったらなあ」
ネルはついふきだしてしまいました。こんなへんなことをいう人だとはさいしょはまったくおもっていなかったからでしょう。
「へんなの。じゃあねこも入るの?」
ご主人さまもとくいになってこたえました。小さい子をよろこばせるのはだれだってうれしいものです。ご主人さまはとってもうれしくなってしまいました。
「うんいいね。ほかにも入れたいどうぶつはあるかい?」
「うーん。じゃあタンポポ!」
「お花か! いいね。じゃあさくらとかも入れようか」
「ダメ! さくらを入れるなら、うめのはなにして」
大きな声がしぜんとでて、ネルはびっくりしたかおをしました。でもご主人さまはもっともっとおどろいて、とびあがるようでした。おこらせちゃったのかどうかふあんになりながら。おそるおそるご主人さまは口をひらきました。
「え? そんなにいやだった? さくらのほうがゆうめいだよ」
「ちがうの。わたしはみんなといっしょにいたくないの」
ネルはやっぱりおこっていました。でも心のそこからご主人さまをしかりつけてるわけではありませんでした。ばたばた足をふむようすはかわいらしく、ギュッとだきしめたくなりました。
「そうかい。ネルがそういうんならきっとそうなんだろうね」
そういうとご主人さまは目をふせて、またペンにきもちをしゅうちゅうさせました。
ネルはさいしょ、あたたかいふとんになれませんでした。ぜんぜんねつけません。めをとじても、ふわふわとせなかのかんしょくがきもちいいのかわるいのか、何どもねがえりをうってしまいます。そこで、ご主人さまはいろんなおはなしをきかせることにしました。ももから生まれたおとこの子がおにをたいじするはなし。竹からうまれたおひめさまと、五人のきこうしのはなし。まじょにどくりんごをたべさせられてねむったおひめさまを王子さまがキスでたすけるはなし。どれもこれもネルをゆめのせかいにつれていきました。
それから何日もたつと、ネルはご主人さまのおはなしがなくても、すやすやねいきをたてるようになりました。ご主人さまはうれしいようなかなしいようなきもちでいっぱいになりました。でもご主人さまはまだねむりません。むしろ、これからがしごとのほんばんだとおもっていました。
えがおがすっときえて、げんこうようしをとりだします。そしてご主人さまは、あたまをかかえながらペンをうごかすのです。アルファベットがグニャグニャにくずされた文字をびっしりかきこまれていきます。
「もうすこし。あともうすこしでネルともかぶきをみに行けるんだ……」
うすぐらいへやにご主人さまの声がポツリとおちました。
ご主人さまはそれから一こともしゃべらないでもくもくとペンを走らせました。白いかみがみるみるうちに、くろくそまっていきます。それでもなおご主人さまは止まろうとしません。どんなゆうがな文でもひょうげんできないネルのようすを一生けんめい文字にかきとっていきます。じかんはまってはくれません。くさ木もねむるうしみつどきになって、やっとつくえにたおれこんでねむるのでした。
すんだそらにたいようがのぼってきました。ことりがあさをつげるようにないています。さいしょにおきるのがネルです。ご主人さまはネルにおこしてもらわないといけないようになりました。そうしないと目がさめないのです。
「あさだよ、おきて。もうあさがとおりすぎてひるがきちゃうよ」
「え? もうそんなじかんかい?」
「うん。もうかみがぐちゃぐちゃだよ。なんかもじゃもじゃしてきもちわるい」
「ああ! なかみをよんじゃったのかい!」
ご主人さまはあわててとびおきました。ネルは何が何だかわからないかおをしていましたが、しばらくたっていきなりわらいころげました。
「いやそっちのほうじゃないの。かみのけのほう。ご主人さまのいうかみはもうかたづけちゃった。よめないのしってるでしょ?」
「ああ、ああそうか……。それはよかった。そうだよね。ぼくがそうしたんだもんね」
「へんなご主人さま」
「さあそれより、おなかすいただろう。あさごはんにしようか」
「やったー! おひるごはんだ!」
ネルはかけだしていきました。そのあと、ひげを生やしたご主人さまがモジャモジャとおいかけていきました。
「あとすこし。あとすこし」
それだけつぶやいて。
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