ネルとのおもいで

大箸銀葉

第1話

 今となってはむかしのことです。人々はまだ「きぼう」というかげがえのないたからものをもっていました。あしたは今日よりもすばらしくなると、しんじていたのです。めをそらせながら。


とめどもなくふるゆきが、ガスとうの火にてらされてホタルのようにとびかっています。さむいよるです。もう何日ゆきがふったのでしょう? ゆうふくな人々はフロックコートやきものをきて足早にいえじをいそぎます。おやくしょではたらいてる人はのっそのっそと歩いています。


 そのすぐそば、はしを作るしょくにんやどうろをせいびする人たちは、あせをけむりのようにかいています。えんやこらよっしゃこらとかけ声をかけてよるになっても一生けんめい体をうごかしています。


 大きな声をだしてさわぐのは子どもたちです。みんなお父さんやお母さんにつれられてうれしそうです。まあたらしいコートをぴったりきこなして大はしゃぎです。

「今日はどこに行く?」

「かつどうしゃしんやさん!」

「また行くの? きのう行ったばかりじゃない」

「いいの。またみたいから」

おやこはたのしそうです。そのまますいこまれるようにかつどうしゃしんやに入っていきました。


 とうざいにつづく一本のみちは「かぶきどおり」とよばれます。ひがしの方へ行くとかぶきをやっている、やかたにぶつかるからです。「かぶきざ」といいます。そこではかおを白くぬってごうせいなきものをみにまとった人たちがおんがくに合せておどるのです。そしておどりながら、かいわをしておはなしを作り上げていきます。むかしばなし、おもしろいはなし、こころがあったかくなるはなしもあります。おきゃくさんは、それをみてたのしむのです。とてもはなやかなぶたいに、はくしゅをおくりつづけます。せいぎのヒーローがあくのおやだまをうちのめすすがたにかんせいを上げます。


 ぶたいにたったおとこは、おおみえをきります。きりっとした目のまわりはまっ赤にそまってはくりょくまんてんです。

「せいばいしてくれる!!」

おきゃくさんは今日一ばんの声をだして

「なかむらや!」

「よっなかむらや!」

とさけびます。ふるくからつたわる「かぶき」のふうしゅうです。


 ぶたいがおわりました。だんじょうで、しゅやくをしていたおとこの人がえがおではくしゅをうけとっています。ニコニコとしたかおがすごくいんしょうてきです。どうやらかれは人をたのしませることがだいすきなようです。


でもそれをみに行ける人はかぎられていました。かつどうしゃしんもそうです。こういったごらくしせつには、たくさんのお金をはらうひつようがありました。まずしい人はそこからもれるあかりや、かんせいをうらやましそうにおもいながら、ゆびをくわえるしかありませんでした。まずしい人は今日くらしていくのもやっとです。つぎはぎだらけのコートやどろだらけのふくをきていましたから、ゆうふくな人たちからはうとまれていました。


 ほんとうにまずしい人たちは“いえなき人”とよばれました。かれらは、はしの下やみちのすみっこでさびしくくらすことで、何とかまちにいることをゆるされました。ふゆのあいだじゅう、からだをガタガタふるわせて、ぐっすりねむることはありません。たべるものをみつけるのもたいへんです。ときおり、おおどおりにでて、みち行く人にたべものをめぐんでもらいます。ごみばこから、たべられるものをあさることもあります。こうやることでしか、せいかつすることができませんでした。


 でもどんなに声をかけても、ほとんどの人は何もめぐんでくれません。それどころか、

「きたないやつがさわるんじゃない!」

「あなたたちにかかわると、わたしまでなかまにおもわれちゃうじゃない!」

とばせいをあびせつけるのでした。


 けれどそんななかにも、心やさしい人がいるとのてす。おめぐみをおねがいすると、

「それはごくろうだったね。じゃあこれをもっていきなさい」

とそまつながら、かれらにとっては十分すぎる食べものをわたしてくれました。“いえなき人”はじめんにてをついて、おれいをいいました。なみだをながす人もいました。ほかの人にわらわれようが、さげすまれようが、そうやってあたまをじめんにこすりつけることがかれらにとって、生きるちえなのでした。


そんなじだいに一人の女の子が生まれました。でも生まれたときのことはだれもしりません。きづいたら一人ぼっちですわっていました。お父さんやお母さんがだれなのかもしらずに、ゆきがしんしんとふるなかでないていました。


 そこにあらわれたのがご主人さまでした。そのときのことをずっとおぼえています。ご主人さまはうれしさから、ほおをうめのはなのようにそめてはなしかけてくれたのです。

「よかったらぼくといっしょに、くらさないかい?」

いきがあがりながらも、おちついた声でした。ふかいふあんからかいほうされて、きぼうがめからあふれでるようでした。うれしさとドキドキにむねがたかまりました。

「いいの?」


 ご主人さまはいえにつくなり、女の子を「ネル」となづけました。ネルにはいみがわかりませんでした。ご主人さまはたくさん本をよむので、そとのくにの本からでもつけたのでしょう。となりのいえから、

「ウメちゃん、トメちゃん」

ときこえるたびに、からだをもじもじさせました。うつむいてニヤニヤしたわらいが止まりませんでした。

「なんかいいことでもあったの?」

ご主人さまがきいてもネルは何もこたえません。「べつに」といってすぐほかのへやに行ってしまいました。

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