第2話 深海の占い師


 暗い世界だ。

 それと寒い世界だ。


 ″謎の発光植物″たちがはなつ淡い光だけが、わずかな温もりと灯火の世界で俺は考える。

 

 ジブラルタに落とされたところまでは覚えている。


 ただ、それ以降の記憶がひどく曖昧あいまいだ。

  

 俺は魔槍を抱えていたはずだが……それは目が覚ましたときには、近くになかった。


 召喚すれば、きっとやって来てくれるだろうが……、現状、それほど急いでまで、あの槍を手にする必要はないように思われた。


 驚くほど落ち着いてる自分を褒めながら、あたりを見渡せば、ここがどこなのか何となく想像がついた。


 海底だ。

 信じられないが、海の底なのだ。


 俺の背中や、手元の砂は浜辺で遊んでいた時のものと手触りが似てるし、首をうごかせば地面に砂紋さもんーー空気や水の流れで形成される砂の模様ーーがあるのがわかる。


 これは海底特有のものだ。

 ビーチ近くの浅い海底でもよく見られる。


 魚影はほとんど見当たらないが、目を凝らせば淡い光の中に、かすかに泳ぐ存在も見つけることはできる。


 やはり、ここは海の底で間違いない。


 そうなると、気になるのは、その深さと、何で俺がかだ。


 さらには、肌の感触的に水に触れている気がしないことも気がかりだ。

 凍えるほどには寒いが……これは地上と同じ、空気に身体をつつまれてる感覚だ。


 おかしな事はまだある。


 記憶の最後についてだ。

 ジブラルタに刺され、えぐられた肩の傷と、岩肌に削られてボロボロになった背中の傷が、綺麗に癒えていることも不可思議だ。


 いったい、どこのどいつが、こんな暗い海の底で、他人の怪我の具合を診てくれると言うのだろうか?


「その質問には、わしが答えようかい」

「ッ!」


 背後からあるはずのない声をかけられた。


 声がこもっていて、半ば水のなかにいる人間から話されるのと同じ感覚である。海の底なのだから当然か。


 俺は鈍重で、動きづら過ぎる不快感と闘いながら、海底に寝かされる体をすこし動かして、顔をむけた。

 そこには老人が立っていた。


 彼の体のまわりには、無数の気泡が浮いている。彼自身のまわりは空気で満たされているらしい。

 そのおかげか、骨と皮だけの不健康な手足をつつむ黒ローブはまったく濡れていない。


 海底でも、ザ・魔術師という風態だった。


 いったい、どんなトリックなんだ?


「あんたは誰だ?」


 衝動のままに喋ってみると、俺の声は自分自身にはクリアに聞こえた。


「若いのはいきなりそれじゃ、まったくもって、なってない、ダメダメなクソカスじゃの」


 このじじぃ、めちゃくちゃ口が悪い。


「とりあえずあたり見渡して、いったん考えてみい」


 言われてみて、首をまわしてみる。


 まわりに見えるのは淡く光る植物。

 その向こうは暗闇。

 頭上はどこまでも続く黒。

 あとわかるのは、驚くほどここは寒いということのみ。


 ただ、それらは予測できる。

 ここが深海なのならば理解はできる。


 けど、じいさん、あんたは無理だ。

 深海だと理解した頭と、老人の存在は相反し、明らかに老人だけがマッチできてない。


「だめだ、やっぱりあんたが何者なのかが、一番に気になるんだが」

「そうか、ならそれでいいわい」

「? どういうことだよ」

「がっつくんじゃ三流。対面にたってイキリ散らすのは二流。一周回って一流じゃ。その思考を大事にするといいぞい? きっと、この海底ではそれが役に立つじゃろうよ」


「……覚えておこう。それでじいさん、あんたは誰なんだ。なんて呼べばいいんだ?」


「名前かのぉ……まあ、以前、似たような境遇で出会った若造には占い師と名乗ったし、お前さんもそう呼べばいんじゃね?」

「占い師って……海の底で……?」

「深くは気にするな。深海だけに、なんつって」


 全然面白くない。


「あ、つまんな、このじじいって顔してるのぉ?」

「……真面目に話そう。建設的に。お互いに危機的状況なのはいっしょだろ?」

「別に? わしは危機的でも、なんともないけどのぉ。なんなら、ここから歩いて家に帰れるしぃ〜別に歩かなくても帰れるしぃ〜」


 占い師はローブをハザつかせて、その場で走る動作をしてみせる。


 だめだ、まともに相手しちゃいけない人間だ。


「じいさん、とりあえず俺より、この状況知ってそうだから、教えてくれないか? 何が起こってるのか」

「うーん……構わんが、タダというのもシャクじゃのぉ〜。無償労働嫌いなんじゃよね、わしって。しかもおぬしクソカスじゃーん」


 ぶち殺したい衝動をおさえる。


「……はぁ、家に帰ってたら、少しは貯金があるから、それで手を打ってくれ、頼むから」

「おーけー、可愛い幼馴染とかいたら、わしにあてがってくれぇい」

「……チッ」

「こらこら、本気にするんでないのぉ。相変わらずジョークのわからの、メンデレーは。枯れたじじいが生娘なんて所望するかっての。欲しいのは寿命だけじゃあ」


 このじいさん、完全に楽しんでやがる。

 ただ、このいけすかない奴しか、他に頼る手立てがないのは厳然たる事実であろう。


 俺は渋々、意味わからない占い師への質問を開始した。


「まず、ここがどこなのか教えてくれ」

「ん? そんなもん見りゃわかるじゃろ。海底じゃよ。ダイダラボッチ海峡の底じゃ」

「ダイダラボッチ海峡? 聞いたことないぞ……?」


 首をかしげても、占い師はそれ以上のことは喋ってくれなかった。役に立たない。


 しまいには勝手に喋りだした。


「あー、そうそう、おぬしの体にまとってる空気じゃが、そりゃ、お前さんのスキルの能力なんじゃないかのー? わしってば、それだけが気になるんじゃがー」

「俺のスキルは〔そよ風〕だ。こんなこと……出来るとはまったく思えないぞ」

「ほーなるほど。こいつバカじゃの。わしにはお前さんのスキルが、持ち主ほどクソカスには見えんのじゃがなぁー。……まあ、いっか、教えんのもめんどくさいし」

「知ってるのか? この空気の層のこと?」

「知らん。お前さんのスキル風系統じゃろ? なら、なんか適当に風とか操作したらできそうじゃねー? 知らねえけどー」


 鼻くそほじりながら、占い師は言った。


 言われてみれば、空気の操作の延長線上と考えれば……不可能ではないのか?


 そうか。

 俺ってこんな事できたんだな。


 空気の操作に覚醒したおかげで、俺は深海の水圧に耐えられ、呼吸もできてると。


 ポジティブに理解すると、ちょっとだけ地獄のなかでめ幸せになれた。


「それで、このダイダラボッチ海峡ってどんくらい深いんだ? 俺はやく戻らないといけないんだが……」

「ざっと″20000m″ってとこかの。まあ、海全体でみれば、特別に深いわけではないから、安心していいぞ〜」


 は?


 意味がわからず、思考がフリーズする。


 いま、20000mって言ったのか?


「……待ってくれ、じいさん。それがジョークなら、この際はっきり言わせてもらうが、クソつまらないからな?」

「なんじゃ、このクソカスガキ、人が親切心で教えてやっとるのに」

「……ぇ、それじゃ、本当に水深20000mなのか?」


 何度聞き直しても、占い師の答えは変わらなかった。


 夜だから地上の光が見えないのだと思ってたが、そうか、ここはそもそも地上からの光なんて届かない超超超深海だったのかー……


 って、納得できるわけないだろ。


 海が深いほどに、水圧が高まるなんて、海と一緒に生きてきたアクアテリアス市民にとっては当たり前のことだ。


「20000mなんて、どれだけ″重たい世界″だと思ってんだ!? 俺の雑魚い風操作でなんとか、なるわけないだろっ!」

「声がデカいわ、静かにせい……。で、本当に深さ20000mの海底じゃないと? そう思うか? なら、立ってみるといいわい」


 いいさ、立ってやるよ。


 占い師に指をくいくい動かされ、俺は海底に寝ている姿勢から一気に起き上がろうとする。


「ッ、ぐ、重たい……っ!?」

「そらそうじゃ。軽く見積もっても2トンの重さがおぬしの身体を常に圧迫しておる。空気のまくがその多くを打ち消しておるじゃろうが、動こうとすれば、均一に相殺されている水圧のチカラを、おぬしは感じることになろう」

「ぐぬぬぬ、はぁ、ふぅ! はぁ、はあ……」


 かなり苦労したが、5分ほどかけて姿勢をやりくりして、立ち上がることに成功した。


 関節を曲げるなどの動作により、均衡を突破した水圧だけでこの重さなのか……いかんな、水深20000m説が濃厚に思えてきた。


「最悪だ……なんだよ、20000mって、じゃ、もう二度とラナにも会えない……ぅ、ぅぅ」


 自分が地獄に堕ちてきてしまったのだと知り、その先の非情なる未来を予感する。


 俺は、誰にも知られず、この海底で死に耐える。

 地上ではこうしてるあいだにも、あのクソ野郎が、ラナに近づいていて……。


「……」


 いいや、違う……もう、やめよう。

 希望的観測は、ただの俺の願望なんだ。


 ラナがジブラルタをパーティに入れたのは、きっと彼とデキていたから……俺は、俺は、とっくの昔に捨てられてたんだ。




  俺だけがまだ、あの海岸にいるんだ。

  8歳の頃、ラナと出会った海岸に。




 もう彼女は大人になって、自分とふさわしい【クラス】をもつジブラルタを選んだ。


 あいつの言う通りだ。

 みっともなく、ラナと自分は絆で結ばれているなんて、俺は妄言を吐き続けてただけ。


「ぅぅぅぅ、ぅ、ラナぁ、ラナぁ……!」


「あーあー、泣き喚いて本当にみっともないのぅ……はあ、仕方ないのぉー、わしってば、本当はこういうキャラじゃないじゃけど、こんな海の底で会ったのもなにかの縁じゃろうて。……″条件付き″で助け舟をいくつか出してやるかのぉ」


 占い師はそう言って、暗闇のほうへ手をむけた。


 すると、水中をラナの魔槍が飛んできて、占い師の手のまえでピタッと止まった。


 こいつのスキル、か?


 占い師は俺へ魔槍を渡してきながら「まずひとつめ」とつぶやいた。


「もうすこし浅いところまで、わしが連れて行っちゃるわ。死ぬ気でついてこい」


 魔槍を受け取ると、俺はその″重さ″に倒れこんだ。


 ただでさえ重たいのに、この槍、深海だとマジで馬鹿にならない重量だ。


「ふたつめ。海底での活動は、。頑張って散歩せい。″レベル上限も解除″しといたからの。あーあと、そのスキルがさらなる成長をすれば、空気の層がふえ、出来ることも増えるはずじゃ。スキル開発もがんばれぃ」


 占い師は、袖のなかから″黒い小箱″を取り出して、ウィンクしてくる。


「その時が来たら、これをやる。じゃから、メンデレー、その時まで死ぬ気で強くなれ」


 俺は槍をささえにして、立ちあがり、涙と鼻水をぬぐった。


「ぐすん……よし、わかった。なんだか、わからないが、俺の役に立つモノなんだろ?」


 極限状態で会話してるからか、目の前の老人にすこしずつ頼もしさを感じている俺は、ほとんど彼の事を信頼しきっていた。


「そうじゃ。さぁ、次が最後の助け舟じゃ。と言っても、これは最初に言った″条件″でもあるんじゃがの」

「条件? なんだ、それ?」


 俺がだすねると、占い師は顔を凶悪にゆがめて含みのある顔で口を開いた。


「ここからずっと西にいくと、だんだんと水深が浅くなっていく。その先にある都市を目指せ。ひたすらに目指せ、お前さんはそうする事でしか、のじゃから」

「都市? こんな海の底に、街があるっていうのか?」


「目指せ、メンデレー。かの海底都市をな」


 占い師はそういうと、話は終わりだとばかりにスタスタと歩きはじめてしまう。


 散歩する速度で歩く占い師を追おうとするが、泥沼を進んでるかのように足が重たい。


 加えて、ラナの魔槍のせいで動きはさらに遅くなっている。


「待て、頼む! 待ってくれ、速すぎる!」


 俺が叫ぶと、占い師はパッとふりかえってきた。


 俺は待ってくれるのかと顔をほころばせたが……すぐに予想は裏切られる。


 彼は口元に指をあて「しーっ……」と言うだけだ。


 どういうことだ?


「静かにしろい。まさか、おぬし、この海底にいるのがわしらだけとは思うまい?」


「ッ」


 直感的に言葉の意味をさとり、ニヤニヤ笑う占い師が、枯れた指を刺す方向へ視線を向けてみる。


「ぁ、ぁ、ぅ……ッ」


 俺は両手で自分の口を急いでふさいだ。


 彼の示す遥か暗闇の遠方。


 ずっと向こうでが歩いているのが、俺には見えてしまっていた。

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