微孤独
大箸銀葉
微孤独
夜通し雪が降り、窓がカタリと震えた。明けの寒さが頭を冷やし、私はゆっくりと目を開けた。目覚ましがわりの携帯電話アラームはまだなっていない。あいにく今日は休みだったから早起きは損だった。
二度寝でもキメてせっかくの休みを夢の中ですごしてやろうとも思ったが冷たい空気がそれを許さなかった。私は寝ぼけ眼で心がすっかりくぐもったのを感じながら目をつむった。
夢うつつのままうつらううらと雪のことを考えていると私はふとここがベッドではなくて雪の絨毯の上に寝そべっているように空想を走らせた。
掛け布団は邪魔なので取り外した。冬の朝の匂いが鼻腔をくすぐる。暖かいのがむしろ違和感で体を冷やしていたかった。殺風景な白い部屋がこの日ばかりはかまくらに思えて沈みこむ体に全身の感覚を預けた。
私は時間の流れの外にいた。足の先が目のように鋭敏に研ぎ澄まされて痛んでいる。体が動かない。痛いのに身をよじらせることもできない。金縛りだろうか。そうではなかった。
私は自分の意思で止まっていた。力を抜いて自然と一体化する。私は空気だ。私は水だ。私は冬の朝なのだ。そんなばかばかしい遊びも私には面白かった。
しばらく記憶が抜けて私は目を覚ました。もう寒くはなかった。朝ではなかった。けど昼かどうか怪しかった。私の中に一気に時間が流れこみ、思考は冴え冴えとする。
時間が知りたくて枕元の携帯電話を手にとった。真っ暗な画面に虚ろな自分の顔が反射して揺れている。空想は私を飛び出してこんなところに逃げこんだのかとおかしくなる。まるで警官の心持ちのまま電源ボタンに手をかける。
ーー今お前の悪事も私が明らかにしてやるのだーー
私は軽い力をこめて電源を入れたはずだった。しかし画面は変わらず黒いままで光が宿らなかった。私の心に黒いモヤモヤが突如として現れた。はじめは軽い反抗心がそうさせるのだろうと思っていた。しかしいくら電源ボタンを押しても反応しなかった。充電が切れてしまったのかと疑いケーブルを挿してみたがそれもうまくいかなかった。これは犯罪だった。私の不安は携帯電話に反射して私の心により大きな静かな不安を植えつけたのだった。
私は怖くなった。携帯電話はもう私のものではなかった。今日は静かだった。
孤独は突然私の元へやってきた。私は一人ぼっちではなかった。隣には憂鬱な顔をして真夜中の世界に閉じこめられた私がいた。彼は私が携帯電話をのぞいた時にまたこちらをのぞく。私と夜の私はシンクロしていた。それが嬉しかった。同時に不安だった。
携帯のない世界はうるさかった。シーンという言葉では表しきれないグワッゴワッという音がずっと耳元で鳴っていた。冷蔵庫にはってあったラッセンの絵のポスターが奇妙に怖かった。イルカがハートの形になった水しぶきの中をとんでいる。完璧な美しさが恐ろしかった。
私は自分の中の時間がめちゃくちゃに動いているのを感じた。過去から未来へのびる一本の線がとぎれとぎれになってバラバラの方を向いている。自分を刺すような鋭い流れ、遠くへ去って戻ることはない流れ、目の前を横切って交差する流れを見た。
私はこの様子をどう言葉にしていいかわからない。時間が流れる先を見失ってレールを外して自立するのだ。私はそれを保護者のように見送っている。小さな小さな部屋の中で起こる奇跡に私の目から涙がこぼれていた。携帯電話の上に落ちて涙の水たまりが横たわったとき、はじめて私は携帯電話が壊れたことに気づいた。
壊れた携帯電話に意味はない。修理に出すために私はよそ行きの服に着替えて真っ黒な金属塊をもって重いドアを開けた。新鮮な冬の風が突風となって部屋の中に流れこんだ。
微孤独 大箸銀葉 @ginnyo_ohashi
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