第5話 トリップスターの誕生

~1~



 意識を失ったボクは星一つない夜空の下、無限に広がる泥濘ぬかるみの大地に立っていた。周囲には何もない。殺風景さっぷけいすぎて孤独こどくを感じてしまう。ここがどこなのかわからないが、夢にしてはリアリティがありすぎる。

 当てもなくしばらく彷徨さまよい歩くと、前方にキラキラと輝く光体が泥濘でいねいの上で跳ねまわっていた。誘蛾灯ゆうがとうに引き付けられるおろかな虫たちのように、ボクの足は自然と歩を進めていた。

 近づいていくにつれ、松明たいまつを持っておどる少年———飛び回る光体の正体———の姿が飛び込んできた。この暗闇くらやみが支配する孤独こどくな世界で、少年は楽しそうにっている。しばらく少年の様子を見守っていたが、少年がこちらに気づくとけ寄ってきた。

 大理石のような白いはだに、この暗黒世界ではより一層映える白髪をした、濃紫色こむらさきいろひとみの少年だった。外見的には低学年くらいの、幼さが前面に出た容姿ようしをしている。

 少年はボクの周りを一周し正面にくると、まるで値踏ねぶみをするようにじっと見つめてきた。ブラックホールのように吸い込まれそうなひとみに、ボクは恐怖に似た戦慄せんりつを覚えた。この暗黒世界よりもおぞましい何かをこの少年はもっているのではないか———そんな風に思えてならない。

 ボクは我慢がまんできずに、少年の値踏ねぶみが終わる前に声をける。

 

「キミはだれ?」

『僕?僕はキミの味方だよ』

「味方?」

『うん』


 無邪気むじゃき笑顔えがおをしながら少年は答える。

 どうしよう、言っている意味がまったくわかんない。いきなり味方とか言われても反応に困ってしまう。とりあえず名前を聞いてみよう。

 

「名前は?」

『名前?うーん……………』

 

 少年が困った顔をしてうつむいた。


「どうしたの?」

『なんて名乗ろうかな、って考えてるの』

「もしかして、名前がなかったりする?」

『ううん、むしろ逆なんだ。色んな呼ばれ方されてるから、困ってるだけ』

「ふぅ〜ん」


 思ったよりもこの少年はヤバイ奴なのかもしれない。冷静れいせいに考えてみれば、こんなところで一人でいるのもあやしい。

 

「なら、お気に入りの名前を教えてくれない?」

『お気に入り?そうだなぁ………』


 その瞬間しゅんかん、少年の笑顔が一変した。無邪気むじゃきな笑みから、悪意が顔をのぞかせる凶悪きょうあくな笑みに。


未世みせ弥奈貴みなきかな』


 少年の返事をき、ボクの背筋せすじこおりついた。なぜなら——————


「それはボクの名前だ」 


 なぜこの少年はボクの名前を名乗る?意味がわからない。


『君の名前?本当に?』


 少年は相変あいかわらず凶悪きょうあくな笑みをしている。


「うん…それはボクの名前だ」

『違うよ』

「違う?どうして?」


 当然の疑問を少年にぶつける。


『これは僕が使っていた名前なの。そう感じてるだけ』

「どういう意味?」

『そのままの意味』

「むぅ……………」

『感謝してよ?そうでもしなきゃ

「???」

『今は深く考えなくていいよ』


 少年の口から語られることが少しも理解できずに思考が停止する。そんなボクの状態もお構いなしに少年はなおも淡々たんたんと語り続ける。


『それに容姿も僕に見えるように……………なってたからヤバイんだった』

「あの………」

『変えなきゃいけないね』

「え?何を???」

『それに新しい名前も考えないと!』

「名前?え?どういうこと?」


 こちらの話をまったく聞いてくれない。たぶん制止しても、口を閉ざすことはないんだろうなぁ。少年は真剣な様子で考え込んでいたが、少しして表情がゆるんだ。


『決めた!今日から君は未世みせ夢斐子むいこだ!!』

未世みせ………夢斐子むいこ………」

『そうそう、毋彝蠱むいこ……じゃない、夢斐子むいこ。ニックネームはムイ、だね。ボクのことはミナ、って呼べはいいよ』

「う…うん、わかったよ、ミナ……………」

 

 少年はミナと呼ばれて嬉しそうに笑う。今度の笑顔は年相応としそうおう無邪気むじゃくなものだった。


『それから、体の方は女性にしとくね』

「へ?」


 なんか今エグイこと言われた気がする。


「ちょっ、今まで男として—————」

『それは僕の記憶だから』

「どうして女性に?」

『え?僕の趣味しゅみだけど………問題ある?』

「問題だよ!なんで—————————」

『そろそろ始めようか』

「え、ちょっ………始めるって何を?」

『え~い』


 ミナは突然持っていた松明をボクの足元に投げつけた。


「ッ!!!」


 逃げ出そうと足を動かそうとしたが、泥濘ぬかるみに足を捕られたおれ込んでしまった。

 けられない。反射的に目を閉じ身構みがまえる。


「ッ………………………?」


 たが一向に痛みがおそう気配がない。ゆっくりと目を開け、自分の身体を確認する。


「熱く……ない?」


 炎は全身を包みこんでいる。だが痛みも熱さもまったく感じないのだ。


「どういうこと?」


 疑問ばかりが思い浮かび、期待薄だが答えてくれそうな人物に視線を向ける。

  

『見なよ』


 ミナは質問には答えず、周囲を見渡すようにうながす。

 全てを滅却めっきゃくせんとたけり狂う灼熱しゃくねつの炎が暗黒世界を赤く染めていく。次第に炎の勢いは増し、泥濘むかるみが干上がっていく。すると干上がった大地から無数の触手しょくしゅのようなものが突き出し始めたのだ。


「これは……」


 触手の正体は植物だった。灌木かんぼく喬木きょうぼく、雑草など何種類もの植物たちが芽吹めぶいていく。だがそのすべての植物たちは尽く焼却しょうきゃくされ灰へと姿を変える。そしてまた芽吹めぶ焼却しょうきゃくされ、をり返していく。そんな光景が世界をおおった。


『無意味な生命の連鎖れんさ際限さいげんなく繰り返されていく』


 ミナはこの世界の変容へんようを楽しんでいるようだ。この光景の何がそんなに面白いのかはなはだ疑問ではあるが、それ以上にミナを注視してしまう。


『だけどもうじき終わってしまう……まぁ僕たちには関係ないことだけど』


 ミナの暗くよどんだ瞳が赤く照らされた虚空こくうを映す。


『いつもムイのことを見守っているからね』


 ムイが見上げた瞬間しゅんかん虚空こくうあかかがやく巨大な火球が現れた。光が世界を覆う。


『頑張ってね。僕の愛すべき———————』


 ミナの声は最後まで聞こえなかったが、なぜか姿を一目見ることはできた。とてつもない光量で何も見えないはずなのに、ミナとその周囲だけは確認することができたのだ。

 もっとも—————ミナと思しき人型が無数の球体で形作かたちづくられていたのだが。


 

~2~



 あの不思議なひとみをした人がいつものように拷問室へ連れていかれた。表情は読み取れなかったが、なぜか笑っているように思えた。自分が死ぬかもしれないのに、笑っていられる人間のことをレアはよく知っていた。

 それは「精神が壊れた者」だ。ここに来てから、そんな人間を何人も見てきた。精神が限界に達し、自己防衛の機構が完全に破壊された者たち。あるいは自己を守るために自発的に捨てた者たち。

 レアはいずれ自分の番が巡ってくることを知っていた。酷い暴行を受け、精神は完全に壊れる寸前なのだ。いつも傍で支えてくれたディミーも暴力に屈し、深い眠りについている。

 アイツも、いやアイツはすでに壊れていたのだろう。常人では耐えられない仕打ちを受けてきたのだ。たとえ考える力が残っていたとしても、まともなはずがない。

 それに理性の欠けた者たちの末路は壮絶で悲惨だ。孤独を抱えたまま死んでいく。誰にもその傷を理解されぬまま。もはや他人のために無事を祈ることを止めて久しい。ただただ、その結果だけを待つ。


「………………ん?」


 だがその結果を知る前に、レアは外が何やら騒がしいことに気が付いた。何だろうと聞き耳を立てる前に、看取たちが慌ただしく奴隷たちのいる独房を駆け寄ってきた。


「火事だ!!急いで鎮火しろ!!!」


 看取たちの焦った声が響く。看取たちは慌てて独房を開け、奴隷たちに外へ出て鎮火活動をするよう命令を下す。だがかつてないほど看取たちが慌てふためく姿を見て、ある考えが奴隷たちの間で巡った。


 すなわち、脱獄する絶好のチャンスだ、と。


 いつものように鞭を携え、凶悪さが滲み出る笑顔をしていれば、奴隷たちもそんな考えは思い浮かばなかったはずだ。しかし目の前にいる、無防備な状態の、怯え切った看取たちの表情は誰が見ても滑稽の一言に尽きるものだった。

 一瞬だった。看取たちが独房を開けることに夢中になりすぎて、奴隷たちの襲撃に対する反応が遅れた。奴隷たちが数人がかりで看取をリンチにしていく。日頃の怨みがある分かなり過激だ。看守の悲鳴や骨の折れる音など、惨憺たる地獄が始まる。


「今のうちに……!」


 当然レアもこの騒ぎに乗じる。独房の奥に行き、眠っているティミーを担ぐ。初老に差し掛かり痩せ衰えてきたとはいえ、意識のない男一人を運ぶのはとてつもない重労働だ。だがティミーは四肢がすべて切断されていたため、レアでも運搬可能な重量へと変化していた。なんて皮肉な幸運なんだろうと、レアは舌打ちした。


「行くよティミー」


 奴隷たちが我先に脱出しようと出口へと駆け込む。その流れにレアも便乗する。

 先に独房から脱出した何人かが巡回兵たちと小競り合いをしているのが目に入った。奴隷たちは数で圧倒しているものの、完全装備の巡回兵たちによって次々と殺されていく。

 どうやら巡回兵たちに捕らえる意志はないらしい。眼前では悲鳴と怒号が飛び交い鮮血が舞う一方的な殺戮が繰り広げられる。地面には首や腕など体の一部が千切れかけている者や完全に千切れている者などで溢れていた。


「どうすれば…………」


 巡回兵たちは抵抗する者も無抵抗な者をも一切を区別せず、ただただ人体を切り裂いていく。刻一刻と死体のバリケードが増築され、少しずつ奴隷たちを駆逐するための包囲網が出来上がっていく。


「クッ………」


 周囲を見渡しても他の奴隷たちがひしめき合い、逃げ場が見当たらない。目前まで迫ってくる巡回兵たち。


「あぁ——————」


 ——————打つ手がなかった。ティミーを背負った状態で逃げることなんて不可能だ。


「————————————………………」


 すべてを諦めかけたその時だった。


「こ…こ、こん…………こんに、こんにち…………んにちわあぁぁぁぁぁぁあああっ!!!」

  

 最近よく聞くようになった声が耳に届いた。



~3~



 目覚めたボクの目に飛び込んできた光景は、やはり拷問室だった。

 何か違う箇所があるかと言われれば、あたり一帯が炎で覆われていること。拘束されていたはずのボクが自由になっていること。そして床にバラバラになった人体が散乱していることだ。

 たぶんボクがこの光景を作ったんだろう。ボクの全身は血塗れだし、右手には血塗れの鉈を、左手には人差し指と中指以外の指が全て取れた誰かの右手を装備してるし。


「ぐぅぅぅぅぅ…………」


 誰かの唸り声が聞こえもう一度部屋を見回すと、拷問室から出ようと必死にドアに向かって匍匐している人物が目に留まった。

 クソ貴族さまだった。両足とも切断されているし両手首から先も欠損している。


「可哀そうに…………」

『やったのはムイだけどね?』


 振り返ると燃え盛る拷問イスに座って、足を遊ばせているミナがいた。


「まだ夢の中?」

『うーん、ここはあえて現実って言おうか』

「ならなんでまだいるの?」

『いつも見守ってるって言ったじゃん』

「どういう状況?」」

『ボクがムイの身体を少し動かしただけだよ』


 状況がよくわからないけど、これはボクがやったことらしい。周囲の子細な状況を確認する。


「……………………………」

『………………………………???』


 ミナが首を傾げる。


『トドメを刺さないの?』

「なんで!?」


 キョトンとするミナ。


『ホラ見なよ。必死に這いつくばってるゴミムシを。それはゴミムシに失礼か。じゃあゴミだね』

「それはちょっと失礼なんじゃない?」

『ゴミはちゃんと分別して捨てなきゃでしょ!?ちゃんと処分して!!!』

「何言ってるかわかんないよ!?」

『え?』

「え!?」


 ミナの言ってることの半分も意味がわからない。なぞテンションにもついていけない。

 というか、なんでボクは冷静なんだろうか?人が凄惨な死に方をしているというのに。


『うぅ~うぅ~~~』


 ミナが俯き、頭を叩きながら唸り声を上げる。


『失敗したぁ~~~……もういっそのこと記憶消そう。そうしよう』


 今なんて言った?


「ミナ・・・?」

『ごめ~ん☆思ったより計画に支障がきたすから頭弄るね☆』


 ダブルピースサインをするミナ。しかも舌を出しながら頭を左右に振る。完全にヤバイ奴だ!


「なに——————」


 まるで酩酊したかのように視界が歪み、感覚もおかしくなっていく。


『だいじょうぶ!安心して!記憶がぶっ飛んで多少人格が歪む程度だから!』


 それは大丈夫じゃない、と言い終わる前に世界が暗転する。最後にミナの『ヤッベェ』と焦る声が聞こえた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

這いつくばる人形~精神が粗陋~ 甘蜘蛛 @HLofCAFL6741

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る