第5話 嫉妬深い人間が多い理由

▼1-1 第一話.探偵と象①


「問題の、琴ノことのはしさんの彼氏は二年の糸口起雄いとぐちたつおって先輩。付き合い始めたのは去年からで、レンタルDVD屋でバイトしてた先輩に琴ノ橋さんが一目惚れして、しばらく通い詰めた末に告白したらしい」

「へー、年上の彼氏か。やるなぁマリー」

 山田雨恵やまだあまえはイージーな相槌を打ちながら、机の中から弁当箱を取り出した。……食後の昼寝かと思ったら、食べずに寝てたのか。

 俺の呆れ顔に気付いたか、雨恵はふにゃっと笑った。

「あたし、食い気より眠気でさ」

 底抜けに力の脱けた、釣り込まれるような笑顔だった。思わず見入りそうになって、

「……それで、返事は?」

 逆側からの声にびくりと背をすくめる。山田姉妹の妹の方、雪音ゆきねだ。会話に入ってくると思っていなかったので、いささか面食らいながら向き直る。

 目が合って、彼女の瞳がちょっと震えて、視線をそらされた。

「あの……告白の返事は、どうだったんですか?」

 姉ほど人慣れしていないらしい雪音はうつむいて、それでも質問を言い直した。水筒のコップに顔を隠すように、唇の先だけを触れさせている。

 雪音は姉の雨恵以外には今みたいに敬語で話す。理由は知らないけど、その声の硬さには敬意よりも隔意を感じた。

 そういえば……と、思い出してみる。

「ああ……それは、言ってなかったな」

 でもまぁ、現に今、付き合っているということはOKだったのだろう。

「マリーは、自分が告白したら付き合うのが当然!って感じだからなー」

 と、これは姉の方だ。妹に向かって言っているんだろうけど、間に居る俺はなんだか妙な気分だった。雪音はなにも言わなかったが、小さく眉をひそめたように見えた。

 俺は弁当のコロッケと御飯──どちらも昨夜の残り物だ──を口に含み、呑み込んでから、続ける。

「……ともかく、その先輩が浮気してるらしい」

「浮気ねぇ。浮気はいかんよね」

 そううそぶく雨恵は、ようやく弁当箱を開けたところだった。動作がいちいち気だるげでスローペースだ。

「でもまー、プライドの高いマリーが自分から告るような相手なら相当のイケメンだろうし、浮気もしょうがないか」

「しょうがなくはないだろ。浮気なんて……」

 よくないことだ。と、思う。雨恵は、男子から見るとおもちゃみたいに小さな弁当箱にフォークを突っ込んで、うんうんとうなずいた。

「まぁ、そうなんだけど。そういや、なんで浮気ってダメなんかね?」

 そう言われると……なんでだろう? いいことではないだろうが、咄嗟に答えが出てこない。そして、口籠もる俺に焦れたように、

「動物的な理由なら簡単だよ」

 またも雪音が口をはさんできた。身を乗り出して姉に言う。

「女性は、いっしょに子供を守り育てる労働力として。男性は、確実に自分と血のつながった子供を残すために。特定の異性と契約して確保するの。浮気は、そのお互いが受ける利益のバランスを崩すから悪なんだよ」

 なるほど、シンプルだけど説得力のある見方だ。さすが優等生の山田妹と言うべきか。とはいえ、高校生女子の口から出るには乾燥した物言いだとも思う。

 脱線していると思いつつ、口を開いていた。

「でも、人間はそんな単純じゃないだろう」

 俺から返事があると思わなかったのか、雪音は目をぱちくりさせて、それは……と唇を動かして、それから喉を鳴らして、ようやく声を返してくる。

「……何事も突き詰めればシンプルなものです。それが合理的だから、浮気を容認しない生理的傾向を持った個体が子孫を残して、今は嫉妬深い人間ばかりなんです」

 明らかに話し慣れていないのに、しゃべり出せば言葉は流暢だった。そしてやっぱり理屈っぽかった。姉とは別の意味で変わった子だ。

「おー、さすが雪ちゃん解りやすい。御褒美にこれをあげよう」

 雨恵は適当に妹を褒め称え、フォークに刺したプチトマトを妹へ差し出した。当然、二人の席の間にはさまっている俺は邪魔になるわけで、あわてて身を引く。真っ直ぐ垂れた雨恵の長髪が俺の膝をくすぐるような体勢で、激しく落ち着かない。

「御褒美って……自分がトマト食べられないだけでしょ」

「残すよりはいいじゃん」

 悪びれもせずさらに身を乗り出す姉に、妹はちらりと俺を見てから、恥ずかしそうに口を開いてトマトを迎え入れた。人前で押し問答をするのが恥ずかしかったんだろうけど、いわゆる「あ〜ん」をするのは恥ずかしくないのだろうか。……俺は間近で見ていてすごく恥ずかしい。

 赤いプチトマトが雪音の色の薄い唇に吸い込まれていく。その、なんとなく息の詰まる光景を尻目に、話を引き戻す。

「──ともかく、琴ノ橋さんは彼氏の浮気に御立腹で、相手を突き止めたいって言ってるんだ」

「んん? そんなら、問答無用でビンタするなり別れるなりすればいいじゃん」

 雨恵のあっさりとした物言いに、個人的には同意だったりしたが、

「証拠がないとしらばっくれられるかもしれないし、相手の女にも一言言ってやりたいんだってさ」

 それが琴ノ橋さんのプライドなのだろう。

「ふぅん……」

 その辺にはあまり興味ないらしく、雨恵は弁当のパスタをぱくついている。結果、俺は自分の弁当をゆっくり食べる暇もなく話を続けることになった。

 ここからが問題のディティールだ。

「まず、最初に浮気の疑惑が出てきたのが半月ほど前……入学前の春休みだ」

「そういや入学式っからちょっと機嫌悪かったね、琴ノ橋マリー。そういう性格なのかと思ってたけど」

 話してみた限り、「そういう性格」でもあるとは思うが。それはそれとして、

「目撃したのは琴ノ橋さんの友達の初芝はつしばさんで──」


 朝、俺を取り囲んだ面子の一人で、琴ノ橋さんと同じ中学だったという。その初芝さんが、直接に話してくれた。

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