第4話 ハゲワシってみんなハゲ

▼0-4 プロローグ.④


 地理の先生は中年の男性なのだが、頭頂部のあたりの毛が少しばかりこんもりしている。そして、板書に熱が入ったりするといささか不自然に揺れた。

 もう子供じゃないのでクラスのほとんどは見て見ぬ振りをしたのだが、ごく一部のはしゃぎがちな女子が笑いをこらえきれていないのが目に入った。最後列なので無駄に視界がいいのだ。

 なんとなく不安になって、俺は左隣の山田雨恵を見やった。いつも軽薄そうに微笑んでいる彼女も、先生の髪を笑っているのではないかと思ったのだ。

 ところが、案に反して山田さんはむしろ真面目な顔をしていた。初めて見る真剣な眼差しで先生と黒板を見つめていた。

 ひょっとして、遊んでそうな見た目と違って授業はちゃんと受けるタイプなのだろうか。だとしたら失礼な誤解をしたと反省しかけた、その時。

「ハゲワシってさ」

 一応、小声だったが、はっきりと聞こえる声で彼女はつぶやいた。

「ハゲワシって、ハゲてるけどさ。なんでみんなハゲてるんだろう?」

「ぇっ……?」

 と、意味が解らず呆気にとられていると、彼女もこちらを振り向いた。目が合う。山田さんはきょとんとまばたきしてから、にっこり笑って、それから顔を前に倒した。視線を俺から、俺の向こうにいる妹へと飛ばしたのだ。

「ねー、雪。ハゲワシってなんでみんなハゲなのかな? 人間はハゲてる人とハゲてない人がいるのにさ。不思議だよね」

 これも小声だった。席が後ろの方だということもあって、先生には聞こえた風もない。

 しかし、彼女の双子の妹には聞き取れたようだった。

「……授業中に変なこと訊かないでよ」

 山田雪音は、眼鏡の位置を据え直しながら押し殺した声で姉に応えた。じぶんがしかられているようでなんだか居心地が悪かった。

 だが、それで終わりかと思いきや、山田妹の小声は長々と続いたのだ。

「……ハゲワシは、動物の死体にくちばしを突っ込んで腐った肉を食べるから、頭に毛が あると雑菌がまとわりついて病気になりやすい。だから薄毛の遺伝子ばかりが生き残って、みんなハゲてる……って説は聞いたことある」

「へー、そうか。なるほどねっ」

 妹の解説に対する姉の感嘆はちょっと大きな声になり、さすがに先生のじろりとした視線が飛んできた。山田さんは後頭部に手を当てて、へへへ、と笑ってごまかした。

 それで先生の目は黒板に戻ったのだが、こっちとしては生きた心地がしない。私語の相手が俺だと思われる可能性が高かったし、実際、声こそ出さなかったが俺も同様にハゲワシの合理性に感心していたからだ。

 ふと見ると、雪音の方も安堵の息を吐いているようだった。

 そんな中で黙らなかったのは山田雨恵だ。

 一応、先生に目を付けられた自覚はあるのかさらに声を潜めて、俺の耳へこうささやいてきた──

「ハゲも悪いことじゃないんだねぇ」

 そこにはからかいも軽蔑もなく、ただ単純に禿頭という性質について感心したらしい声だった。疑問が解けたからか、いつものへらへらした微笑が顔に戻っていた。

 その屈託のない、柔らかな声音に耳を撫でられる感触は……まぁ、正直、悪くはなかった。先生の身体的特徴を笑うような、陰湿な奴かもしれないというのも誤解だった。

 ……だが、それはそれとして。

(地理の授業なのに、ハゲワシのハゲてる理由しか記憶に残ってない……!)


 ──それ以外の時間も、万事がそんな調子だ。

 授業中でも気になったことがあれば平気で妹に話しかける落ち着きのない姉と、それをたしなめながらも、なんだかんだ答えられることなら答えてしまう博識な妹。そんな二人にはさまれた俺は、目の前を飛び交う言葉のキャッチボールに、すっかり翻弄されてしまっていた。こんな環境じゃ、一学期の成績は絶望的かもしれない。

 琴ノ橋さんの依頼と並んで、目下の頭痛の種だった。

 クラスの人数が奇数、かつ女子の方が一人多いせいで、山田妹より右にはそもそも机が存在しない。それもまた教室最後列における双子の一体感を大きくして、俺に自身の異物感を覚えさせるのかもしれない。

 そんな席でも、やっと座れる……と息を吐いて自席の背もたれに手をかけると、視線を感じた。すぐ隣に座る、寝起きの山田雨恵からだ。椅子の背にかけていた靴下を履き直しながら、なにか物問いたげにこちらを見ている。

 椅子に腰を下ろしながら、「なにか……?」という意を込めて見返す。彼女はいつも制服のリボンタイを緩めていて、昼寝中だったからかシャツも第二ボタンまで外していた──白い首元が目に入ってきて、逃げるように視線をそらした。

 彼女は、俺の動揺には気付かず訊いてきた。

「なぁんか、しんどそうな顔してるね。体調悪い?」

 ……傍目にも判るくらいに暗い顔をしてるのか。一層落ち込んだが、まずは、

「いや、平気。ありがとう」

 心配してくれたことに礼を言う。ちょっとした親切が心に染みて、朝から強張っていた頬が緩んだ気がする。

 山田さんはそんな俺の顔を「ふ〜ん……」とぼんやりと眺めていたが、三度ほどまばたきした後、言ってきた。

「悩み事なら言ってごらんよ。あたしでよければ聞くからさ」

「またそんな、無責任な……」

 という、言い切らない声は背後から聞こえた。つまり、姉の逆側に座る妹だ。ちらりと見ると、山田雪音は外した眼鏡をケースにしまって水筒を用意していた。

 俺が答えられないでいる内に、姉は気にせず続けてくる。

「もしかして、朝、マリーたちに捕まってたのと関係ある?」

 ……昇降口での一件を見られていたらしい。マリーというのは琴ノ橋鞠の愛称だろう。雨恵は琴ノ橋さんのグループへは属していないと思うが、見ての通り人懐っこくて物怖じしない性格だ。琴ノ橋さんたちともよく話している。

 俺が黙っていても、琴ノ橋さんたちから聞き出してしまうかもしれない。だったら、素直に話してしまった方が気楽というものだろう。

 俺としても、自分の胸に溜め込んでいるより誰かに相談したいところだった。どうせ、ハゲワシのハゲと同程度の興味本位なんだろうし、それなら逆に遠慮なく巻き込めるというものだ。

 俺は、弁当箱の蓋といっしょに口を開いた──


「実は、琴ノ橋さんの彼氏が浮気してるらしいって話なんだけど……」


 思えばそれが、この双子との奇妙な関係の始まりだった。

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