第36話 最弱の道の歩き方

「あのなあ、勝手なことばっか言ってないで、こっちの立場も考えてくれ。俺は楽に生きたいんだよ。『魔王殺しの魔王』とか、裏切り者としてあとあと面倒になるのが目に見えてんじゃねえか。そんなん御免だっつーの。なんたって俺、ただの代理だぜ? 割に合わねえよ」

「ちょ……あ、あなた、何言ってるですかっ?!」


 俺の返答を聞いて、ラピスが素っ頓狂な声をあげる。おいやめろ、そんな変人を見るような目を向けるんじゃない。


 《魔卿僉議》の経験からして、魔王相手に嘘をつくのが得策でないことはわかってる。だったら正直に言うしかないだろう。だいたい、ここらで俺のスタンスをはっきりさせておかないと、また変なことに巻き込まれたらたまったものじゃない。


 ……ま、実を言うと疲れすぎていて、うまい説明を考える頭すら回らなかっただけなんだがな。


「ほお、楽に生きたい、か……」


 その答えを大真面目に受け止めたのか、アゼリアは束の間目を閉じて黙り込む。そして再び顔をあげると……大きな声で笑うのだった。


「ククク……あはははははっ!! 面白いではないか! 人と魔族の中道を、胡蝶の如く飛ぼうというのか! なるほど、確かにそなたはあの女の後継だ!」


 何がそこまで気に入ったのか、アゼリアは瞳を輝かせる。


「だが、理解しておるのか? その道はどちらにも属さぬ外れ道、「楽」とは無縁の邪道であるぞ? 行く末に待つ艱難辛苦、そなたは切り払えると申すか?」

「そうだな……まあ、もしやばくなったら、その時は……また誰かに助けてもらうさ」


 今回みたいに、な。

 ちらっと隣へ視線を向けると、ラピスはふんっ、とそっぽを向く。まだまだ慣れてはくれないようだ。


「くくっ、あくまでも他力本願、か。……よかろう! そなたの選んだその王道、どこまで飛べるか妾が見届けてやろうではないか!」


 と、勝手に何事か決めたらしいアゼリアは、それから堂々と宣言した。


「存分に誇るが良い! 妾の苗床に選ばれた栄誉をな!」

「……は? 今、なんて……?」


 『苗床』という不穏なワードに、俺は思わず聞き返す。だがアゼリアは答えようとしないまま、ずいっと眼前に迫って来たかと思うと……何のためらいもなく唇を重ねた。


「んむ~~~?!!」

「んにゃにゃっ?! な、ななな、なにやってるですか~っ!??」


 蕩けるほど柔らかな唇の感触。花の芳香に似た煽情的な吐息。豊潤な蜜の如き甘い唾液――初めて味わう耽美な感覚に麻痺する思考。何が起きたのかもわからぬうちに、小さな柔らかい何かが唾液と共に口腔へ流し込まれる。その違和感に気づいた時には、既に飲み込んでしまった後だった。


「んっ……ふぅ……ふふっ、これでよし」

「はわわわわ……!」


 上機嫌で微笑むアゼリアと、目を回しているラピス。

 艶やかな舌で濡れた唇を舐めるアゼリアの姿はひどく蠱惑的だが、俺としてはそれどころではなかった。


「お、お前、今、何を飲ませた……?!」


 唾液と一緒に飲まされた正体不明の異物。直前の『苗床』というやばめなワードが頭をよぎる。どう転んでもロクなものではないだろう。恐ろしすぎて美女との接吻を喜ぶどころじゃない。


 するとアゼリアは、戦々恐々とする俺に向かってこともなげに答えた。


「なあに、怯えることはない。この妾がそなたの一部として行く末を見届けてやろうというのだ。……どうだ、光栄であろう?」


 なにやら恩着せがましい口調だが、相変わらず意味はわからないまま。そもそも、魔王と人間では色々と価値観が違うのだ。「これは救済である」とか言いながら平然と殺しに来そうな奴の言葉など信用できるか。最悪、ある日突然体内から虫が湧いてきたり……いや、これ以上考えるのはやめておこう。


「うぅ……や、やっぱりこの人、危険です! 逃げた方がいいですよ!」

「ん? どうした剣よ、妬いておるのか?」

「にゃっ、ち、違いますっ! だ、誰がやきもちなんか……!」

「ククク……ういのぅ、ういのぅ」

「む~!」


 と、ラピスで遊び始めるアゼリア。これ以上状況をややこしくしないでくれ。


「あーもー、おいアゼリア、もう帰ってくれ。そろそろ村の奴らが戻って来てもおかしくない。面倒なことになるぞ」

「む、そうか? 名残おしいのう。もう少し話していてもよいのだが?」

「馬鹿言うなよ。今襲われたらやばいんだろ?」


 アゼリアを構成する虫は俺たちが潰してしまった。ゲームで言えば残機ゼロの状態だ。こんな状態で冒険者に見つかったら、さすがのこいつもヤバイだろう。


 ……だが、アゼリアはきょとんとした顔で首を傾げた。


「ん? やばい、とは妾のことか? ――あはははははっ! まさかそなた、妾が本当にここにいる個体だけだと思っておったのか?」

「え、ち、違うのか……?」

「ククク……今日のために集めたのは妾のほんの一部にすぎぬわ。妾は個にして全なる王、命の連環こそが妾なのじゃ。いついかなる時も、この地にあまねく座しておる。ゆえに、妾は永劫にして不滅。人間風情がどうこうできるなどうぬぼれが過ぎるというもの。だからこそ――人の子よ、安心して妾を恐れるが良いぞ!」


 そう言って笑うアゼリアからは、力を失ってなお王としての威容が溢れている。

 要するに、俺が戦ったアゼリアは本気の一端すら見せてはいなかったってことか。しかも、それをエミリアたちが削ったあとだったわけで……結局俺は、アゼリアの足元にも及んでいないらしい。


 ああ、考えるのも馬鹿馬鹿しい。やっぱり魔王ってのはとんでもないやつらだ。


「しかしまあ、そなたが言うのであれば仕方がない。引き上げるとするかのう。……ではの、代理よ。妾の託した卵、せいぜい腐らせるでないぞ」


 そう言って、アゼリアは悠々と森の方へ去っていく。

 願わくは、魔王とかかわるのはこれっきりだと信じたいが……まあそうもいかなそうな予感がぷんぷんする。アゼリアの言う通り、楽に生きるのも簡単じゃなさそうだ。


「あー、やめやめ、先のことはそん時考えりゃいいや」


 と、俺はぶんぶん首を振った。

 そう、いつまでも呆けてはいられない。今は目下の問題がもう一つあるのだから。


「――おーい、お前ら、大丈夫か?」

「ん、んん……」


 ようやく動くようになった体で向かった先は、気を失っている転移者姉妹。

 慎重に揺り起こすと、ルーミアはうっすらと瞼を開けた。


「わ、私……一体……あっ!?」


 状況を思い出したのか、ルーミアは即座に飛び起きる。


「ま、魔王は?! 姉さんは?!」

「まあ落ち着けよ、姉貴の方は大丈夫だ。魔王は……その……あれからすぐ逃げてったよ」


 「俺が倒したんだぜ」と自慢したいところだが、転移者二人がかりで倒せなかった相手をやっつけた、なんて知られたら絶対に怪しまれる。身バレのリスクを考えれば、ここはお口にチャックが正解だろう。……が、どうやらそこまで馬鹿な相手ではなかったらしい。


「……嘘です。あの状況からトドメを刺さずに撤退するメリットが魔王にありません」

「え? いや、そりゃ……お前らとの戦いで向こうもギリギリだったんじゃないか?」

「……どう見ても余力があるようでしたが」

「だから、それは、魔王的な強がりっつーか……」

「……本当はあなたが撃退したんですよね?」

「うっ……」


 どうやら誤魔化すのは無理そうだ。姉の後ろに隠れているおまけみたいな子だと思っていたが、想像以上に芯が通っている。……となれば、セカンドプランの出番だ。


「あー、わかったわかった、確かにお前の言う通りだ。……けどな、こっちにも色々と事情があるんだよ。だからさ……取引しないか? お前は今見たことを忘れる。その代わり、魔王を撃退した手柄はお前らのものってことにする。どうだ、悪くない取引だろ?」


 状況から考えて、ルーミアは俺の力の核心やラピスの正体についてまでは目撃していないだろう。だが、なんにせよおかしな噂を立てられては困る。何としても口止めせねば。まあ、向こうにとっては利益しかない話だし、さすがにこれを拒否したりは……


「ダメです、それでは足りません」


 ……しやがったよこの娘。おいおい、もっと対価をよこせってのか? いやそれとも、既にこっちの正体を見破って……?


 などと邪推しかけたが、どうやらそういうことではないらしい。


「あなたは命の恩人です。この御恩を返すには、そんな私たちにしか利のない取引では足りません! 何かもっと私たちにできることはありませんか?」

「あ、いや、そうは言われても……急には思いつかないし……目立つのが一番やばいからなあ……」


 転移者から恩人だのと騒ぎ立てられたら、それもまた噂になってしまう。本末転倒だ。


「そ、そうですか……では、今でなくても、いつか恩返しをさせてください! きっとお役に立ちますから!」

「あ、ああ、そうだな。楽しみに待ってるぜ」

「はい!」


 俺が頷くと、ルーミアはようやく納得してくれたらしい。こちらに深々と頭を下げてから、姉を負ぶって村へ戻っていく。


 なかなか頑固だったが、とても律儀な子だ。恐らく言いふらされる心配はないだろう。これでようやく、やるべきことがすべて片付いた。


「は~、疲れた。……さてと、ラピス、俺たちもそろそろ帰るか」

「は、はい……!」

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