第35話 戦いの後に

 静まり返ったネブラス大平原を、一陣の風が吹き抜けていく。

 見上げる空にはいつの間にか太陽が昇り、遠くの山々からは小鳥の囀りが聞こえて来る。


 そんな穏やかな朝。平原で大の字に寝転んだ俺は、心の底から呟いた。


「――うあ~、死ぬかと思った……」


 それは思わず口をついて出た独り言。……が、ここにはツッコミを入れて来る奴が一人。


「『死ぬかと思った』、じゃないですっ! 自分が何をしたのかわかってるですか?!」


 と、顔を真っ赤にして憤慨するのは、少女の姿に戻ったラピスだ。


「ら、ラピスがいなかったら、あなた今頃……!」

「ああ、その通りだな。ほんと助かったよ、ありがとう」

「だ、だから『ありがとう』じゃなくて~~~!」


 ラピスはやきもきと手足をばたつかせる。


 その仕草が可笑しくてつい笑ってしまうが、改めて考えると冗談じゃ済まない窮地だった。もしあの場にラピスが来てくれなかったら、もし到着がもう少し遅かったら、もし俺に手を貸してくれなかったら……俺は間違いなくあのまま死んでいただろう。


「いやでもさ、冗談抜きで来てくれて助かった。お前は命の恩人だ。本当にありがとう」


 適当な礼だけで済ませられる問題でもないだろう。俺は改めて感謝を伝える。するとラピスは怒るのをやめて……プイっとそっぽを向いた。


「べ、別に、ただのきまぐれなので……! ま、まあ、どうしてもと言うのなら、感謝の気持ちとして木苺の砂糖漬けを受け取ってあげるです……!」


 なんてわざと傲慢ぶって言い放つも、小さな耳が先っぽまで真っ赤になっている。感謝され慣れていない感がもろバレだ。……まあ、ここは見て見ぬふりをしてやるのが優しさか。


「ははは、10瓶ぐらいで勘弁してくれよ?」


 かくして俺たちは戦いの終わりを噛みしめる。くだらない会話ができるのは、死線をくぐり抜けた何よりの証拠だ。


 ただし、この場にはもう一人、それに加わろうとする奴がいた。


「――くくく……仲が良いものじゃな、代理よ……」


 唐突に響いて来た不気味なほど艶のある声。

 と同時に灰の中から現れたのは、妖艶な着物姿の美女――まごうことなきアゼリアだ。

 

 そして三度みたび蘇った魔王はゆっくりとこちらに向かってくる。


「な、ま、まだやる気ですか……!」


 などと警戒心を剥き出しにしつつも、ちゃっかり俺の後ろに隠れるラピス。それに対し、アゼリアは意にも介さず笑った。


「いいや、とうに決着はついておる」

「へ……?」

「よもや十万を越える妾を一撃とはのう……見事であったぞ、代理とその剣よ」


 素直に俺たちを讃えるアゼリアからは、あれほど圧倒的だった力が感じられない。そう、今の彼女はただの単体。己を構成していた数億の虫を失い、たった一匹となった彼女は、今や普通の人間と変わらぬ無力な存在となっていた。


「おほめにあずかり光栄です……つーか、少しは手加減してくれよな」

「何を言うか、そんな非礼を働くわけにはいかぬであろう?」


 と、アゼリアはけらけら笑う。やはりもう敵意は感じられない。俺とラピスのあの一刀によって、数万の力と共に狂気じみた激昂まで食い尽くしてしまったようだ。そもそもこいつにまだ戦う意思があるのなら、『笑顔で近寄って不意打ち』なんて真似はしないだろう。


 敵対する者には暴威を、力を認めた者には敬意を――命を賭けて殺し合ったからこそわかる。きっとそれがこいつの生き方だ。


 ……なんて、ちょっと格好つけて分析してみたりもしたが、本当のところを言えば警戒していないわけじゃない。『警戒する力すら残っていない』、というのが実情だ。なにせ、さっきの一撃で持てる力のすべてを吐き出してしまった。今じゃ剣を振るどころか、走って逃げることすらできそうにない。どれだけ警戒したところでこれじゃあ意味がないだろう?


「それで、今回の件についてなんだが……」


 と、俺は本題を切り出す。勝った負けたで終わってくれないのが今回の面倒なところだ。


「色々あったけどさ……人間たちとも穏便に済ませちゃくれないか……?」


 見ての通り、アゼリアはもう俺に対する敵意は抱いていない。だが、転移者含む人間たちに対してどうかはまだ不明だ。最終的にアゼリアの勝利だったとはいえ、一度は全身を焼かれた上に、その復讐も中途半端で終わっている。場合によっては再びこいつと戦わなければならない可能性も……


 だが、その心配は杞憂だったらしい。


「ふん、勝ったのはそなただ。妾に対する人間どもの無礼は、そなたに免じて忘れるとしよう」


 と、頷くアゼリア。どうやら魔王との再戦は避けられそうだ。……けれど、やはりそれだけで終わってくれるほど甘い相手ではない。アゼリアは「ただし」と付け加えた。


「あくまで今回だけじゃ。次に同じことがあれば妾は躊躇わぬ。無論、供物も要求する。ここはすべて妾の大地じゃ。王たる妾に還元するは当然の理であろう?」


 アゼリアは高圧的に言い放つ。

 永久に税金免除、とはいかないようだ。……ただ、俺としてはそこに異論はない。魔王代理である以上、人間側だけに肩入れする義理もメリットもないし、何よりあの婆さんの言葉が記憶に残っているからだ。


 この世のすべては循環するもの。そして【豊穣の王】はその回し手にすぎない――それが真理だなんて思っちゃいないが、少なくとも、虫の集合体であるアゼリアが生態系の一端を担っているのは確か。もし奉納品による安定した餌の供給がなくなれば、いずれは飢餓に追い詰められて無差別に村を襲うか、もしくは虫が全滅することによりこの地方全体の生態系が壊れてしまうか。どちらにしても良い未来は見えない。


 こいつはきっと必要な存在なのだろう。


「ああ、わかった。それで手打ちってことにしてくれ」

「うむ、よかろう」


 これにて交渉成立。ようやく事件に片が付いたわけだ。……ただ、最後に一つだけアゼリアは問うた。


「……だが、その前に一つ答えよ。――なぜ妾を生かした? その力であれば、妾のすべて食らい尽くすこともできたであろう? 憐憫か? それとも恩でも着せる気か?」


 詰問するアゼリアの表情からは、微かに不穏な気配が漂っている。もしも癇に障る返答であったなら、もう一波乱起きてしまいそうな雰囲気だ。


 俺は大きく深呼吸すると、意を決して答えた。

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