第33話 逆転の方策
「ぐぅううっ……!!!」
瞬間、右手を襲うのは想像を絶する激痛。黒炎の魔力と法衣の魔力が反発し合い、ばちばちと火花が散る。‘熱い’という感覚を通り越して生まれる苦痛に、全身から大量の脂汗が噴き上がった。
これはアゼリアにさえ有効な超常の炎。術者が倒れてなお消滅しないほどの魔力の塊だ。触れて無事でいられるはずがない。『庇護者の法衣』がなければとうに体ごと蒸発しているだろう。もちろん覚悟はしていたが、これだけの激痛は想定外だ。
……だが、それぐらいでなくては困る。こいつが俺の持つ唯一の切り札なのだから。
俺は必死で痛みに耐えながら、《アムシャの燈》に【
「はぁああああ――!!!」
命の対価と考えれば、右腕の一本ぐらい安いもの。俺は決死の覚悟で力のすべてを絞り出す。――そしてついに、《アムシャの燈》が俺の意思に応じて膨れ上がった。
再び空を覆う漆黒の獄炎。巨大な死の影となった炎は、生命という生命を手あたり次第に食い尽くす。その禍々しき力はエミリアが使役していた時とは比べ物にならない。背後まで迫っていた虫の軍勢が為す術もなく蒸発していく。
……ただし、全身を襲う痛みと脱力感は消えてくれなかった。一度きりの発動型だった宝石と違って、《アムシャの燈》は持続型の魔法。強化・制御を継続するには常時莫大な力を注ぎ続けなければならない。一秒ごとに生気がごっそり削られていくのを感じる。
もってあと数秒――間に合うか?
虫の残数と俺の精神力……ことここに至っては消耗戦だ。互いの生存を賭けた、人生で一番長く苦しい数秒。それは永遠のようでいてあっという間に過ぎ去って――限界を迎えた俺は、【
「はあ、はあ、はあ……」
黒炎が潰えた瞬間、俺はその場に倒れ込む。どこもかしこもひどく痛むし、全身から力が抜けきって動くのも一苦労、頭は朦朧として視界がかすむ。満身創痍ってやつだ。……だが、その甲斐はあったらしい。
大の字になって見上げる空に虫の姿はなく、静まり返った平原に羽音は響かない。辺りは綺麗さっぱり平穏に凪いでいる。――そう、ぎりぎりで競り勝ったのは俺。能力が切れる間際、タッチの差で殲滅に成功したのだ。
だが、勝利の喜びはなかった。
「……すまない、こうするしかなかったんだ……」
結局のところ、俺はアゼリアを殺してしまった。本当は人間と魔王どちらにも犠牲を出さずに終わらせるべきだったのだ。だから、これはベストな結末ではない。無力であるがゆえのビターエンドだ。
だが、どれだけ悔いてももう遅い。過去のことも未来のことも考えず、今は事態の収拾に努めよう。
「おい、お前ら大丈夫か……?」
悲鳴をあげる体に鞭打って、俺はふらふらと立ち上がる。向かった先は転移者姉妹。エミリアはまだ気を失っているが、ルーミアの方は辛うじて意識を保っていた。
「あ、あなたは……?」
「それはだな……いや、んなこと今はどうでもいい。お前らが無事で何よりだ。ほら、立てるか? 姉貴の方は俺が運ぶから、村へ戻るぞ。早く手当てをしないと」
念のため確認したところ、意識はなくともエミリアの呼吸はしっかりしている。だが毒の効果がわからない以上安心とは言い難い。俺の能力で薬草類を強化して片っ端から与えてみる案も考えたが、薬とは往々にして処方量を間違えれば毒になることが多い。大人しく医者に任せるのが最善だろう。それからルーミアへの説明も考えておかなければ。転移者の魔法を我が物として操る力……絶対怪しまれるに決まっている。恐らく代理魔王とバレてはいないはずだけど、下手したら噂が広まってしまう可能性も……
そこまで考えてから俺は首を振った。ああ、ダメだ。頭が回らない。休息が必要なのは俺も同じらしい。
俺は思考を止めてエミリアを抱き起す。余計なことは後だ、今は帰還することだけを考えよう。
――だがその時、背筋にぞくりと冷たいものが奔った。
「――っ?!」
反射的に振り返った瞬間、眼前の地面がぼこぼこと盛り上がる。そして地中から姿を現したのは、体長五メートルを越す巨大なサソリの魔物だった。
「アゼリア、なのか……?!」
思わずこぼした呟きに、魔獣が答えることはない。返答の代わりに鞭のような尾がしなったかと思うと、弾丸のような速度で飛んでくる。
『避けなければ』――と頭の中で鳴り響く警報。だが、完全に気の抜けていた体は動かない。ショートソードほどもある毒針が迫って来る光景が、まるでスローモーションみたいにゆっくり見える。命の危機にはこんな風に見えるって昔どこかで聞いたことがあるけど、なるほど、こういうことか。……要するに、俺はもう――
――だが顔面まであと数センチに迫った毒針は、不意に宙空で弾かれた。
「に、逃げて……私たちは、いいから……!」
これで正真正銘俺は魔王とタイマン。だがルーミアのお陰で、もう一度体に喝を入れる時間は稼げた。
「あんた、ちょっとしつこすぎるんじゃねえのか……!」
エミリアを地面に横たえて、俺はゆっくりと姉妹から離れる。ギロチンのような鋏を鳴らしながら、サソリは俺を威嚇するように尾を唸らせている。
やはりそうだ。さっきの一撃、狙いは完全に俺の首だった。標的は姉妹ではなく俺に移っている。あまり嬉しくはないラブコールだが……今は好都合。
「俺を殺りたきゃついてこい!」
わざとらしく挑発しながら、俺は背を向けて駆け出す。案の定、サソリはルーミアたちに目もくれず俺を追って来た。そうだ、それでいい。目的は最初から逃げることじゃない。姉妹からこいつを引き離すことだ。もちろん、サソリの攻撃から二人を守るためでもあるが、それはあくまで副次的な狙い。
本当の理由は……俺の攻撃に二人を巻き込まないようにすること。
(よし、やっと見つけた……!)
二人から大きく離れたところで、俺は足を止める。すぐ傍には探していた《アムシャの燈》の残り火が。さすがにもう魔力も尽きかけらしく、萎み切って今やロウソク程度の火種になっている。だが、どんなに小さくとも存在していればそれでいい。俺は残った力をかき集めて《アムシャの燈》を強化した。心身の消耗的に考えて、これが正真正銘最後の一手だ。
瞬間、膨れ上がる漆黒の業火。さきほどよりも規模も火力もかなり弱い……が、元が強すぎるのだからそれでも十二分だ。唐突に出現した黒炎に包まれ、瞬く間に見えなくなる大サソリ。どれだけでかかろうと、所詮は虫。この炎に抗えるはずがない。
これで今度こそ――
「っ……!?」
『終わった』と思った刹那、炎の中から飛んでくる尾節の一撃。かわしきれずもろに喰らってしまう。『庇護者の法衣』のおかげで腹に風穴があくことは避けられたが、金属バットでフルスイングされたような、とんでもない衝撃と痛みだ。
「がはっ……!」
口の中一杯に血の味が広がって、呼吸ができずに大きく咳き込む。涙でかすむ視界の中、悠々と黒炎から歩み出て来たのは、焦げ目一つつかぬ無傷の大サソリ。その姿を見て俺は理解した。
アゼリアの能力は分離と集合――恐らくこのサソリは無数の虫を集めて作り上げた集合体なのだろう。ばらばらの群体から一個の集合体となることで、分散していた耐火能力を一点に集めたのだ。
すなわちこいつは、エミリアの炎を攻略するためだけに生み出された適応種。『転移者殺し』の究極系ということ――
「くそっ……!」
俺は懐から短剣を取り出す。《アムシャの燈》が効かないとなれば、残った攻撃手段はこれしかない。だがこんなもの強化したところで分厚い外装を貫くのは不可能。そもそも尾節と鋏の猛攻をかいくぐる戦闘センスなんて俺にはない。幸いサソリはあのゴラムほど圧倒的な攻撃力ではないため、《庇護者の法衣》があれば即死は免れるだろう。だがモロに喰らえば内臓に響くほどのダメージはある。あと数回食らえば動けなくなるだろう。というかそれ以前に、二度の黒炎操作によって体力も気力もすっからかん。右手は熱傷によってひどく痛むし、意識にも靄がかかっている。サソリの攻撃を喰らうまでもなく、今すぐにでもぶっ倒れそうだ。どうにかしないと、いよいよまずい。
考えろ、考えろ、考えろ。
現状打開の一手を、起死回生の妙案を、絶体絶命を切り抜ける秘策を――
ぼやけた頭を奮い立たせ必死で策を巡らせる俺は、しかしとうに気づいていた。
そう、答えなんか最初から出ている。――俺は既に
こんなもの、バカでもわかる簡単な話。ちっぽけな蟻が、たった一匹で巨象を殺す方法を探しているようなもの。答えなんて秒でわかる。――不可能なのだ。
(――はは、ここで終わり、か……)
息継ぎさえままならない連続攻撃。それを死に物狂いでかわす俺は、きっと無様な操り人形のように見えるだろう。救いのない拷問の如き猛攻を、ただこの一秒を生き延びるために耐え続ける。その意味すら見いだせないというのに、生存本能とは惨めなものだ。
酸欠と疲労でかすむ意識の中、俺はただ一つだけ悔いた。
(……ああ……絶対帰るって約束、守れそうにないな……)
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