第32話 リクの切り札


 唯一の希望である転移者が、虫の海に沈んでいく光景。

 固唾をのんで見守る村人たちにとって、それは決定的な絶望を意味していた。


「て、転移者様が負けた……?」

「お、おしまいだ……!!」


 転移者が敗れたとなれば、次の標的は当然自分たち。ある者は着の身着のまま、ある者は持てる限りの家財を抱えて、散り散りに村から逃亡を始める。


 その騒ぎの真っただ中に、俺はいた。


あいつら転移者が、負けた……?!」


 想定していた中で最悪の事態だ。もちろん、これに備えて駆けつけはした。だが、やはり転移者が敗北した事実に動揺は隠せない。あれだけの力を持つ姉妹が二人揃っていても、本気になったアゼリアを止めることはできなかったのか。


 だが今は立ち止まっている場合ではない。一人でも多く村人を逃がさなければ。幸か不幸か、ルーミアの防壁はまだ破られてはいない。あれが保たれている限りは村に矛先が向くことはないだろう。二人を囮に使うような残酷な考えだが、今できる最善はこれしかない。


「おい、遅れてるやつはいないか?! とにかく遠くまで逃げろ!」


 精一杯の大声を張り上げながら、俺は逃げ遅れた者を探す。

 そして、村のはずれで二つの人影が目に留まった。


「お前らなにやってんだ!? 早く避難を――」


 と言いかけて口をつぐむ。

 よく見れば、その二人には見覚えがある。――あの酒場の若者と老婆だ。


「あ、あなたは……」

「おお、これは冒険者殿。来てくださったのですか?」

「いやいやいや、俺のことより、あんたら何のんびりしてんだよ! さっさと逃げるぞ!」


 こいつら、緊急事態ということが理解できていないのだろうか?

 だがこちらの忠告に二人は揃って首を振った。


「逃げるのであれば、どうか孫を連れていってくだされ」

「は? 婆さんはどうすんだ?」

「王がお怒りを鎮められるよう願い奉ってきますじゃ」

「だからやめろって言ってるだろばあちゃん! 間違いなく殺されるぞ!」

「それでお怒りが鎮まるのであれば本望。異界の転移者なぞ信用はしとらんが……村のために戦ってくれた者を見殺しにするわけにはいかぬじゃろうて」

「だ、だけど、元はといえば俺のせいだ! 行くなら俺が……!」

「孫の尻を拭くのはババアの喜び。お前もこの歳になればわかる。それまで命を粗末にするでない」


 と、俺そっちのけで展開される二人の会話。なにやら良い話っぽくなってるが、もたもたされて困るのはこっちの方。つーか、名前も知らない二人に感動も糞もないっての。


「あーもー、めんどくせえ! 逃げるのはお前ら二人だ! あいつらは……俺が何とかする!」

「ぼ、冒険者殿……?」

「なにを……?」

「いいから、とっとと行けって!」


 こういうのは俺のキャラじゃないが、仕方ないだろう。あのままじゃきっと、二人して身投げ同然に死んでいく。そんなもの見ちゃいられない。


 そうして逃げていく二人を見送った俺は、靴を強化して駆け出した。向かう先は怒れる魔王の元だ。


「――おい、アゼリア! もう一度話をしよう!」


 大地を揺るがすほどの羽音の渦中で、俺は大きく叫ぶ。虫たちはみなルーミアの障壁を破らんとかじりついたまま。こちらに気づいているかさえ定かではない。だが、声をあげてから数秒後、虫のさざめきの合間から返答が返って来た。


「――ほぅ、誰かと思えば、あの弱き代理ではないか」


 冷たい怒気に満ちたアゼリアの声。やはり虫たちの怒りの源はこいつ自身らしい。だが、それでも言葉が返って来たのは幸運である。これなら交渉の余地はまだあるだろう。


「お前、やっぱり強いんだな。変に忠告なんかして悪かった、今回はお前の勝ちだ。村人もこれで二度と逆らおうとは思わないだろう。だから……もう十分だろ? その辺でやめとけよ」


 俺は言葉を選びながら説得を試みる。アゼリアとて平時は捧げられた農作物で腹を満たしていたのだ、人の肉を食うことが目的ではない。ならば‘勝った’という事実があればそれで十分なはず。……けれど、アゼリアの答えは考え得る限り最悪のものだった。 


「十分、だと? くははははは!! ――まだじゃ、妾はまだ飽かぬ! 身の程をわきまえぬ愚かな人間どもすべてを喰らい尽くすまでは!!」


 高笑いと共に膨れ上がる怒気……いや、殺気か。こうして会話をしているだけで全身の寒気と鳥肌がとまらない。『庇護者の法衣』を通してなおこれなのだから、もしまともに対面していれば卒倒していたことだろう。

 

 結局こうなるのか。まあそりゃそうだよな。一度は全身を焼き殺されたのだ、命までは取らない、なんて甘っちょろいことを言ってくれるはずがない。アゼリアはきっと、本当に村も人も食い尽くすまで攻撃をやめないだろう。


 ああ、だったらもう……こうするしかないよな。


「そうかよ、お前の考えはよくわかった。なら――俺が相手だ」


 そう言い放った途端、防壁破りに夢中だった虫たちの動きがぴたりと止まる。そして次の瞬間、闇の中で光る無数の眼が一斉にこちらを向いた。


「……今、なんと申した?」


 射貫くような数百万の視線と、凍えるほど冷たい殺気。心臓の鼓動が早回しになって、膝が震えそうになる。ああ、完全に怒らせちまったな。だがここまで来て後にはひけない。


「お前は俺が止めるっつったんだよ」

「脆弱な貴様が、この妾を? ……ククク、面白い。そんなに怯えた体で、一体どう止めるというのだ?」


 と、アゼリアは冷たく嘲笑う。

 悔しいがこいつの言う通り。俺は弱くて、こいつは強い。止めるどころか勝負にすらなりはしないだろう。……だが、それはあくまで‘俺は’の話。ここには魔王と渡り合うほどの強大な力があるのだ。


「どうするって……こうすんだよ!」


 俺は威勢よく叫ぶと、迷わず踵を返した。逃げる……のではない。向かった先は今なお大地を焦がしくすぶっている《アムシャの燈》の残り火。


 万象を焼き尽くす漆黒の業火――アゼリアでさえ正面からではこの炎に太刀打ちできなかった。個人の力じゃ足りないってんなら、もっと強い力を借りるまでだ。


 俺は手袋の防御力を最大まで引き上げると、真っ黒な炎に手を突っ込んだ。

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