第6章 魔王討伐

第31話 くだらない結末 (その2)

――――……

――……


「――こ、【蝗害の魔王】だ……!」

「――死んだはずじゃなかったのかよ……!?」

「――と、とにかく村から離れろ!」


 飛び交う悲鳴、交錯する足音、サイレンにも似た赤子の泣き声と――耳障りに鳴り響く虫の羽音。魔王の復活を目の当たりにしたことで、ムジナ村は大混乱に陥っていた。


 七日七晩にも渡って連日連夜続いた祭り。その幸福な余韻は既に跡形もない。魔王の再来と共に、絶望が再び村を覆い尽くさんとしていた。


 だが、そこへ――


「――あーあ、魔物って馬鹿よねー。私たちが立ち去るまで我慢してればよかったのに」

「――み、みなさん、落ち着いてください。わ、私たちがなんとかしますので……!」


 宿からのんびりと現れたのは、オッドアイの転移者姉妹。祭りの主賓として今日まで引き留められていたのだ。


 その姿を見た瞬間、村中に安堵が広がる。


「そ、そうだ、俺たちには転移者様がいる!」

「あの圧倒的な戦いを見ただろ? 何度やっても同じさ!」

「ああ、神よ、感謝します……!」


 そう、魔王が蘇ったからなんだと言うのだ。こっちにはその魔王を蹂躙した転移者がついている。何度やったとしても結果は同じだ。村人たちはみな、彼女らが居合わせた幸運を天に感謝した。


 そんな期待と敬意の視線を背負って、姉妹はまたしても平原へ向かう。


 怒れる魔王を討つため送り出される、たった二人の討伐軍。考えてみればひどい話だ。年端も行かぬ少女にすべてを背負わせ、村人たちは誰一人戦おうとしないのだから。……だが、当のエミリアはなんら気にしてはいなかった。


 自分たちは強く、村人たちは弱い。弱者など戦場では邪魔なだけ。下手な正義感なんて迷惑以外の何物でもない。たっぷり謝礼を用意して隅っこで待っていること――モブの村人に求める働きはそれだけだ。


「ほんと、いい商売よね、勇者って。こんな雑魚を狩るだけで一生遊んで暮らせるんだもの」


 そうして平原に降り立ったエミリアは、頭上を覆う虫たちへ不敵な笑みを投げかけるのだった。


「さあ、さっさと始めましょ。今度こそ根絶やしにしてあげるわ……!」


 刹那、漆黒の濁流となって襲い来る虫の群れ。

 対するは、天をも穿つ蒼炎の槍焔業輪廻

 その光景はまるっきり前回と同じ。まるでよくできた再現映像のよう。


 それもそのはず。役者も、舞台も、状況も、何一つ変わっていないのだから、結果とて等しくなるのは当然の理。……だが、奇しくも再演は別の結末を迎えようとしていた。


「――っ?!」


 ぶつかり合う黒と蒼の奔流。全身を焼かれた虫の残骸が、線香花火の如くぱらぱらと散っていく。何をどうあがいたところで、昆虫風情が炎に勝てるはずはない。やはりエミリアの勝利は揺るがないように見えた。……が、この戦いにおいて初めてエミリアが顔をしかめる。


(こいつら、なんで……!?)


 前回同様、確かに炎は効いている。現象である火に対し虫の攻撃など無意味。逆に炎がひと撫ですれば虫の体など数秒で塵となる。……が、それこそが違和感の原因だった。


 先の戦いでは蒼炎に触れた虫は即座に灰となっていた。なのに、今回は数秒のラグがある。ほんのわずかだが、焼き尽くすまでの時間が伸びているのだ。無論、たった数秒の誤差など取るに足らぬもの。だが、相手はそんな虫が数億と集まった群れ。一匹につき数秒遅れるとしたら、群れ全体で考えた時、その差は――


「こんの……! うじゃうじゃと……!」


 おびただしい数の犠牲を出しながら、なお恐れることなく突進する黒の軍勢。その勢いは業火の中でも止まらず、着実に二人の喉元へと迫って来ている。


 そしてとうとうその毒牙が届かんとした瞬間――半透明の壁が姉妹を守った。ルーミアの防御結界だ。


「姉さん……恐らく、炎耐性が……」

「わかってるわよ!」


 ここまで来たら疑いようはない。虫たち一匹一匹が炎魔術に対する耐性を手にしているのだ。


 進化と適応――それこそが‘群れ’たる【豊穣の王】の真骨頂。単なる再生や蘇生ではなく、死して世代を重ねることで単体では到底不可能な速度で進化する特性である。【豊穣の王】にとって一度の全滅など敗北とは言わない。勝利のために踏む一過程に過ぎなかったのだ。


「ふん、だからなんだっての!? どんだけ進化したって、虫は虫でしょ! ――ルー、道を開けなさい!」


 姉の指示に従って、バリアがくねくねと形を変える。できあがったのは、曲がりくねった迷路のような道。これにより虫たちの侵攻ルートは一方向のみに制限され、さらには今まで無秩序に散逸するだけだった熱が効率的に集約されることになる。すなわち、ルーミアの結界は虫の攻撃を抑える防壁であり、火力を増強するための砲身でもあるのだ。


 巨大な焼却炉となった結界内において、もはやエミリアに勝てるものなどいない。虫たちは徐々に押し返されていく。……しかし、エミリアの頬に余裕はない。それどころか、先ほどまでよりずっと顔を歪めていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 結界により分断し勢いを削いだことで、直接虫の毒牙を受ける危険は去った。だが、一度に相手をする数が減ったということは、一度に殺せる数も減ったということ。要は持久戦への転換だ。そして今なお灰の山から誕生し続けている虫に対し、エミリアの魔力は無尽蔵ではない。なにせ、これほど圧倒的な火力を持っている彼女だ。立ちはだかる魔物はすべて、文字通り一瞬で灰にして来た。すなわち、ここまで長時間火力を放出し続けた経験などないのである。


 既に限界は近い。きっとこのままでは、敵を全滅させるより先に魔力が尽きてしまうだろう。それはエミリア本人だからこそ悟ってしまう事実。待ち受ける確定した敗北を理解したその瞬間、彼女は《焔業輪廻》を止めた。


「……もういいわ、ルー。壁を解きなさい」

「ね、姉さん……?」

「いいから、言う通りになさい。……どうせ先延ばしにしたって負けるんだもの」


 疲れ切った声で命じるエミリア。その顔にはくっきりと刻まれた憔悴と諦念が。それを見たルーミアは苦悶の表情で指示に従った。……というより、彼女とて姉の炎と虫の攻撃両方を受けながら結界を維持するのは限界だったのだ。


 かくして行く手を阻む壁も、厄介な炎も消えた。もはや邪魔するものは何もない。虫たちは無防備となった獲物目掛けて四方八方から殺到する。この世は弱肉強食。強き者が弱き者を食らう世界だ。生存を諦めた者に生きる資格などないのである。

 

 そうして迫り来る無数の顎が、少女たちの体を無残に引き裂こうとした刹那――万を越える虫が瞬時に蒸発した。


「――先延ばしにすれば負けるなら……一気に片付ければいいんでしょ?」


 いつの間に現れたのだろうか、エミリアの周囲に漆黒の炎が踊る。

 宵闇よりもなお昏く、水底よりもなお深い、純然たる‘黒’――まるで光さえも焼き尽くしてしまったかのような、おぞましい無明の業火。


 固有魔法:《アムシャの燈フラァマ・スプンタ》――万物を灰燼へと帰す終焉の焔。世界最上級の炎魔法さえ凌駕する彼女の奥の手だ。切り札を隠し持っていたのは魔王だけではなかったのである。


 だが、《アムシャの燈》を起動したエミリアはすぐに膝をついた。その頬は過剰な負荷により色を失い、額からは大量の脂汗が。常軌を逸する異端の力を制御するのは、転移者といえど簡単ではないのだ。


 しかし、その威力は代償相応の……いや、それ以上に凄まじいものだった。


 黒炎の数メートル範囲に近づいただけで、虫たちは次々と発火しては落ちていく。万一直接触れようものなら、灰も残さず蒸発だ。進化により手にした強固な炎耐性でさえ何の意味もなしてはいない。


 荒ぶる黒炎は今や誰にも止められなかった。大地は溶岩の如く融解し、草原はとうに焼け野原。空気中の水分すら残らず蒸発したことで、空には巨大な雨雲が生成される。そして降り出した雨もまた地面に触れる前に気体と化す――


 地獄の如き異様な光景は文字通りの天変地異。まさに世の理を捻じ曲げるほどのチートだ。


「ね、姉さん、あまり無理しないで……!」

「いいから下がってなさい……あんたは私が守ってみせる……! 邪魔する奴は全部殺して……もっともっと楽な暮らしをさせてあげるんだから……!」


 巨大なブラックホールの如く【豊穣の王】を食らう《アムシャの燈》。無限にも見えた虫の数が目に見えて減っていく。無論、エミリアの消耗も同じぐらい激しいが、それもあと十数秒で終わる。虫を根絶やしにするまであとわずか。今度こそどんな小さな卵だって残しはしない。

 

 魔力切れよりも殲滅の方が早い――エミリアは確信する。これで本当に終止符だ。……だが、その確信を狂わせる小さな誤算が、彼女たちの足元から迫っていた。


「っ……?!」


 ずき、と足首に感じる鋭い痛み。反射的に視線を下げたエミリアの目に映ったのは、足首にまとわりつく小さなムカデ。


「このっ!」


 咄嗟にムカデを踏み殺すエミリア。だが、既に遅かった。足首に痺れを感じたと思った次の瞬間、くらりと視界がかすむ。炎を使役することによる疲労……だけではない。ムカデの毒によるものだ。


 飛来する虫に気を取られていた姉妹は、地中から迫る小さな小さな刺客に気づかなかったのである。


「姉さんっ!?」

「こ、こんな……こんな雑魚に……!」


 エミリアは己の迂闊さに唇を噛む。だが後悔の言葉すら意識が朦朧として出てこない。もはや立っていることすらできなくなって、大地に倒れ伏すエミリア。と同時に、魔力供給を絶たれた黒炎もまた、火勢を失いばらばらと地に落ちる。


 ここにすべての脅威は消えた。多くの同胞を焼かれ怒り狂った虫たちは、ここぞとばかりにエミリアへ肉薄する。だがその柔肌を引き裂く間際、ルーミアの防壁アナフの塁壁が往く手を阻んだ。虫たちは壁にへばりついたまま、悔しげに鋏を鳴らすばかり。


 だが、彼女たちの抵抗はそれが限界だった。


 箱状の結界に全方位から取り付く虫たち。幾重にも、幾重にも、蜜に群がる蟻の如く防壁を包囲する。殺意に囚われた虫たちに諦めるなどという思考は存在していない。ただひたすらに無数の牙で食いつき、無数の針で刺し続ける。いずれ魔力が切れて防壁が消えるその瞬間まで。もはや姉妹に逃げ場など残されてはいない。群がる虫の羽音を聞きながら、死を待つだけの運命。まさしく籠に囚われた虫けらだ。


 かくして二度目の戦いは終わった。――【豊穣の王】の勝利という、最悪の結末で。

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