第30話 灰の海より出でしもの

「みてみてー」

「ん、どうしたリリア? なんかいいものでも拾ったか?」


 遊んでいたはずのリリアが、両手をぴたっと閉じたままとてとてリクの方へ駆け寄る。綺麗な石でも拾ったのかと屈み込んだリクの前で、幼女はぱっと両手を広げた。


「むしっ!」

「おわっ!!?」


 小さな掌から飛び出したのは、これまた小さな一匹のイナゴ。解放されたイナゴは九死に一生とばかりにぴょんぴょん逃げていく。子供というのは本当に虫が好きな生き物だ。


 そんなやりとりを見ていたラピスは、ふと不思議に思う。


 ――イナゴなんて、この山にいただろうか? 魔装によって適温に保たれた洞窟内と違い、外はいつでもそこそこ暑い。平原に棲むはずのこのあたりのイナゴが、どうしてこんな火山にまで……?


 なんだか無性に気になって首を傾げるラピス。けれど、リクの見せた反応は彼女の比ではなかった。


「まさか……嘘、だよな……?!」


 そう呟くリクの顔は、遠目からでもはっきりわかるほど青ざめている。虫が苦手……で説明がつくレベルではない。


「おいリク、どうした?」

「何かあったのかのぅ?」


 心配する二人の言葉も耳に入らない様子で、リクは窪地の端へ駆け寄る。そして何かを探すように眼下へ目を凝らし始めた。


「な、なにしてるです……?」

「いや、だ、大丈夫だ、きっとそんなはず……」


 そう答えるも、リクの目は下方へ向けられたまま。嫌な予感に駆られたラピスは、釣られるようにして地上を眺める。……が、眼下の平野には先日の戦いで積もった灰が広がっているだけ。一面灰色に染まった寂しい景色には、見るべきものなど一つもないように思える。一体何を探しているというのか……?


 だがその時、ラピスの視界の隅に何か動くものが映った。慌てて目を凝らすが、やはり平原には灰が積もっているだけ。気のせいだったのだろうか……いや、そうじゃない。


 どこまでものっぺりと広がる灰の絨毯。その一部が時折、風もないのにもぞもぞと蠢いている。たとえるならそれは、静かな湖面に水泡が浮かびあがるような……ほんの小さな動き。だが、微かではあっても確実に灰の下では何かが起きていた。あっちでも、こっちでも、波のようなざわめきは徐々に数を増し、灰の平原が荒海の如く波打ち始める。と同時に、ブンブンという耳障りな低音が鳴り出し、空を黒い粒のような何かが飛び交い始めた。

 

「も、もしかして……!」


 ラピスの脳裏にある仮説が浮かぶ。それはひどく恐ろしいものだったが、この光景を前にしてはもうそれしか考えられない。――そう、積もり積もった灰の下では今、次々と虫の卵が孵化しているのだ。


 飛蝗、蛾、蜻蛉、蜂、虻……卵のまま戦火を生き延び、灰中にて生まれ出た第二世代たち。それらは一斉に飛び出すと、瞬く間に空を埋め尽くす。まるで一週間の再現だ。その統率者が誰であるかなど、わざわざ問うまでもない。


 世代交代すら前提とした、圧倒的生存能力――それこそが‘群れ’である【豊穣の王】の真骨頂。魔王との戦いは、まだ終わっていなかったのである。


「くそっ……!」


 再来した虫たちを見て、リクは弾けるように駆け出す。

 蘇った魔王がどこへ向かうか、そんなの決まっている。アゼリアは復讐するつもりなのだ。一度は己の身を焼き滅ぼした憎き人間たちに。


 もはや一刻の猶予もない。再び戦闘が始まる前に、できるだけ多く村人を避難させないと。


「いいか、お前たちはそこにいろ! 絶対にここを離れるんじゃないぞ!」

「ま、待て!」

「わしらも……!」


 リクを追いかけようとするセラとパロ。だが、リクは二人を押しとどめた。


「いや、お前らはみんな頼む。今日はもうミラの力は使えない、もしもの時はお前らがリリアたちを守るんだ、いいな!?」

「だ、だが……!」

「……大丈夫、約束する。絶対に無茶はしない! ただ村の人たちを逃がしに行くだけだ!」


 二人とて、自分たちが足手まといになるのはわかっている。王の命令であれば従うより他になかった。


「……うむ、わかった。ここはわしらに任せるのじゃ」

「……無茶をしたら殺す! 絶対に帰ってこい!」


 そうして二人はリリアと眷属たちを連れて洞窟の中へ。それを見届けてから、リクはアンヌの方に向き直った。


「アンヌさん、あいつらのことをお願いします!」

「ええ、これでも一応は王だもの、言われなくても自分の領地は守るわ。それと、リクちゃん、行くなら第三リビングの横にある道を使いなさい。ふもとまでの近道だから」

「助かります!」


 かくしてわき目もふらずに駆け出すリク。

 あとに残されたのは、にんまり微笑んでいるアンヌと、状況についていけずあたふたしているラピスだけ。


「ふふふ、若いわねえ」

「あ、あの……アンヌさんは、行かないですか……?」

「こういう時は若者に任せるものよ。それに、ここの守りも引き受けちゃったしねえ。アタシが動くわけにはいかなくなっちゃったわあ」


 と、アンヌはのんびり笑う。……ただ、最後に思い出したように付け加えた。


「でも、そうねえ、一つ心配事があるとしたら……あの子、折角アタシが鍛えてあげた剣、忘れてるのよねえ」

「なっ……! あの変質者……武器もなしに戦うつもりですか……?!」


 相手は怒り狂った魔王だ、素手で挑もうなんて無茶に決まっている。


「ふふふ、どうしたの? ラピスちゃんったらそんな顔しちゃって。そんなに心配なら、届けてあげれば?」

「べ、別に、心配なんて……!」


 そう、あんな男のことなんてどうだっていい。人間なんてみんな同じだ。勝手にやってきて、勝手にいなくなって……今度のあの男も、今までと同じ身勝手な人間の一人。ただそれだけのこと。気になんてするはずがない。


 だけど……


 なぜだろう、何も持たず飛び出した背中が脳裏にこびりついて離れない。無性に心が乱されてたまらない。なんて不愉快なんだろうか。こっちはこの先、永遠に続く引きこもり生活なのだ。こんなわけのわからない感情を押し付けられたままでは、寝覚めが悪くて仕方がないではないか。


 そう、文句の一つでも言ってやらなければ気が済まない。身勝手に引っ掻き回すだけ掻き回して、このまま戻ってこないだなんて……そんなのは、絶対に、許せない。


「……ほ、本当に、届けるだけですからっ!」


 アンヌの手から奪い取るようにして剣を受け取ったラピスは、そのまま拙い足取りで駆けだした。抗うための力を、リクへ届けるために。


「――そうよ、行きなさいラピスちゃん。あなたの体は、こんな洞窟で縮こまるためのものじゃないんだから」

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