第28話 道具の気持ち


――――……

――……


 ってな具合で、俺はひたすらアタックをかけまくった。大切なのは会話をすることだ。ウザがられようが、キモがられようが、コミュニケーションを取り続ける。これは俺の経験談に過ぎないが、何も起きない退屈さよりは、嫌なことでもイベントがある方がマシなんだ。ネットもテレビもない穴倉での引きこもりにとってはなおさらそうだろう。


 そうして一週間が過ぎた頃。


 深夜、草木も眠る丑三つ時。カナワ火山の食糧庫に、小さな小さな足音が一つ。

 ゆっくりと、人目を忍ぶように、足音は部屋に滑り込む。そして辺りに置かれた木箱の蓋を開けると、がさごそと中を漁り始め……


「――よお、こんばんは」

「んにゃっ?!」


 ナレーションごっこを中断した俺は、隠れていた扉の影から声をかける。すると、眼前のコソ泥――ラピスはまたしても素っ頓狂な声をあげるのだった。


「ま、ま、また待ち伏せですかっ?! へ、変態です! 変質者ですっ!」

「ははは、まあそう言うなよ。……ほら、探してたのはこいつだろ?」


 警戒するラピスへ、俺は木苺の砂糖漬けが入った瓶を差し出す。こいつがお気に入りなのはとっくにリサーチ済みだ。


 ラピスは束の間逡巡すると、奪い取るように瓶を掴んでまたすぐ棚の影へ逃げ込んだ。


「で、どうだ? その気になってくれたか? 力を貸してもらえたらすげえ嬉しいんだけど」

「ま、またその話ですか……お断りって言ったはずですっ!」

「そっか……そいつは残念だ。きっとお前にとっても悪い話じゃないと思うんだけどな……ほら、外の世界には色々と楽しいことがあるぜ? 肉汁あふれる極上ステーキとか、脂ののったぷりぷりの刺身とか、あとは……生クリームと砂糖をたっぷり使った、甘―いケーキとか」

「肉、魚、お菓子……ごくり」


 一瞬だけ涎を垂らしそうな顔になったラピスは、慌てて真剣な表情を取り繕った。


「ゆ、ゆーわくしても無駄ですからっ!」


 チッ、もう少しだったのに。

 さておき、おふざけはここまでだ。


「なあ、ラピス。真面目な話さ……俺と一緒に行く気はないか? もちろん、嫌になったらすぐ戻って来て構わない。無理に戦わせるつもりもない。だから、とりあえず一度だけでもさ。……お前だって、いつまでもここにいたいわけじゃないんだろ?」


 しばらく話をしていたからわかる。こいつは好奇心旺盛で、本来なら自分から外へ出るようなタイプだ。過去の体験から多少性格は歪んでいるが、決して現状に満足しているわけではないはず。だからこそアンヌも「外の世界へ連れ出して欲しい」なんて依頼してきたんだ。


 けれど、ラピスの答えは頑なだった。


「……い、いつまでもいたいと思ってますが? ここは天国ですから」

「本心には見えねえな」

「ほ、ほんとですよっ! ここならお菓子もあるし、好きなだけ寝てても怒られないし! それに、それに……」


 その先の言葉は尻すぼみに消えていく。そう、この穴倉には他に何もない。あるのは文字通りの停滞だけ。


「なあ、本当に少しだけでも……」

「い、嫌ったら嫌です! だいたい、なんであなたにお節介焼かれなきゃいけないですか!」

「だって、そりゃ……俺もそうだったから」

「え……?」


 しまった、口が滑った。この話をするつもりはなかったのだが……ここまで言ってしまったのなら仕方ない。俺はあまり楽しくない昔の話を始めた。


「実は俺も、つい最近まで引きこもっててさ。理由はお前よりずっとくだらないものだから、比べるのも失礼だとは思うんだけど……それでも他の奴より少しはお前のことがわかると思うんだ。それでさ、うまく言えないけど……俺は引きこもってた間、すげー楽だったけど、すげー苦しかった」


 引きこもり生活が楽しくなかったと言えば嘘になる。好きなことを好きなだけやれるのだ、まさに理想の生活である。……だけど、そこには常に何かが足りなかった。知らないところで世界が回っていく孤独感。あらゆる面倒事から解放されたはずなのに、心のどこかで手放したはずの‘面倒事’を求めている矛盾。しがらみとつながりは結局裏と表だったということに気づいた時には、なんだかすべてが手遅れになっていた。こうして無理矢理異世界に連れて来られていなければ、俺はきっと今でもあの狭い部屋に閉じこもったまま、自分の死を待ち望むだけの空虚な日々を送っていたことだろう。


「思い返してみればさ、結局のところ一人きりになったっていいことなんてなかったんだ。だから……そう、だから、お前には――」


「――だから、なんですか?」


 零れ出る小さな小さな呟き。それを聞いた瞬間、俺は思わず言葉を失う。

 ラピスの放ったその声には、今までとは比較にならないほど冷たい‘拒絶’の色が込められていた。


「……あなたの自分語りとか聞いてないです。そんなんでラピスが「ご主人様素敵~」なんて付いて来ると思ってるですか? ――馬鹿にしないでくださいっ!! 結局あなたは強い武器が欲しいだけですよね?!

 人間なんていつもそうです! 自分勝手にラピスを連れ出して、自分勝手にラピスを捨てる! それが嫌で嫌で嫌で……だからラピスは動けない体を呪ったです! ずっと、ずっと、ずっと、長い間呪い続けて……やっと人の体を手に入れたです! 足があれば逃げられるです! 口があれば拒否できるです! 手があれば自分を守れるんです! だからラピスは、もう二度と、誰かに使われるつもりはないんですっ!!」


 まるで手負いの獣のように、ラピスは必死で叫ぶ。その瞳は哀れなほどに怯え切っていた。


 きっと彼女はこれまで、数えきれないほどたくさん裏切られて来たのだろう。身勝手な事情で持ち出され、身勝手な事情で捨てられる。言葉にしてしまえばほんの一行だが、その一回一回がどれだけ彼女の無垢な心を傷つけたことか。


 そんなラピスにとって、ここは苦しみの末にたどり着いた安寧の地。停滞だとか、その場しのぎだとか、そんなものは他人だから言えること。『ここにいれば傷つかない』――それ以上を望もうとしないほどに、ラピスは追い詰められていた。だからこそ、偽りだろうが何だろうが、ここは間違いなく彼女にとっての楽園に他ならない。


 そんなところへふらっと現れた赤の他人が、「俺は今までの奴らと違うから」なんて言ったって、一体誰が信じるっていうんだよ。


「……だよな。そりゃそうだ」


 俺は肩をすくめる。


 まったく、返す言葉もないわ。知ったかぶって、わかったような気になって、上から目線でお説教。俺が一番嫌いだったタイプの輩そのものじゃないか。そりゃ怒るに決まってるわな。


「あー、我ながら嫌になる。俺ってこういうところがダメなんだよな……すまん。俺が悪かった。全部お前の言う通りだわ」

「え……な、なんです、急に……」

「なんも知らねえ部外者が「俺も同じだから~」とか、そりゃ腹立つわな。本当にすまんかった。この通りだ、許してくれ」


 俺はラピスに頭を下げる。

 そう、正直なことを言えば、最初は俺だって戦える力が欲しくてここに来た。ラピスのことだって強い魔剣だから手に入れたかっただけだ。でも、こうやって一週間も接していると、なんとなく親近感が湧いて来た。ほんの少し前までの自分と重なって見えた。だから、柄にもなく思ってしまったんだ。「俺がなんとかしてやりたい」って。


 でも、そんなのは俺の事情であって、こいつには何の関係もないことだ。


「お前のことはすっぱり諦める。これ以上煩わせるようなことはしないって誓うよ」

「ま、まあ……わかれば……いいですけど……」

「いつかお前が自分から「連れてってくれ」って言ってくるぐらいの魔王になったら……その時はまた迎えに来ることにするよ」

「ふ、ふんっ! そ、そんなこと一生ありませんけどね!」

「ははは、まあ期待しないで待っててくれ」


 そうだ、何事もそうとんとん拍子に行くはずはない。俺には俺のペースがあるし、こいつにはこいつのペースがある。無理に一段飛ばしで進もうとしたって、どこかできっと破綻する。だからこれでいいのだ。……ただ、こいつを外の世界に連れていけなかったことは、やっぱり少し心残りだ。アンヌへの謝罪文を考えとかないとな。


 なんてことを考えながら、俺は踵を返す。……だがその前に、一つ言い忘れていたことを思い出した。


「……あ、でも、もう一日だけ迷惑かけてもいいか? ちょっと騒がしくなると思うんだが……」

「はい……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る