第22話 くだらない結末 (その1)


 かくして俺は冒険者たちと共に平原へと向かった。

 見渡す限りの広大な草原には、前もって準備されていた大量のかがり火が。


 相手が虫を操る魔王ということは周知の事実。そして虫は火に弱い。この炎を陣として虫たちを迎え撃つ算段なのだ。


「――右翼は俺たちで抑えるから、そっちは左を頼む――」

「――とにかく範囲を広げることに集中しろ――」

「――でかいのが来たら俺がやる! そっちは雑魚を潰してくれ――」


 などと皆で作戦を立てながら、全員が自然と配置につく。寄せ集めの急造部隊ではあっても、協調性はきちんとある。互いが互いの背中を預かる戦場において、手柄の取り合いなんてしていられないのだから当然だ。ここが魔王たちとの違いである。


 そうしてどれぐらい経っただろうか。第一報から何の進展もないまま日が落ち始めた頃、一人の若者が呟いた。


「なあ、気のせいかも知れないんだが……あの山、昨日より大きくなってないか……?」

「はあ? お前何言ってんだ?」

「こんな時に変な冗談やめろよ」


 山が大きくなっている――突拍子もないこの発言に対し、周囲は当然呆れ顔。緊張で目がおかしくなったのか、それとも周囲を和ませるための冗談か。なんにせよ迷惑な話だ。……が、その奇妙な錯覚は次第に伝染を始めた。


「いや……確かに、そうかもしれねえ……」

「ああ、そんな気がしてきた……」


 と、ぽつりぽつりと賛同する者が現れる。まったく、そんなわけないだろうに。集団幻覚ってのはこういうことなのか。だいたい、冷静に考えてそんなことが起こり得るはず……


「……あ、あれ……?」


 釣られて山の方を見た俺は、思わず瞼をこする。言われてみれば、確かに見知った山の輪郭が大きくなっているような……いやいや、そんなわけない、こいつはただの目の錯覚。夕日の加減か何かだろう。


 だが目を細めれば細めるほど、真っ黒な山のシルエットが大きくなっているように見える。というか、瞬きするたびにどんどん膨れ上がっているような……いや、そうじゃない。もはやここに至って、誰もが呆然と山を眺めていた。


 『大きく見える』ではない――『実際に山が大きくなっている』のだ。


「お、おいおい……」

「なんだよこれ……!」


 今や異変に気付かぬ者はない。見る見るうちに膨れ上がる山影を見上げて、皆一様にあんぐり口を開けている。……だがその異常事態は、もっとおぞましい事実の序章に過ぎなかった。


 ――膨張しきった山のシルエットが突然弾けたかと思うと、真っ黒な影の粒がばらばらに上空へ舞い上がったのだ。


 そう、ただの影だと思っていたそれらの正体は――


「あ、ありゃ――虫の大群だ……!!」


 山を丸ごと覆っていた虫の大軍勢が、一斉に空へ飛びあがる。それも、一つの山だけじゃない。近くでも、遠くでも、山という山、森という森から真っ黒な濁流が天高く集い始めたのだ。


 千? 万? 億? いや、それでも桁が足りないかも知れない。空を埋め尽くして余りあるほどの圧倒的な虫の群れ。その驚異的な規模たるや、大陸中の虫がすべて集結したかと錯覚するほど。茜色だったはずの夕空は既に真っ黒に染まり、陽光を遮られたせいで平原は闇に包まれる。昨日の山で見たあの虫たちなど、本体の僅か0・001%にも満たなかったのだ。


 これを相手に戦う、だって? バカらしくて笑いそうになる。ヤバイ相手だと覚悟はしていたが、まさかこれほどまでとは。こんなやつを相手に剣やら盾やらで戦おうなど、ちっぽけなバケツで海の水すべてを汲み出そうとするようなもの。もはや戦闘などと呼べる次元の話ではない。


 ことここにおいて、全員が理解した。自分たちは決して挑んではならないモノに喧嘩を売ってしまったのだと。


「お、俺は抜けるぞ……!」

「お、俺もだ……!」


 腰を抜かした者を除いて、冒険者たちは次々と遁走していく。だが、それすら馬鹿げた行動にしか見えない。だって、「逃げる」って、どこへ? 相手はこの平原すべてを埋め尽くして余りある大軍だ。村に逃げ込んだところで、村ごと飲み込まれてそれで終わりじゃないか。


 太陽の届かぬ暗闇の中、雷鳴の如く降り注ぐ虫のさざめき。無数の羽音が葬送曲を奏で、真っ暗な平原を覆うのは絶望だけ。


 自分たちはここで死ぬ。誰もがそう思った。……その声がするまでは。


「――なーんだ、たったこれっぽっち?」


 真っ暗な平原に響き渡る、高慢な女の声。場違いなほど緊張感のないその台詞の主は、馬の背に乗ってのんびりとやって来た。


 エミリアとルーミア――美しきオッドアイの姉妹にして、人類の救世主たる転移者である。


「あーあ、これならもうちょっと寝てても良かったみたいね~」

「ね、姉さん……油断しちゃダメですよ……」


 などとのんきに会話しながら前線に到着する二人。僅かに残っていた冒険者たちは、その登場に顔を輝かせる。


「て、転移者様……!」

「転移者様だ…!」

「はいはい、ごくろーさん。あとは任せなさい」


 と、エミリアはあしらうように手を振る。その余裕さが頼もしく映るのか、冒険者たちは一層瞳を輝かせる。そりゃ絶体絶命の窮地に現れた唯一の希望だ、すがるしかないだろう。だが、俺には到底こいつらが【豊穣の王】を倒せるとは思えなかった。だって冷静に考えてみろ、たった二人でどうやって空を埋め尽くす大軍を倒すってんだ?


「な、なあ、俺たちにも何かできることはないか? さすがに二人だけじゃ……」


 俺は俺自身が生き延びるためにそう提案する。だが、エミリアの答えはひどく冷ややかであった。


「あー、うんうん、そういうのいいから」

「いや、だけど……!」

「はぁ……めんどくさ。あのさ、はっきり言われなきゃわかんない? あんたら全員、足手まといだって言ってんの」

「ね、姉さん、そんな言い方は……」

「事実なんだから良いのよ。ってわけだから、死にたくなければ引っ込んでなさい」


 きつい口調で言い切ったエミリアは、かがり火の陣を抜けて真っ暗な平原へずんずん歩いて行ってしまう。そんな姉の代わりに、妹のルーミアが頭を下げた。


「ご、ごめんなさい、失礼なことを……で、でも、その代わり……皆さんのことは必ずお守りいたしますので……」


 控えめにそう言ったルーミアは、そっと両手を胸の前で組む。そして祈るように目を閉じると、小さな声で呟いた。


「――《アナフの塁壁アーラマ・スプンタ》――」


 その瞬間、眼前に半透明の巨大な壁が現れる。……いや、正確には『壁』ではない。恐ろしく巨大な立方体が村ごと俺たちを覆っているのだ。見た目からして防御結界的なやつだろうが、なんというすさまじい規模だ。


 だが、一つだけ気になることが……


「な、なあ、君まで中にいて大丈夫なのか……?」


 結界を張ったルーミアもまた、俺たちと同じ壁の内側にいる。すなわち、エミリアはたった一人で【豊穣の王】と対峙することになるのだ。


 だが、ルーミアはここで初めて自信ありげに頷いた。


「こ、これで大丈夫です。私たちの戦い方は、これが一番強いので……」


 『これ』って……タイマンを張らせることが、か?

 だが疑問を差し挟む余地はなかった。――とうとう上空の虫たちが動き始めたのだ。


 黒雲さながらに展開した虫たちが、巨大な竜巻状になって村目掛けて押し寄せる。空を覆う無数の群れがそのまま突っ込んで来る様は、文字通り天が落ちるかの如し。まさにこの世の終わりの光景だ。俺含め冒険者たちはみな、悲鳴すらあげられず立ち尽くす。


 だがそんな絶望を前にして、エミリアはなお傲岸な態度を崩さなかった。


「うわ、うじゃうじゃキモすぎ。さっさと死んでくれる? 不愉快なんだけど」


 そしてエミリアは一つの詠唱を口にした。


「――《焔業アジートゥ・レ・輪廻リピテンション》――」


 刹那、掲げた掌に小さな蒼い炎が灯る。それは最初、なんとも頼りない風前の灯に見えた。だが産まれ出た種火は少しずつその大きさを増し始める。最初は掌一杯に、次はボーリング球ぐらい、続いて人間サイズになったかと思えば、さらには民家と同じ大きさに――


「う、嘘だろ……?」


 一秒ごとに倍々ゲームの如く膨れ上がる蒼炎。それは瞬く間に村を飲み込むほどの炎に成長する。結界のお陰か熱は感じないが、景色が歪むほどの陽炎を見ればその熱量のすさまじさが理解できた。


 そうして戦闘の火蓋が切って落とされる。……が、それは戦いと呼ぶにはあまりにお粗末なものだった。殺到する数億の虫と、逆巻く業炎。その優劣など論じるまでもない。噴き上がる炎の舌先に触れた瞬間、虫の体は即座に灰となる。炎という‘現象’に対し鋏や針が効くはずはなく、全範囲の攻撃を前にしては群体などむしろ良いカモ。真っ黒な群れは目に見えてその数を減らしていく。だが、それでも虫たちは愚直な突進を止めなかった。個々の生存本能さえ抑えつける闘争の衝動――紛れもないアゼリアの意思だろう。己を最強だと信じる彼女は、自らの身が焼かれている今なお人間に負けるなど認められないのだ。


 だが勝敗などとうに決まっていた。きっとそう、エミリアたちがこの地を訪れたその瞬間から。


 ――残酷なまでにあっけなく、理不尽なまでに一方的に。【豊穣の王】が全滅するまで、ものの五分とかかりはしなかった。

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