第21話 弱者の王道
――――……
――……
「そうか、引く気はないと……」
「ああ、聞く耳持たずってやつだ」
アゼリアとの決裂から半日。宿に帰り着いた俺たちは、へとへとになってベッドに倒れこんでいた。《魔卿僉議》の時と同じだ。魔王と対峙するのは精神的にだいぶ来るものがある。
「そうか……それで、お前はどう見る? 止められぬこの戦争、どっちが勝つと?」
「……十中八九【豊穣の王】だ。あれは化け物だよ。何より……躊躇がない」
魔王との戦いは既に経験した。別の魔王の力を借りた全力の攻撃でさえ、腕二本飛ばすのでやっと。それも数秒で再生される始末だ。しかも何が嫌になるって、あれでもゴラムは相当手加減していたらしいということ。もしも最初から全力で来られていたら、俺は一瞬でミンチになっていただろう。
そして今日人間たちが挑もうとしている【豊穣の王】は、絶対に手心なんて持ち合わせちゃいない。無論、戦闘能力に関しては言わずもがな。昨日見た虫が全部なはずもなく、野山に生息するすべての虫がやつ自身。すなわちアゼリアとは天災そのものだ。転移者とやらがどれだけ強いのか知らないが、あの力と残忍さを目の当たりしてしまっては到底勝ち目があるなんて思えるはずがない。
「わかった……ならば、我々も決断せねばならないな」
そうだ、こうなってしまった以上、魔王と人間との戦闘は避けられない。微妙な立場にいる俺たちも、もう身の振り方を決めなくてはいけないのだ。知らんぷりして立ち去るか、無駄だと知りながらも逃げるよう説得して回るか、もしくは――
その時、村の鐘が大きく三度鳴った。
「――【蝗害の王】が動いたぞ――!」
大声で叫びながら、村に報せて回る兵士たち。朝からずっと周辺の野山で虫たちの動向を伺っていた斥候役だ。
その警報を合図にして民間人は次々と自宅へ避難を始める。魔物との戦闘に縁がなかった彼らにとっては、生まれて初めて耳にする危機の音。不安そうな者も多い。――だが同時に、その警鐘は冒険者たちにとって待ちに待った戦いのゴングでもあった。
「――さあ、仕事の時間だ!」
威勢の良い雄叫びと共に、酒場や宿屋から武器を携えた冒険者が続々と現れる。それに続いて、血気盛んな村の男衆も加勢すべく立ち上がった。彼らの向かう先はネブラス平原のど真ん中。そこが本日の戦場である。戦闘の火ぶたはここに切って落とされたのだ。
だが、肝心要なはずの転移者の姿は未だに見えない。一体何をしているんだ……?
「――おい、リク!」
窓の外に気を取られていた俺は、セラの声で我に返った。
「お前が決めないのであれば私が決める。――逃げよう、これは我々の戦争ではない!」
そうだ、セラの言う通り。やるだけのことはやったし、これ以上首を突っ込んでもメリットはない。そして何より、俺たちにはリリアがいる。この幼女を守ることこそが他のすべてに優先される最重要事項。他人の喧嘩に巻き込まれるなんてまっぴらだ。命を賭けるのは、きっと今じゃない。
よし、腹は決まった。
「さあ、リリア、お家へ帰ろうな。ポチたちに会いに行こうぜ!」
リリアに手を伸ばしながら、俺は
だが、リリアはなぜかその手を取らなかった。
「りりあ、こわい」
幼女は幼女なりに何か恐ろしいことが始まるのを察知しているのだろう。リリアは不安げに身を震わせる。
「ああ、そうだな。だから避難を――」
「でも……みんな、もっとこわい」
その瞬間、ハッとする。
これは確かに俺たちの戦争じゃない。そもそも人間側から売った喧嘩だし、自業自得といえばそれまで。それは疑いようのない事実だ。だけど……だからって全部切り捨てて逃げるのか? この村にいるのは戦いに来た冒険者だけじゃない、赤子や老人だっている。無知であること、無力であること、ほんの少し己の力に慢心したこと。それは無残に食い殺されなければならないほどの罪なのか?
きっとアゼリアならこう答えるだろう――『弱者は存在そのものが罪である』と。だがそれは【豊穣と食い荒らすものたちの王】の道であって、
もちろん俺はそんな大層な正義の味方にはなれない。ずっと他人を避けて生きてきた卑怯な引きこもりだ。だけどリリアはそうじゃなかった。見ず知らずの俺を庇う優しさを持っている。今だって、自分より村人たちを心配している。種族も怨嗟も関係なく、弱者に手を差し伸べる慈悲の心がある。だったら、その小さく脆い種に、正しい水を与えるのが代理の役目だろう。
前言撤回、だな。
「……悪いな、セラ。予定変更だ」
「お、おい、何を考えて……!?」
「お前だって、リリアにはちゃんとした王になってもらわなきゃ困るだろ? なら……間違った背中を見せるわけにはいかねえよ」
俺はリリアの頭を一撫でしてからドアへ向かう。俺なんかが行ったところで何ができるかわからない。だけどこれでも一応は魔王だ。戦闘になったとき、もしかしたら俺がいることで一人でも多く助けられるかも知れない。運が良ければもう一度アゼリアを説得するチャンスが巡ってくるかも。なんにしたって、その場にいなきゃ何もできないんだ。
「待て、貴様が行くなら私も……!」
「いや、お前はリリアを頼む。何かあった時はすぐに逃げろ」
俺はセラに
「し、しかしお前は……!」
と、食い下がろうとするセラを、後ろからパロが制止した。
「これ、セラ。わかっておるじゃろう。相手は‘群れ’じゃ。わしらが行ったところで囮にもなりはせん。むしろ足手まといじゃよ」
「くっ……」
「……悪いな、助かる」
二人をどう説得しようか悩んでいたところだ、こういう時に聞き分けてくれるのはとてもありがたい。
これで後顧の憂いはなくなった。決意が揺らがないうちに、早いところ出発――しようとしたその時、リリアがそっと俺の袖を引いた。
「りくも、こわい?」
小さな首をちょこっと傾げて、不安そうに見つめて来るリリア。俺の身を案じてくれているのだろう。
そんな優しい王女様の頭に手を乗せると、俺は力強く微笑んでみせた。
「ははは、怖いかって? んなもん……怖いに決まってんだろ? だから、やばくなったすぐ逃げてくる。少しだけ待っててな」
「うん!」
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