第20話 【豊穣と食い荒らすものたちの王】
それから二日後。俺とパロはムジナ村の裏山に来ていた。
村人から仕入れた情報によると、この『オフェル山』に供物をささげるための祭壇があるらしい。本来であれば奉納の期限は今日なので、供物を取りに来るであろう【豊穣の王】の眷属と接触できる可能性が高いというわけだ(ちなみに、万一のことを考えてリリアはお留守番。セラには子守りを頼んでおいた)。
「えーっと、話によるとこのあたりなはずだよな……?」
「うむ、少し探してみるかのぅ」
時刻は深夜。事前に地図をもらっているとはいえ、真っ暗な山中はひどく視界が悪い。松明の灯りを頼りに散策すること数分、俺たちは巨木の下にそびえる大きくて平らな岩を発見した。――これが話に聞いていた祭壇である。ここに収穫の半分を置いていくと、翌朝にはなくなっているらしい。
「とりあえず、ここで待てばいいのか……?」
場所はここで間違いないはずだが、実際のところ【豊穣の王】の眷属がどうやって供物を運んでいくのかはわかっていない。奉納を終えたらすぐに帰るよう言い伝えられているらしく、村人たちでも直接見た者はいないのだ。
ただ、それにしても……
「くそっ、さすがに虫が多いな……」
「そりゃこれだけの山中じゃからのぅ」
蛾やら虻やら蠅やら、先ほどから気持ち悪い虫たちがそこらじゅうを飛び交っている。『庇護者の法衣』のお陰で刺される心配はないものの、とても楽しい気分とは言い難い。虫よけ用のお香でも持ってくるべきだったか。
「っつーか、【豊穣の王】の眷属はいつ来るんだよ……!」
なんて愚痴っている間にも、虫たちはどんどん増えてくる。灯りに釣られて寄ってきたのだろう。足元ではコオロギやらが鳴き交わし、近くの木の幹では甲虫が蠢く。宙を舞う羽虫たちも刻々と数を増し始めて……っていうか、ちょっと待て。そりゃここは大自然のど真ん中、虫が多いのは当たり前だ。だけど……
「な、なあ、パロ……いくらなんでも……多すぎないか……?」
「う、うむ、わしもそう思っていたところじゃ……」
どこからともなく集まった虫たちは、既に視界を埋め尽くさんばかりに。数千、数万……いや、数百万はいるかも知れない。餌もないこんな場所に密集するなんて明らかに異常だ。
一体何が起きようとしている――? と戦々恐々していたその時、数百万の虫たちが一斉に動きを止めた。かと思った次の瞬間、虫たちはワラワラと一か所に集まり始める。あらゆる種類の虫たちが折り重なって作り出すのは、一つの人間の形――
「――なんじゃ貴様ら?
人型に集まった虫たちの下から、ぬるりと歩み出てくる妖艶な美女。長く艶やかな黒髪と大人びた怜悧な相貌がひどく蠱惑的だ。
こいつが何者か、なんて問うまでもない。視線の一つ、言葉の一かけ、なんてことのない所作の端々から溢れ出る、寒気だつほどの
眷属だなんてとんでもない、こいつこそが【豊穣の王】本人――その正体は虫を率いる魔王などではなかった。無数の虫たちからなる‘群体’こそが【豊穣の王】の正体。群れの意思そのものが魔王なのだ。
「答えよ、人間。貴様らはなんだ? それに……妾への捧げものはどうした?」
と、【豊穣の王】は高圧的に問う。その声には言葉以上の圧力が込められている。なにせ、今なお集まり続ける虫たちは、すべてこいつの一部。俺たちは今、文字通りやつの腹の中にいるのだ。下手なことをすればどうなるかなんて、小学生でもわかるだろう。
俺は慎重に手袋を外すと、手の甲を向けてそっと念じた。
「俺はリク……あんたと同じ王――【荒野と捨てられたものたちの王】だ」
思念に応じて手の甲に浮かび上がるのは、例の儀式で得た魔王の刻印。目を細めてそれを見た女は、微かに呟いた。
「ほぅ、あの女の……」
それがプラスの感情なのかマイナスの感情なのかはわからない。だが、少なくともアムネスのことを知ってはいるらしい。どんだけ顔が広いんだうちの先代は。
「それで、【荒野の王】が妾の元へ何をしにきた?」
【豊穣の王】はなおも高圧的に問う。態度は変わらないが、とりあえず話を聞いてはくれそうだ。といっても、本番はここからなのだが。
「同じ王として、あんたに警告をしに来たんだ。……気をつけろ、人間たちはお前を討伐する気だ。転移者が二人も来ている」
「人間どもが? 妾を? あはははははは、面白いではないか! 矮小な人間風情が、この妾を討ち果たせるというのならやってみせてもらおう!」
「侮るのはよせ、実際転移者に負けた魔王だっているんだろ? だからまずは交渉しろ。人間の中にも討伐反対派はいるし、無益な血を流したくないのは向こうも同じはず――」
「――くどい」
【豊穣の王】が放ったのは、たったの一言。だがそこには今までとは比べ物にならないほどの害意が込められていた。
「貴様の言葉、妾を【豊穣と食い荒らすものたちの王】・アゼリアと知ってのものか?」
【豊穣の王】――アゼリアは恐ろしく冷たい瞳でこちらを見据える。ビリビリと大気を震わせる圧力に、俺は押し黙るしかなかった。
「ふん、人も、魔族も、転移者も、なんであろうと関係ない。妾の前に立つというのなら、すべて等しく食らうのみ。――よいか? 世に存在するのは『強者』と『弱者』の二種類のみ。そして妾こそが常に強者なのだ。すべては妾の意のままに。なぜ弱者になど合わせねばならぬ?」
アゼリアの目に宿るのは、まぎれもない捕食者の色。それを見た瞬間、俺は自分の過ちを理解した。
こいつは話が通じる相手じゃない。言葉が同じだからといって、必ずしも考え方までそうとは限らないのだ。
「理解したのであれば、早々に立ち去れ。弱者の言葉なぞ聞くに値せぬ。それでも阻むというのであれば……貴様も食らい尽くすまでよ」
「り、リク……! ここは大人しくひくのじゃ……!」
「……ああ、わかってるよ」
俺たちは一言もしゃべることなく、アゼリアの前から遁走したのだった。
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