第16話 墓標にて

「――ん、んぅ……」


 朝、自然と目が覚めた。

 ぼろっちい固いベッドから身を起こし、ぼろっちい煤けた窓ガラスから外を眺める。生まれたばかりの太陽が照らすのは、どこまでも広がる不毛な荒野。


 そこでようやく実感する。ああ、帰って来たんだ。


 《魔卿僉議》――ヴィルバムートの城から帰還した俺たちは、疲労と安堵からすぐ眠りこけてしまった。いきなり六体もの魔王と対面させられたのだ、無理もないだろ。今振り返ってみても、こうして五体満足で帰って来られたのは奇跡としか言いようがない。


 ちなみに、ゴラムとの戦闘の後、めちゃくちゃレベルが上がりました。成長率下方補正なんてマイナスアビリティがあったのに、やはり魔王というのはとんでもない。……ただし、ステータスは相変わらずスライム並のまま。唯一目に見えて変わったといえば……


万象昇華アイテムマスター】:レベル2


 ってな具合で、【万象昇華アイテムマスター】のスキルレベルが上がったことか。つっても、ちょっと試してみたがそこまで変わった感じはしなかったけどな。


 なんだか骨折り損な気もするが、命があっただけ感謝である。


(……喉、乾いたな……)

 

 俺はベッドを抜け出すと、城外の井戸へと向かう。文明の利器のない生活は不便だが、意外と慣れてしまうのだから怖いものだ。


 城の外には心地良い風が吹いていた。門のすぐ脇にある井戸で水を汲み上げ、桶に直接口をつける。よく冷えた地下水が喉を伝い、全身にわだかまっていた微熱を綺麗さっぱり洗い流した。……ただの水を『旨い』と思うのなんて、現実世界じゃなかった気がする。


 ――と、その時、ふと背後に気配を感じた。


「……ん? パロ、か……?」


 思わず振り返る。が、そこには誰もいない。気のせいだったのだろうか? ……いや、だが振り返る直前、視界の端に何かを捉えた気がする。そう、城の裏手へ歩いていく人影のようなものを……


「おい、セラ、なのか?」


 俺は心当たりを呼びながら城の裏へと回る。冷静に考えればこんなの単なる目の錯覚だ。もしセラかパロだったとしたら無視するはずないのだから。さっさと戻るのが安定だろう。……だが、わかっていても俺の足は勝手に動いてしまう。なぜだか無性に気になって仕方がないのだ。


 そうして回り込んだ城の裏手には、誰の姿もなかった。


 やはり気のせいだったようだ。今度こそ本当に確信する。そりゃそうだ、こんなとこに来る人間がいるわけないし、知り合いなら呼びかけに応えるだろうし。きっとまだ寝ぼけていたのだろう。さっさと戻って寝直すか。


 ……そう思って踵を返しかけた矢先、俺は人影とは別の気になるものを見つけた。


「ん……? なんだ、これ……?」


 目に留まったのは城壁の陰に溶け込んだ小さなスペース。その一画にだけなぜか綺麗な花が植えられているのだ。


 誰が、何のために? そもそもここは一体……?


 と首をかしげていると、背後から慌ただしい足音が聞こえて来た。


「――おい、リク!」


 振り返ってみれば、必死の形相で駆けて来るセラの姿が。ただし、その服装はいつものメイド服ではなくゆったりとしたネグリジェで、髪型も凛としたポニーテールから無造作なストレートになっている。


「せ、セラ? お前、その格好……」

「はぁ、はぁ……え? 格好……? って、ひゃあっ! み、見るな変態が!!」


 と、真っ赤になって胸元を隠すセラ。痴女みたいな格好で堂々と走って来て「変態」呼ばわりとは、なんという女だ。


「……で、それより何かあったのか? そんなに慌てて」

「え? あ、いや、別に、なんでも……」


 緊急事態かと思って尋ねたのに、なぜだかごにょごにょと言葉を濁すセラ。

 おいおい、何もないのにそんな格好で外を走ってたのか? まさか真正の変態じゃないだろうな?


「お、お前……人の趣味はそれぞれだけどさ……リリアの前でだけはやるなよ?」

「なっ、馬鹿! 何を勘違いしている! 私はただ、行ってしまうのかと思って――!」


 と勢いで叫んだセラは、しまったとばかりに慌てて口をつぐんだ。

 『行く』? 誰が? どこへ? と少々首をひねった後、俺はその意味を理解した。


「もしかして……俺が出て行くと思ったのか?」

「うっ……その、まあ……」

「ああ、なるほどな。確かにもう俺がここにいる必要はないのか」


 俺が正式に魔王と認められたことでヴィルバムートは手を引いた。人間も俺たちがここにいることは知らない。ってことは、この城は今かなりの安全地帯。もう俺がいなくても問題はないのだ。


「けど、今すぐ出て行くほど生き急いじゃいないさ。つーか、出てったところで目的地なんてないしな。……まっ、お前らが追い出したいってんなら別だけど」

「そ、そうか……」


 ありのまま答えると、セラはホッと安堵の表情を浮かべる。……なんだろう。服装のせいか、髪型のせいか、いつもよりまともな女性らしく見える。……いやいや、騙されてはいけない。こいつは初対面の相手さえ容赦なくぶん殴ろうとする暴力兵器だ。見た目に惑わされるな。


 なんて葛藤していると、セラは一転して不思議そうに首を傾げた。


「ん……? だが、出て行く気がないのなら、こんなところで何をしていたのだ?」

「ああ、それな。水飲みに来ただけなんだけど、誰かいたような気がして。……ところでさ、ここってなんなんだ?」


 ものはついでだ。俺はこの不自然な花畑について尋ねる。

 すると、セラは束の間逡巡の表情を浮かべてから……静かに答えた。


「ここは……アムネス様の眠る場所だ」


 なるほど、そういうことか。


 『眠る場所』、が何を指すのかは国語が苦手な俺でもわかる。ああ、確かに、言われてみればこいつは《墓》だ。人間に見つからぬようできるだけ簡素に……それでも精一杯の想いを込めて、殺風景な荒野の片隅を花で彩ったのだろう。


「……なあ、聞いていいか? アムネスが死んだ日……何があったんだ?」


 それは、今まで聞こうにも聞けなかった忌まわしき日の話。セラたちの言葉を聞いている限りでは、アムネスは人間に友好的な魔王だった。それがどうして人間に狙われることになるのか……? きっと話したくはないことだろう。だが聞けるとしたらきっと、今しかない。


 セラはその問いかけに……小さく首を振った。


「それは……言えない」

「……そうか、悪かったな。こんな話……」

「違う! そうではないのだ……!」


 セラはもどかしげに否定すると、消沈した顔で俯いた。


「わからないのだ、私たちにも……」

「え……?」

「アムネス様はあの日、城の眷属全員を集めた。『近くの山で花見をしよう』、と。私たちはみな、いつもの勝手な思いつきだと思って、何の疑いもなくそれに従った。そして山についた頃、アムネス様は忘れ物をしたと言って一人城へ戻られた。おっちょこちょいなのもいつものこと、私たちは言われた通りその場で待った」


 セラは絞り出すように言葉を紡ぐ。


「最初に異変に気付いたのはパロだった。……城で火の手があがったのだ。我々は急いで戻った。あんなに必死で走ったのは、生まれて初めてだったよ。……だが、遅かった。城にはただ、アムネス様の亡骸だけが横たわっていた」


 淡々と語るセラの表情には、どこまでも深い悔恨が刻まれていた。


「だから、わからないんだ。一体誰が、何のためにアムネス様を狙ったのか。我々にはわからない……。我々はみな、アムネス様に命をたまわった。生きる意味と場所をいただいた。だというのに……主を守るために死ぬことすらできなかった……」


 彼女たちが命がけでリリムを守ろうとする理由、それが今少しだけわかった気がする。大恩ある主のために何もできなかった事実――それは眷属であるセラたちにとっては死よりも辛い苦しみなのだろう。


「そこから先はあっという間だったよ。アムネス様の死に勘づいた人間たちは、こぞって略奪を始めた。主を失った魔王領など冒険者にとっては開け放たれた宝物庫のようなもの。城も領地も残らず荒らされ、仲間たちはみな逃げたか捕まった。……ただ、幸か不幸かここには資源も宝もほとんどない。人間たちはすぐに引き上げていったよ。代わりにヴィルバムートが手を伸ばしてきたのだがな。……結局、一連の騒乱のせいで下手人探しどころではなくなってしまった。我々は……仇の顔すら知らないのだ」


 ゲームの中じゃ魔王を倒せばそれでハッピーエンド。だがエンディングの後にこんな凄惨な現実が待ち受けてるとは。魔王というのはつくづく割に合わない役目らしい。


「っつーことは、目的も何もわからないってことか……せめて手掛かりとかないのか?」

「ああ、何も……」


 と言いかけたセラだが、不意に顔を上げた。


「いや、一つあるか……」


 そうしてセラはとある物の存在を口にした。


「《王の秘宝》――人間が《魔王礼装》と呼ぶものがある。座を有する王たちが各々所持する強力無比な魔術品だ。殊にアムネス様は特別で、私が知る限り五つの《礼装》を所持していた。――『アルテマイアの孤独孤絶の大盾』、『ウォーデンの悲憤選定の弩剣』、『ゼビュートの円環偽神の指環』、『アビスの調律裁断の天秤』――そして今、お前が纏っている『アズエルの寵愛庇護者の法衣』」


 《魔王礼装》……比較対象はないが、この『庇護者の法衣』のスペックを見ればそう呼ばれるのは納得だ。


「法衣以外の四つの秘宝は、普段は小さな宝珠に形を変えペンダントとして身に着けていた。……アムネス様を殺めた賊はそれを奪っていったのだ。今もまだ持っているのなら……それが目印になるかも……」


 と、セラは憶測を口にする。

 そうかそうか、それだけ聞ければ十分だ。


「よし、なら――その秘宝とやらを取り返して来てやるよ」

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