第15話 僉議の終わりに


 ……は? 今、何て言った? 『合格』って聞こえたが……疲れすぎて俺の耳がおかしくなったのか?

 

「王たる矜持、見せてもらった。未だ熟さぬ、取るに足らない青い実だが……今摘むのは些か惜しい」


 それだけ言うと、ゴラムはくるりと踵を返す。その隙だらけな背中を見るに、本当にもう継戦の意思はないらしい。


 ……もしかして、助かったのか……?


 だが、それで終わるほど《魔卿僉議》は甘くなかった。


「――少々お待ちいただきたい!!」


 瓦礫の山を吹き飛ばしながら現れたのは、怒り狂ったヴィルバムート。


「ゴラム殿、今のは私の聞き間違いか? 奴を認めると言ったように聞こえたが?」


 平静を繕ってはいるが、どう見てもブチギレ数秒前の顔だ。返答次第では暴れ出しかねない危うい怒気を放っている。……が、ゴラムはそんなことお構いなしに平然と答えるだけ。


「その通りだ。この人間はいずれ強くなる、ゆえに賛成に一票。……今度は聞こえたか?」

「ご、ゴラム、貴様……! ふざけるなっ! こんなものは不正だ! こいつが使ったのは私の宝珠――私の力だ! それがなぜこいつを認めることになる?!」


 激昂するヴィルバムート。その全身から発せられる怒気だけでびりびりと大気がわななく。搦め手が得意な策謀家タイプに見えるが、ヴィルバムートもまた紛れもない魔王。怒らせてただで済むはずがないのだ。


 けれど、ゴラムは顔色一つ変えなかった。


「ほぅ、ならば一つ聞くが……貴様の宝玉は誰にでも使えるものだったのか?」

「いや、それは……」

「他者の力さえ我が物にする――それがこやつの力だ。であれば、何をはばかることがある?」

「だが――!」


 ヴィルバムートはなおも食い下がる。すると、ゴラムは唐突に昔の話を始めた。


「……覚えているか、ヴィルバムート? あれは何年前だったか……貴様が王の座を継いだばかりの頃、俺の座を狙って戦いを挑んできたことがあったな?」

「っ……?!」


 その話が出た瞬間、ヴィルバムートが微かに顔をしかめる。


「あの時のお前の戦果は――腕一本。そして今こやつが飛ばしたのは二本だ。一本がお前の力だとするならば、もう一本は紛れもないこやつの力。違うか、ヴィルバムート?」


 なんとも単純な引き算の話をされ、今にも暴れ出しそうな顔のヴィルバムート。どう見ても納得していないのは明白だ。……だが、今の俺にはなんとなくわかる。きっとこいつは力づくでこの決定を覆そうとはしない。


 やたら大仰な喋り方、城や着衣の格式へのこだわり、伝統や儀礼を重んじる性格……そう、こいつは王であることに誇りを持っている。であれば、《魔卿僉議》での定めを守らないはずがない。――要するに、人間を毛嫌いしているはずのこいつ自身が、他のどの魔王よりも人間的な思考をしているのだ。


「……いいでしょう、これ以上異論を差し挟むのはやめておきましょう」


 ヴィルバムートは苦悶の表情で頷く。やはり思った通りだ、こいつはもう俺のことを認めるしか――


「――ですが、一つ言い忘れていたことが」


 と、不意に話題を変えるヴィルバムート。その冷静な微笑を見た瞬間、無性に嫌な予感を覚える。……そして不運にも、それは当たっていた。


「ゴラム殿、数週間前あなたの領地から一匹の眷属が迷い出たこと、ご存じですね?」

「ああ、当然だ」

「私の情報によると……あなたの眷属は既に殺されています。それも紛れもない、ここにいるリク=クロノの手によって!」


 瞬間、心臓がどくりと跳ねる。

 なるほど、そういうことか。あのアルミスボアとの遭遇は不幸な偶然などではなかったのだ。恐らくはこうなることまで予想してヴィルバムートが俺たちにけしかけたのだろう。もちろん証拠はないが……ヴィルバムートの表情を見れば間違いないと断言できる。これこそが奴の残しておいた最後の切り札というわけか。


「――人間よ、今の話は事実か?」


 ヴィルバムートの告発を受け、ゴラムは静かに問う。その表情からはいかなる心情も読み取れない。


 すべてヴィルバムートの策略であると説明するか? いや、だが潔白という証拠がない以上、わかってくれるかは賭けになる。ならばシラを切り通すか? ヴィルバムートだって俺が殺した証拠を持っているとは限らない。だがもしも持っていたら――


 束の間逡巡した後、俺は腹をくくった。


「……ああ、その通りだ。あの魔獣……アルミスボアは俺が殺した」

「リク……?!」

「じゃ、じゃが、あれは向こうから……!」


 と、弁明しようとするパロたちを俺は手で制する。


「そうか……あやつは強かったか?」

「……ああ、随分てこずったよ」


 ゴラムはまたしても「そうか」と呟くだけ。何を考えているのかはまだ読めない。


 そう、結局俺は正直に答えることを選んだ。もちろんこれが正解である確信はない。だけど一つだけはっきりわかる。こいつに嘘は通じない。もしもこの事実にゴラムが激昂するのであれば……その時は、それが俺の運命だったということ。だから俺は待つ。判決が下されるその時を。


 そして長い数秒の後、ゴラムの口にした結論は――


「――思うがままに生き、戦い、そして死ぬ。それが我が眷属たる牙鳴らす魔獣たちの願い。それを叶えるが王としての役目。――であれば、死したものは幸運だったろう。次代の‘王’と戦い、散ったのだから」


 ゴラムは毅然とした表情で言い切る。その言葉には嘘も虚飾もない、ただ己の信念だけが込められていた。


 【暴風と牙鳴らすものたちの王】――ゴラム。言葉の通じぬ魔獣たちを力のみによって統べる獣の覇者。闘争に生き、闘争に死ぬ。それこそがゴラムの護る自由であり、貫き通す王の道。……ああ、そうか。こいつがなぜこんなにも強いのか、その理由が少し、わかった気がした。


「き、貴様、それでも王か……?!」

「我が王道をお前に決められる筋合いはない。……それよりも、ヴィルバムートよ。貴様の‘手’はそれで全部か?」

「っ?!」


 食い下がるヴィルバムートへ、ゴラムは鋭い視線を向ける。どうやらこいつは、最初からヴィルバムートの策略を見抜いていたらしい。脳筋ゴリラ、の蔑称は不適かも知れないな。

 

 そうしてすべての企てが失敗に終わったヴィルバムートは、とうとう捨て台詞を口にするのだった。


「ふん、人間め。王の道は楽ではないぞ。貴様にそれが務まるか、楽しみに見物させてもらおう……!」


 かくして会議は無事終幕。色々とあったが、まあ命があったのが何よりの収穫だ。……いやほんとに。


 そうして「ふぅ」と一息ついたその時、聞き覚えのある声がした。


『――僉議の終了を確認いたしました――』


 忽然と背後に現れたのは件のシキガミ。相変わらず神出鬼没だ。


『――これより転移ゲートを開放いたします。お帰りはこちらからどうぞ――』


 その言葉通り、眼前に巨大な魔法陣が展開される。ここに入れば自分の城へ戻れるのだろう。


 ちょうどその時、別室にいた他の魔王たちも戻って来た。


「お疲れ様でした、リクさん。就任おめでとうございます。いつかまたお会いしましょう」

「いやあ、良いショーだったね。やはり人間は面白い! ねえリク君、もしどこかでボクの兄弟にあったらよろしくね!」

「派手に暴れやがって……けっ、こんだけ壊すならおいらが先にもらっとけばよかったぜ。おい、人間! あのアマの借金はてめえにツケとくからな。踏み倒そうとしたらぶっ殺す」

「『それが決定であれば、私に異論はありません』――と、おっしゃっております」


 と、魔王たちは口々に勝手なことを言い残しては、一人ずつ魔法陣の中に消えていく。


 思えばおかしな魔王ばかりよく集まったものだ。彼らがどこで王座についているのかは知らないが、もしもこの世界で生きていくのならまた会うこともあるかもしれない。そして世界には、もっともっとたくさんの魔王たちがいる。会ってみたいような、会いたくないような、なんとも不思議な気持ちがした。


「りく、かえろー!」

「……ああ、そうだな」


 リリアに袖を引かれて俺は我に帰る。なにはともあれ終わったのだ。今はただ、家に帰ろう。


 俺は小さな手をとると、魔法陣へと踏み入れる。


 そうして世界がホワイトアウトした。

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