第14話 決着

 俺は踵を返して扉から逃げ出す。『戦闘場所はこの大広間だけ』とは明言されていない。というか、生きるか死ぬかの状況でルールなんか守っていられるか。


「ほほぅ、次は追いかけっこか?」


 楽しげに笑いながら、当然の如く後を追って来るゴラム。その巨体で遠慮なく暴れ回るせいで、廊下に陳列されていた調度品が次々と破壊されていく。明媚な絵画、荘厳な彫刻、手の込んだガラス細工に、煌びやかな宝石……想像もつかないほど高価な品々がゴミのように粉砕されていく。それはまるで、暴力のみが唯一絶対の価値であると叫んでいるかのようだった。


 そして多大な犠牲を払った俺の逃走劇は……あっけなく終わりを迎えた。


「……どうやら追いかけっこは終いのようだな」


 目の前に立ちふさがったのは、厳重に鍵のかかった扉。ゴラムを押しのけて逃げられるはずもなく、他に逃げ場もありはしない。完全に追い詰められた形だ。


 ……だが、逆に言えばそれは向こうの逃げ道もないということ。俺は怯えるふりをしながら、廊下に敷かれている長い絨毯に【万象昇華アイテムマスター】の力を流す。


 そう、俺の能力には副次的なもう一つの効果がある。松明の時も、大魔法使いキットの時も、俺は強化した炎や風をゴラムへけしかけた。無意識にやったことではあるが、これは紛れもない『物体操作』だ。すなわち、『強化』と『操作』が合わさったのがこの能力ということ。だとしたら……


(こいつでどうだ……!?)


 じわじわと広げていた力を一気に起動する。瞬間、絨毯が大きくうねりを上げ、巨大な蛇の如くゴラムの四肢に絡みついた。


「むっ?!」


 何の変哲もない絨毯が、急に自分を縛る鎖となる――流石のゴラムも予想外だったらしい。ほんの僅かだが動揺をあらわにする。それこそが俺の待ち望んでいた好機だ。あらかじめ手に忍ばせておいた短剣を思い切り投擲する。もちろん刀身には『不食草』のエキスがたっぷりと。


 どれだけ外皮が堅牢でも、中身までは鍛えられない。相手が屈強な獣であればこそ毒が有効であることは、アルミスボアとの戦闘で学習済みだ。


 そうして宙を舞った短剣は狙い通り獣の巨腕に突き刺さる。瞬時に毒に侵されたゴラムはがくりと膝をついて――


「――ほお、面白い。こんな芸もあるのだな」


 僅かコンマ数秒後、笑いながら立ち上がった。


 毒が効かなかった――? いや、一瞬だが確かにゴラムは膝をついた。毒耐性持ちというわけではないはず。だというのに、なぜ……?!

 

「さて、もう終わりか、代理?」


 絡みついた絨毯を腕力のみで引きちぎりながら、ゴラムはなお泰然と問う。今度こそ本当にすべての武器アイテムを失った。今のが正真正銘最後の一手だったのだ。追い詰められたこの状況では次の一撃をかわす手立てすらない。


 ……ああ、完全に終わった。今から降参して許してもらえるだろうか?


 だが、土下座のために視線を下げたその時、あるものが目に入った。それは煌めく大粒のダイヤモンド。粉々になった調度品の残骸の中で、なおも美しく輝いている。


 それを見て俺は思い出した。この世界に召喚されたあの時、デーモンたちが見せた宝石による大魔法――「主より賜りし力」、と奴らは確かにそう呼んでいた。ヴィルバムートが【宝石と謀るものたちの王】の名を冠していることから考えても、この宝石そのものにヴィルバムートの魔力が凝縮されているのだろう。


 だとしたら、眼前に輝くこれはマジック‘アイテム’。それも、ゴラムと同じ魔王クラスの。――もしもの話だ。俺の力はガキ向けのおもちゃを大魔法に変える。ならもし……元々が魔王級の魔術品を強化したとしたら?


 俺はゆっくりとダイヤを拾い上げる。手に持ったその瞬間、全身を言いようのない虚脱感が襲い、頭がずきずきと痛み始めた。そりゃそうだ、これは邪悪な魔王の力。資格のない者が触れば呪いだの代償だのろくでもない災厄が待っているに決まってる。


 だがあえてそれを無視して、俺は能力アイテムマスターを起動した。ますますひどくなる頭痛と脱力感。立っているのもやっとなほど。今にも頭が割れそうだ。宝石自身が俺に抵抗しているのを強く感じる。やはり並の魔術品ではない。招かれざる者には起動できないようになっているのだろう。


 だけど、それがどうした? 制約も、条件も、資格も、反動も、そんなもの知るか。俺が必要としているのだから、こいつはもう俺のものだ。だって――


 奪い、ねじ伏せ、我が物とする――それが‘魔王’ってやつだろ?


「なんでもいいから――黙って、俺に、従いやがれ――!」


 全身全霊を籠めた強化――頭痛が限界を迎えたその時、不意に痛みがぱったりと止む。宝石が俺に屈服したのだと、理屈ではなく感覚で理解する。と同時に、宝石の内部で空間全体を震撼させるほどの魔力が生成されていく。その異常さに気づいたのだろう、ゴラムの目の色が変わった。だが――もうおせーよ。


 極限まで膨張した魔力の塊を、俺はゴラム目掛けてぶん投げる。刹那、ダイヤは己の内に秘めた魔力を解放した。


 沈黙――と一周回って聞き紛うほどの甚大な爆発音。万象を砕く破壊の波が四方八方を無差別に襲う。その破壊力たるや、辺り一帯の固形物を跡形もなく吹き飛ばしてなお余りあるほど。衝撃により壁も柱も天井も何もかもが綺麗さっぱり崩れ去り、さっきまで廊下だった場所が、今や上下左右三階分がつながった巨大な一部屋になってしまった。


「す、すげえ……」


 自分で引き起こしたことではあるが、その凄まじさに思わず言葉を失う。自らの魔力でなければ『庇護者の法衣』があっても危なかったことだろう。


 そんなことを考えていると、俺は急に不安になった。


 まさか、やりすぎたか?


 爆煙はまだ晴れないものの、生き物の動く気配はない。もしかすると跡形も残さず殺してしまった可能性がある。それに、別室で観戦していたはずの他の魔王はどうなった? 巨大モグラだのタニシだのはどうでもいいが、リリアたちの身が心配だ。早く探しに行かなければ――


「――さて、次はどうする?」


 瞬間、全身に鳥肌が立つ。反射的に振り返った先には、白煙の中から悠々と歩いて来るゴラムの姿があった。


「冗談、だろ……?」


 あれだけの爆発を食らって、ゴラムはなおも無傷……というわけではない。四つの腕のうち二本は根元から引きちぎられている。……が、目に見えるダメージはそれだけ。二本の腕以外はいずれも健在。臆した様子さえ見受けられず、近づいて来る足取りも確かなもの。しかも……


「……ふん、これは少しかかるな」


 と呟いて、ゴラムは深く呼吸をする。その途端、ちぎれた腕の付け根からめきめきと肉が蠢き立ち、新しい腕を形作り始めた。


 ガキの頃、俺は漫画とかでよく見る再生タイプの敵が嫌いだった。敵そのものが嫌なんじゃなくて、再生している時に攻撃しないご都合主義感が気に食わなかったのだ。「ぼけっと見てないでさっさと攻撃すりゃいいじゃん」ってな具合に。


 だがこうして実際に目の当たりにした今、俺は動けないでいた。『有り得ない』というより、『有り得て欲しくない』という思いに支配され、体が動かないのだ。


 そうして傍観している間に、腕の再生は完了していた。さっきまでの傷は跡形もなく、むしろ一回り太く強靭になった腕がそこにある。


 ――たった数秒で、俺の決死の攻撃は無に帰したのだった。


 そう、俺は最初からゴラムの本質を見誤っていたのだ。化け物みたいなパワー、なんてのは単純な基礎スペックにすぎない。恐らくこいつの真価は――あらゆる負傷を瞬時に癒すその‘再生力’。毒から一瞬で立ち直ったあの時点で気づくべきだったのだ。……いや、気づいたところでどうにもならなかったか。だって、俺と【宝石の魔王】、二人分の魔力を籠めた一撃さえ致命傷にならないのなら……どうあがいたって倒せるわけがないのだから。


 そしてゴラムは、立ち尽くす俺に向かって問いかけた。


「――で、次は何を見せてくれる?」


 爆発の衝撃で他の宝石はみんな吹き飛んでいる。周りに使えそうなアイテムなんてない。強制起動した反動のせいか、目はかすんでいるし立っている感覚すら怪しい。今度こそ本当に万事休すだ。


 まっ、俺にしてはよくやったよな。ここまでやってダメなら諦めもつく。むしろ清々しい気分だ。そして何より……もう疲れた。


 けれど諦めようとしたその時、背後から声がした。


「りくーーー!」


 と、瓦礫の山を越えて駆け寄って来たのはリリア。しかもその後ろにはセラやパロ、ポンコツたちまで続いている。どうやら爆発に巻き込まれはしなかったようだが……なぜこんなところに?


「もうよい、リク! 早く逃げるのじゃ!」

「何言ってんだよ、逃がしてもらえるわけないだろ……」

「それでもだ! みすみす命を落とす必要はない! 我々が時間を稼ぐから……!」

「無理だっての……」


 こいつら、戦いを見てなかったのか? どんだけ雑魚が集まったところで全員まとめてぺしゃんこにされるのがオチ。力の差ってのを考えろ。友情パワーでなんとかなるのは幼児向けアニメの中だけの話だ。勝てないものは勝てないんだよ。本当に馬鹿な奴らだ。


 だけど……そうだな。


 俺は小さく息を吸い込む。


 どうせここで負けるなら……せめてこいつらの前でぐらい、格好つけてみようか――


「ククク……全員でかかって来ると? ふん、俺は構わんぞ。さあ、来い!」

「……うるせーよクソゴリラ、なんでこいつらに邪魔なんかされなきゃいけねーんだ……」

「リク……?!」

「おぬし、何を言って……?」


 怪訝な顔でこちらを見る二人。だけど俺はその視線を無視して、一歩前へ進み出た。


「ほら、よそ見してんなよ脳筋ヤロー。ここからがいいところじゃねえか。次の一手が見たいんだろ? なら、思う存分見せてやるからよ……さっさとかかってきやがれ――!!」

 

 倒れないよう踏ん張りながら、魔王に向かって中指を立てる。我ながら小学生じみた煽りだとは思う。だけどこの強がりが今の俺の精一杯。というか、意識が朦朧としてるせいでこれ以上の煽りが思いつかないんだよ。……だがそれでも、これでゴラムのヘイトが俺だけに向かってくれるなら儲けものだろ?


 その挑発に対し、ゴラムはもう何も返さなかった。既に勝敗の決着を悟ったのだろう。俺に次の手立てがなくなった瞬間、こいつの‘狩り’は終わったのだ。あとは為す術のない獲物を始末するだけ。


 ゆっくりとこちらに近づいて来たゴラムは、セラたちの抵抗を無視して俺の頭上に屈みこむ。そしてサーベルのような牙が並んだ口を大きく開けると――一言だけ告げた。


「――合格だ」

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