第8話 初めての戦い


――――……

――……


 そんなこんなで薬草採集を始めてから約二時間。ようやく貸し出された籠が薬草で一杯になった。――クエスト完了だ。


「うぅ……腰いてえ……」

「ふぅ……老体にはこたえるのぅ」

「まったく、この程度で情けない……」


 セラはこれ見よがしに溜息をつくが、ヒキニートにとってこんな重労働は久しぶり。むしろやり遂げたことを誉めて欲しいぐらいだ。

 そんな時、ちょうどリリアとじじばばたちがこっちにやって来た。


「りくー、おつかれー!」

「おっ、終わったんかい?」

「よう頑張ったねえ」

「ほれ、疲れたじゃろう? 余りものでよければおにぎりでも食べんさい。お茶もあるでな」

「あ、あざっす……!」


 むかつくジジババだと思っていたが、訂正しよう。人情ってあったけえ……!

 そうして貰った握り飯にがっついていると、老人会の面々は帰り支度を始めた。


「さて、わしらも帰るかの」

「じゃあの、リリアちゃん」

「おーい、みんな揃っとるかー?」

「ありゃ、マルクんとこのじいさんは?」

「ん~? あっ、あんなところに……!」


 見れば、少し離れた藪の中で爺さんがぼーっと突っ立っている。どこか上の空な様子からして、どうやらボケているようだ。


「おーい、帰るぞ~! ったく、あいつぁ最近ボケちまってなあ。耳も遠くてよぉ。昔はそりゃ腕のいい猟師だったんだが……おーい、お~~い!!」

「あ、俺呼んできますよ」


 遠くから呼ぶだけでは埒が明かなそうだ。せっかくだし握り飯の恩は返しておこう。俺ははぐれた爺さんの方へ駆け出す。

 けれど声をかけたその時、爺さんの口から不穏の呟きが零れた。


「あの、みなさん帰るって……」

「……嫌な気配だ。森がざわついとる」

「は?」

「……あんた、逃げた方がいいぞ」

「はぁ……」


 この爺様、いきなり何を言ってるんだ? ここは魔族のいない安全な森って話だ。単なる悪ふざけか、それとも老人の妄言か――その答えは実にわかりやすい形で提示されるのだった。


 バキバキ――と木々を踏み倒す轟音。爺さんの見ている方向……の反対側から聞こえて来たその音に、俺は反射的に振り返る。

 林をなぎ倒しながら現れたのは、7、8メートルはあろうかというイノシシ型の魔物。全身に分厚い硬質の殻をまとったその姿は、まさしく歩く要塞の如しだ。


「お、おい、この山、魔族はいないんじゃなかったのかよ……!」

「さがるのじゃ、リク! そやつは『アルミスボア』――言葉の通じない‘魔獣’じゃ! わしら魔族とは違うぞ!」


 言われなくてもそうさせてもらう。亀とイノシシを足して10倍にしたみたいな化け物相手に、話し合いを求めるほど脳内お花畑じゃない。だけど――


「……セラ、パロ! じいさんたちを連れて逃げろ!!」

「な……貴様はどうする?!」

「すぐ追いかけるから、早く行け! ――これは命令だ!!」


 こっちにはリリアだっている、全員で逃げたところで間違いなく追いつかれてしまう。だとしたら誰かが足止めをしなければ。そしてその役目は『庇護者の法衣』を持つ俺が適任だ。


 それはパロたちも理解しているのだろう、何も言い返さずに背を向ける。……だが、リリアたちを連れて逃げる間際、セラは不意に立ち止まった。


「おい、こいつを使え――!」


 その言葉と共に投げ渡されたのは、セラが愛用しているロングソード。もちろん俺は剣を握ったことなんてないし、アルミスボアのどでかい一本角と比べればこんな長剣などつまようじみたいなもの。……だが、武器があるというだけで心強さが段違いだ。


「ああ、助かる……!」


 そうして剣を構えた俺は、巨大な魔獣と対峙する。幸か不幸かやつの目は俺だけを見据え、鼻息荒く地面を蹴っている。そのたび地面が揺れるものだからおっかないなんてものじゃない。そうして睨み合うこと数秒、アルミスボアが不意に頭を下げたかと思うと……次の瞬間、唐突に突っ込んで来た。


 全体重を乗せた単純な突進。実に頭の悪そうな攻撃だが、現実で考えればタンクローリーがフルスロットルで突っ込んでくるようなもの。その殺傷力は言うに及ばず。……が、わかっていれば反応はできる。


「頼むぞ……!」


 どこぞの神に祈りながら横っ飛びに跳ぶ。もちろん、運動不足のニートの歩幅じゃ一歩分逃げるのが精一杯。本来なら突進の範囲から出られないだろう。


 だが……そのたった一歩で俺は数十メートルの距離を跳躍した。


 『庇護者の法衣』のブーツを‘強化’したことによる回避――靴の役割は足を守るだけじゃない。移動の補佐もその範疇だ。……ただし、スマートにかわせたわけではなかった。脚力だけを歪に強化した回避行動は、要するに巨大なバネで自分を弾き出すのと同じ。制御を失った俺は思いっきり木の幹に激突する。が……


「痛……くは、ないんだったな……!」


 『庇護者の法衣』の防御力は伊達ではなかった。ものすごい勢いでぶつかったはずが、まったくのノーダメージ。これならわざわざ回避せずとも突進を受け止められた気もする。まあ、ダメだった時のリスクを考えると試す勇気はないが。


 ともかくこれで防御は完璧。となればあとはこっちのターン。


「反撃させてもらうぞ……!」


 渾身の体当たりをかわされたことで、さらに怒りをあらわにするアルミスボア。間髪入れずに再び突進してくる。今度こそ必要最小限の間合いで回避した俺は、すれ違いざまに魔獣の脇腹へ剣を突き立てた。


「よしっ……!!」


 両手に感じる確かな手ごたえ。‘強化’された刃は分厚い硬皮を貫き、深々と肉に突き刺さる。

 自慢の鎧を破られたのは生まれて初めてだったのだろう。アルミスボアは苦悶の叫びを上げ、ぐらりと地面に崩れ落ち――――なかった。


「……は?」


 怒りの咆哮をあげながら、激しく身をよじるアルミスボア。その衝撃で俺は大きく弾き飛ばされた。


 そう、剣は確かに根元まで刺さっている。だけどそれでは足りなかった。硬皮以上に厚い脂肪の壁に阻まれ、臓器までは達していなかったのだ。つまるところ、あの巨体からすれば棘が刺さった程度のダメージでしかない。


 俺は自然界における単純な『サイズ大きさ』の力を甘く見ていた。あれを止めるには頭や首を狙わなければならなかったのだ。


(くっそ……やっちまったか……?!)


 やるべきことに気づいたはいいが、剣は魔獣の体に刺さったまま。回収しようにも、暴れ狂うアルミスボアの横っ腹に飛びつけるほどまだ脚力を制御できない。


 しかも、呑気に打開策を考える時間すらなかった。手傷を負ったことでさらに凶暴性を増したアルミスボアは、見境なしに木々をなぎ倒しながら走り始めたのだ。その向かう先は……アルワン村の方角だ。


(最悪だ……!)


 もしこのままアルミスボアが村まで降りてしまったら……冒険者の一人すらいない小村なんて、あっという間に全滅だ。なんとしてもここで止めなければ。


 だけど、わかってはいてもその手立てがない。頭を狙うには攻撃の精度が足りず、あてずっぽうでは急所に届かない。こんな時魔法が使えればなんとかできるはずなのだが、生憎俺は魔法適正ゼロ。八方ふさがりというやつだ。


 一体どうすれば……?


 頭を抱えそうになったその時、俺はある可能性に思い至った。だがそれは、はっきり言ってただの賭け。一か八かの博打でしかない。だがそれでも――やるしかない。


「おにぎり3つじゃ割に合わねえっての……!」


 四の五の言っている暇はない、俺はアルミスボアを追って駆け出す。手にした武器は今しがた拾ったばかりの木の枝だ。情けないことこの上ないが、これが今の最大火力。贅沢言ってはいられない。


 そうしてどうにか追いついた俺は、魔獣の背中にしがみつく。急所からは離れているものの、振り落とされないようにするので精一杯。これ以上近づくのは無理だ。なら……


「はぁあああ!!」


 裂帛の気合を込めて、俺はアルミスボアの背に木の枝を突き立てる。強化により剣となった枝はずぶりと硬皮を突き破るが……やはり元の性能が低すぎた。半分ほど突き刺さったところで止まってしまう。これでは到底内臓までは届いていないだろう。そうしてまたしても俺は振り落とされる。


 結局、何もかもが前回の繰り返し。アルミスボアの歩みは止まらず、ダメージを与える手立てもない。だけど……その結果だけは違っていた。


 大地を踏み鳴らして進んでいた魔獣の足が、不意によろめく。単に足を滑らせただけ……ではない。一歩、二歩、三歩、震える脚でどうにか踏ん張っていたアルミスボアは……四歩目を踏み出したところで崩れるように倒れ伏した。

 

「ははは、助かったぜ、じいさん……」


 そう、今の攻撃、本命は木の枝なんかじゃない。その先端に塗っておいた『不食草くわずそう』の汁――『痺れ毒がある』という爺さんの言葉を咄嗟に思い出したのだ。

 恐らく、本来ならあの巨体に効力をなすほどの毒性ではないのだろう。だけど……俺の力【アイテムマスター】があれば話は別。それがどれだけ小さな種火だろうと、ゼロでなければ業火にできる――それが俺の能力なのだから。


 『毒』を強化することで、俺はようやく魔獣を止めることに成功したのだった。


 ただし……


「まあ、そうなるよな……」


 倒れてからわずか数秒、アルミスボアは既に起き上がろうともがき始めていた。倒れた時に後ろ脚を痛めたらしく、立ち上がるのに難儀しているが、その眼に宿った闘志は些かも弱まってはいない。どう見ても毒は抜けている様子。やはり俺の能力は間接的にでも触れていないと効力が持たないようだ。


 さて、ここからどうする? ――俺は束の間逡巡した。


 今ならとどめを刺すのは簡単だ。強化した木の枝で頭を貫けば、それで終わる。

 だが、わざわざ殺す必要があるのだろうか? 蚊や蠅なんかは今までいくらでも殺して来た。だけどこれだけ大型の生物を殺すと言うのは、やはりなんというか……抵抗がある。かといって放置すれば、こいつはこのまま人里に向かうだろうし……


「――私がやろう」

「っ?! セラ、お前……?」


 振り返れば、そこにはいつの間にかセラの姿があった。恐らくリリアたちを安全な場所に退避させた後、すぐに駆け付けてくれたのだろう。


「見ろ、足が折れている。どちらにせよ手遅れだ。魔獣とはいえ無駄に苦しませたくはない」


 静かにそう言いながら、セラはアルミスボアの脇腹に刺さったロングソードを引き抜く。そして魔獣の頭上でそっと構えた。


「強化を頼む。あとは……私がやるから」


 セラは不愛想にそう告げる。だけど変だ。ただ魔獣を楽にしてやりたいだけなら、いつもみたく俺に強制すればいいだけ。こいつが進んで手を汚す必要なんかないはず。


 ……なんだかんだ言って、こいつも少しは俺のことを気にかけてくれているのかも知れない。


「……いいよ、俺がやる」


 それがけじめみたいな気がして、俺はセラの手から剣を奪い取る。そして強化を加えると、真っすぐアルミスボアの頭蓋に向けて突き下ろした。


 響き渡る断末魔と、掌に伝わる生々しい手ごたえ。『庇護者の法衣』はなぜかその感触を打ち消してはくれなかった。なるほど、こいつはなかなか……楽しいものではないな。


 こうして俺は、魔王になってから初めての戦いを終えたのだった。

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