>「ここにいて、ここにある。なら、それでいいじゃないですか」
思考の停止というわけね。
冒頭の繊細な描写。狂気を滲ませる会話。特に狂っているのは葉太先生の方よね。
愛し合うように殺し合う不思議な世界。
淫靡で背徳的な禁断の遊戯。
葉太先生は、愛する者を殺める宿命の意味について考えることをやめ、ただ、その行為のもたらす悦楽のみに溺れてしまったのかしら?
――ここにいて、ここにある。
愛する意味の答えに決して辿り着けず、本能の赴くままに白刃を振るい殺害を繰り返す。
それで今があるのであれば、葉太先生にとって生きるとは、その営みを繰り返すことにほかならないと悟ったのかしらね?
共感はできないけれど、その思考に想いを至らせることはできるわ。
深いわね。
作者からの返信
ここはご意見色々あるかと思いますが、葉太先生の出した答えは、『受容』であると考えています。
これは私の作品に通底している考え方でして、悪い奴でもダメな奴でも、弱い奴でも狡い奴でも、人と違っていても間違っていても、『生きてていいんだ』と。
それはそういうふうに生まれついて、そういうふうに育って今ここにいる。
それを肯としないこと、変わっていこうとすることも大いに結構だけど、じゃあ変われない人はどうすればいいの?
間違ってるから生きてちゃいけないの?
そんな人たちに、いいんだよ、と言ってあげる、そんな小説を書いています。
まあ、今回のは流石に極端ですが(笑)
こういう歪な情念もいいですよねぇ……(うっとり)
作者からの返信
ここはねぇ……。
色々理屈を捏ねくりまわして解答することも考えたんですけど。
結局、「こうしてここにあること。それが全て」という結論にしました。
ここが一番悩みました
宵闇に緲緲びょうびょうと枝葉の泣く、賑わしい夜
この冒頭の描写から引き込まれる。
素晴らしいの一言で、ラスト、余韻ですか。
答えが知りたくもあり、知りたくもなく。
ラガーさん、素晴らしいね。
作者からの返信
この辺は完全に日頃の読書の趣味が出てますね(笑)。