第17話「籠の鳥は空へとはばたく。」

閑静なハイロの空を割くように、ポーッというけたたましい金属音が鳴り響く。

どこかくぐもった、人とも鳥とも異なる奇異な音を耳にして、アーサーは形の良い眉をひそめた。


それはある種の合図だった。


音が響き渡るや否や、それまで路面を自由に闊歩していた人々は、疾く一斉に路面から離れる。

まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のような、奇怪で鮮やかな光景であった。


次いで駅の遠方より、地震かと錯覚するほどの騒音が轟く。


「えっ、なあに?」


臓物に響くような轟音を聞き捉え、興奮状態にあった乙女は思わず我に返る。

先程までの好奇に満ちた眼差しは、今はすっかり消え失せていた。


「ああ、安し──」


乙女に向かって投げかけた一言は、いとも容易く掻き消される。

ハイロの駅は現在、騒音と雑音の二重奏が吹き荒れるオーケストラと化していた。


そんな中、聴覚に追い打ちをかけるかのごとく

ポーッ、ポーッ、ポーッ引け退け来るぞ、引け来るぞと再度異音が鳴り渡る。


先のが合図であるならば、今回のそれは警告であった。

自らが接近しつつあることを、人々へ知らせるための。



「…………!………………?

…………?……………………!?」


「大丈夫です」



熱狂と音の三重奏が支配する駅の中。

ひとり乙女は不安げな面持ちで、アーサーの腕の中に収まっていた。

「致し方ない」とアーサーは胸中で呟く。


ただでさえ聞き慣れない音の、それも騒音の中に晒されているのだ。

そのストレスや否や。想像するだに恐ろしい。


不安を軽減する為か、乙女はしきりに何かを訴えるようにアーサーに向かって言葉を発していた。

しかし騒音の只中ということもあってか、何を言っているのかは一切わからない。


それでも不安だけは拭い去りたい一心で、彼は安心させるような笑みを浮かべる。

「大丈夫です」と「あなたを脅かすものではありません」という想いを込めて。


ややあってぱちくり、と黒く染った睫毛が瞬く。

大理石の唇が「そうなの?」と紡ぐ様を、はっきりアーサーは見て取った。


それを受けてアーサーは徐に首を縦に振る。

「そうだ」と態度で示す様が、しっかり伝わるように。

乙女はやにわに眉間のシワを緩め、小さくため息を付いた。


「見えますか?」


アーサーは乙女を抱き上げ、空いた片腕で遥々と広がる大地を指差す。

先の乙女の様子から「どうやら意図が伝わったらしい」

と確信した彼が次に取ったのは、実物を見せる事だった。


突然虚空を指さしたアーサーに、乙女はいぶかしげな視線を送る。

「いいから、いいから」とアーサーは目を眇め、態度でもって乙女を促す。

やがて緩慢な仕草で、乙女はアーサーの指差す方へと瞳を向けた。


「わあっ……」


乙女の視界の開けた視界に、白と黒の煙を纏った巨大な鉄の塊が映り込む。

それは遥か彼方より、3本の線路を軽快に軋ませ、広漠とした黄土の大地を疾駆していた。


「凄いでしょう?」


返事はない。

乙女はアーサーの腕の中から身を大きく乗り出し、

食い入るように前方の光景を眺めている。


魅入られている、と言った方が正しいかもしれない。

そんな乙女の姿を見つめ、アーサーは薄く微笑を浮かべる。


彼は彼女にこれを見せたかった。

人類が生み出した、叡智の結晶を。


ぐんぐんと、またぐんぐんと。

ガタガタと線路を軋ませ、猛然とハイロへと続く線路を邁進する。

汽笛を盛んに吹き鳴らし、大地を駆け抜ける様は王者のごとき威厳があった。


鉄の機体の下部に幾つも連なって見えるのは車輪か。

それが左右に取り付けられた棒によって、一糸乱れることなく動輪となって駆動する。


一体どういうメカニズムで成り立っている物なのか、初めて見る乙女にはわからない。

ただぼんやりと大きく口を開けたまま、徐々にハイロへと迫ってくる鉄の塊を瞠目していた。


「蒸気機関車、って言うんです。

 主に石炭と蒸気で動いているんですよ」


アーサーが乙女に説明している間にも鉄の塊──蒸気機関車は徐々に近づいてくる。

先の驀進が嘘のようなゆるやかさで、黙々と線路の上を走っていた。


それはかくも雄大な光景であった。

清廉な空の青を汚すように、ポッポッポッと煙突から黒々とした煙が上がる。

内部に組み込まれた蒸気ドームから放たれる蒸気と煙のコントラストは、

見る者に驚きと得も言われぬ感動を与えて止まない。


渋いボトルグリーンの塗装を施された胴体部は、漫然と降り注ぐ陽の光を浴びて艶やかに輝く。

その姿には、どこか威風堂々とした貫禄が漂っていた。



人々の熱い視線が、蒸気機関車へと注がれる。

待ちわびた停止の瞬間は、もう間もなくであった。


まるでアイススケートのような滑らかを以って、蒸気機関車は悠然と駅へ滑り込む。

最後に汽笛の音と共に蒸気を一際大きく噴き上げ、汽車は完全に沈黙した。



「ねぇ、アーサー」


「はい」


「わたしたち。

 今からこれに乗るのよね」


うっとりとした声音で紡がれるのは、疑問ではなく断定。

もはや彼女の中では汽車に乗るというのは、確定事項なのであろう。

艶やかなボトルグリーンに縫い付けられたままの視線は、夢見るような色を帯びていた。


苦笑しつつもアーサーは「勿論」と答える。

否定する理由などどこにもなかった。


途端、乙女の表情がぱぁっと華やぐ。

それはアーサーが未だかつて目にした事のない、活き活きとした表情であった。

よかった、とアーサーは安堵の吐息を吐く。


元より知的好奇心の旺盛な彼女だ。

実物を見せたなら、怯えよりも興奮の方が遥かに勝るだろうという確信があった。


その作戦は功を奏し、結果として彼女の中から不安を拭い去る事が叶った。


「やっぱり、あなたには籠の鳥より広い世界の方が相応しい」


「なにか言った?」


「いいえ。

 それよりも、さぁ。行きましょう」


二等客車の入り口に足を掛け、彼は乙女を促す。

「うん!」という威勢の良い返事と共に、アーサーは車内へ頭をくぐらせた。




参考資料 

Wikipedia プラットホーム

Wikipedia トレイン・シェッド

Wikipedia リバプール・アンド・マンチェスター鉄道

YouTube 蒸気機関車2017 ~漆黒の勇姿、ふたたび~

http://www.kyotorailwaymuseum.jp/amusement/dissected-sl/structure/ 京都鉄道博物館 SL大解剖 

https://www.tobu-kids.com/train/sl/steam.html TOUB Kids SLのしくみ


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る