第三章・憂いの奥山今日越えて

第18話「花の都フォトニッヘ」

乙女にさも訳知り顔で蒸気機関車の説明をしたアーサーだったが、

実のところ彼も差程列車に詳しい訳では無かった。


何せ彼が列車へ乗ったのはこれで二度目だ。

アーサーが幼い時分には、蒸気機関車の実用的な利用はされてはいなかった。


彼が首都ウォルヌリーチへ向かう際に世話になったのは、当時まだ現役だった郵便馬車。

割高な料金ではあったが、それに相応しいだけの速度を提供してくれた。


──風になったようだ。

初めて四頭立の郵便馬車を利用した時、彼はそう感じたのを覚えている。

当時味わった感動は、今尚脳裏に健在だ。


あの時狭い馬車内で感じた強烈な揺れも、向かいに座った母の笑い声も。

馬車の小さな窓から除き見た、流れるような景色の移り変わりも。


全てが全て。彼はまざまざと思い出せる。

だが、しかし。


三頭客車の物とは明らかに違う上質な座席に腰かけ、アーサーはふと窓へと視線を遣る。

──これは、風そのものだな。


草原にたむろする牛の群れ。羊を囲い込む牧羊犬の後ろ姿。

先程まで目と鼻の先にあった木々が、瞬きを落とした時にはもう影も形もない。


茫洋たる緑の田畑は黄金の荒野へ。荒野は暗たん広がるトンネルへ。

トンネルは射光きらめく海面へ。

一拍おきにくるりくるりと矢継ぎ早に変化する。


どこかフェナキストスコープにも似た、けれども確かに実在する風物。


水のように流れていく風光は、昨日見たものとさほど変わりがない。

それでもやはり迅速で景色が移り変わる様子は、年甲斐もなく見入ってしまう。

そっと横目で乙女を垣間見れば、まるで昔の自分のように無邪気に歓声を上げていた。


幼い頃の感動を塗り替える技術の発展。

それはきっと喜ぶべきなのだろう、とアーサーは窓の外の景色を眺めながら漠然と考える。


高揚しながらも、何故か胸の内で郷愁の念が渦巻く。

心に沸き立つ相反する感情を封じ込めるように、彼は窓からそっと目を離した。



空に君臨していた太陽にも次第に翳りが見え始めた頃、ふたりはフォトニッヘへ到着した。

一時間半のあっという間の汽車の旅ではあったが、乙女はいたくお気に召したようだった。


「機関車ってすごいわね。

あっという間に着いちゃった!」


「そうですねえ……」


ポッポッポッと停車を知らせる警笛が朗々と鳴り響く。

目的地へと到着したことをその音で察した乙女は、パッと顔を上げ弾けるように窓から離れた。


「ほらほらはやく、はやく」


「待ってください……まだ全部飲み込めてない……」


遅い昼食を平らげるアーサーを急き立て、乙女は軽やかな足取りでへ扉へと向かう。

生き生きと駅へと降り立った乙女を出迎えたのは、先のハイロの感動が一瞬で霞む程近代的な光景だった。


まず目を引くのは、出発側・停車側のプラットフォーム及び、

線路までも悠に覆う巨大な三角構造形式トラスの天蓋。


アート然とした佇まいでありながら、

同時に機能的な要素をも兼ね備えるその姿からは、シェルターとしての役割を十全に果たしてる様子が窺える。


全体を成すのは黒褐色に輝く鉄骨。

その中央。人々から見て丁度頭上に位置する場所に、光を取り込むための硝子が嵌め込まれている。

時刻が朝か昼であれば燦々と陽光が降り注いでいただろうそこからは、今は斜陽が顔を覗かせていた。


最先端の建築素材を使ったデザインと、一切の無駄を省いた建造技術による壮麗な外観。

まさしく「近代的」と呼ぶに相応しい昂然さで以って、その駅は迎え入れた人々を睥睨していた。


「うわぁ…………」


トレイン・シェッドを見上げ、乙女は感嘆とも驚嘆ともつかないため息を漏らす。

乙女の記憶の中ではハイロと変わらぬ田舎の漁村に過ぎなかったはずのフォトニッヘ。

しかし鉄道の導入がもたらした交通革命と貿易によって、

フォトヘニはここ数年で飛躍的な発展を遂げていた。


「綺麗ね……」


「綺麗ですねぇ」


それはまるで一枚の絵のような、かくも優美な情景だった。

トレインシェッドの高窓より射し込む斜陽は、内部に充満した蒸気と溶け合い駅全体を幻想的に包み込む。

どこかグラスに注がれたオレンジジュースのような甘美な光景の中、乙女は呆然と立ち尽くしたままになっていた。



「お嬢さんは大昔に一度この辺りを通ったきりなんでしたっけ。

 駅の外も、そりゃあもう大したものらしいですよ」


「えきの……そと?」


目を眇め、彼は穏やかに微笑みながら頷く。

あまり首都から出ないアーサーでも、ここ数十年で一変したフォトニッヘの情報は聞き及んでいた。

なにせ今やネラムナッツ公国どころか、国外にまで名を轟かせるほどの有名な駅がある町の話である。

知らない筈はなかったが、訪れる機会はまるで無かった。

「そういった点では、俺もお嬢さんと変わらないな」とアーサーは内心で苦笑を浮かべた。


「ええ。

 宿を探すついでに、散策しませんか?」


「行くわ!ええ!勿論!」


促すように外へと指を向けると、たちまち意図を悟った乙女はパァッと瞳を輝かせた。

束ねた髪がリネンのキャップよりはみ出さんばかりの勢いで、乙女は賛成の意を述べる。

ハラハラしながら見守るアーサーを余所に、乙女は重力を感じさせない足取りで

夕暮れに浸かるプラットホームを駆けて行った。





参考資料

Wikipedia サン=ラザール駅(モネ)

https://paris-rama.com/paris_spot/058.htm パリ観光サイト「パリラマ」

https://www.musey.net/1665MUSEY クロード・モネ>サン・ラザール駅

https://artoftheworld.jp/musee-d-orsay/988/ 世界の美術館「サン・ラザール駅」クロード・モネ。

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00902/2015/35-0069.pdf

【土木史研究 講演集 Vol.35 2015年】金井 昭彦 トレイン・シェッドに関する考察。


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