第16話「籠の鳥は空へとはばたく。」






「で、あんたら。どこ行くんやっけ」


「えっと……えき……うん、そう。駅よ。

 そこからフォトニッヘに向かうの」


「よしよし了解。

 歳に見合わず、随分しっかりしたお嬢さんやなぁ」


その後は置物と化したアーサーの代わりに、乙女が男性との会話を受け負った。

クロックマン一族以外の人間と交わす実に何百年かぶりの会話は、乙女にまた新鮮な時間を与えた。


始めは勿論、恐怖でしかなかった。

しかしこうして荷馬車で男性と会話を交わすうちに、それは段々と楽しいものに変わっていった。

無論乙女だって屋敷に閉じこもるばかりではなく、機会があれば時々外に出たりもしていた。

それはたまに景色を眺めて楽しむ程度であり、

クロックマン以外の人と直接触れ合うことはもっぱら避けていた。


アーサーから「旅をしませんか?」と言われた際は、心底驚いたなと彼女は思い返す。

旅に持っていくものを大荷物にしてしまったのは、不安のあらわれでもあった。


「けれど、ああ。なんということでしょう」


乙女は真後ろを振り返りながら述懐する。そこには殆ど置物と化したアーサーがいた。

煌々と降り注ぐ日差しから視界を守るべく肘で顔を覆ってはいるものの、

後はぐったりと死体のように臥せっている。これでは遠目から見れば死体を運んでると錯覚されかねない。

──情けない騎士様ね、と乙女は薄く微笑んだ。


「わたしったら意外と、この旅を楽しみ始めているのかもしれないわ。

 責任取ってよね、アーサー」


柔らかな秋風が、今は黒に染まった乙女の髪を撫でる。

その感触は乙女の身体から絶えて久しいが、爽やかで気持ちのよいものに違いないと乙女は確信した。


荷台から否が応でも目に入る、実り豊かなマラカイトグリーンの平原。

天を振り被った先に、遥々と広がる天青の空。

それの何処にも乙女は決して交われない。


それでも、と乙女は思う。

アーサーが呪いを解くと約束してくれたのだから、彼を信じましょうと。


「これから先どうなるかわからないけれど、

 ふたりでならきっと楽しいものになるに違いないわね」


やがて御者台の男性から「着いたで」と明るい声が上がる。

アーサーの顔を覗き込んでいた乙女は弾かれたように顔を上げ、いそいそと彼を起こしにかかった。


アーサーが目を開けた頃には、荷馬車はもう駅に着いていた。

時刻はとっくに正午を過ぎてはいるものの、高みから赫く日差しは未だ健在であった。

御者に促され、彼はのろのろと身を起こす。

視線を向けた先には、ここを訪れた時に世話になった駅舎があった。


「ありがとうございます」と何度も謝辞を述べるアーサーに、

御者の男性は変わらず「ええよ」とだけ返す。

相も変わらず気分は優れなかったが、ヤギになった乙女の背から降りた時よりかは遥かに楽だった。


「すみません、えっとお幾らで……」


「ええよ」


「いやあのでもチッ」


「ええよええよ。

 ほら嬢ちゃんが待ちくたびれてんねんから、早よ行ったりぃな」


「ほれ」と後ろ指さすイェロキの男性に釣られ、アーサーは背後を振り返る。

そこには今まさに賑わう交通広場へ、ふらふらと紛れ込まんとする乙女がいた。

赤い外とうの頭巾を深く被った姿は、まるで童話に出てくる登場人物のようで微笑ましい。


しかし今の乙女の外見のことを思えば、微笑ましいでは済まされなかった。

途端にサアッと、ただでさえ蒼ざめていたアーサーの顔から更に血の気が引いていく。

慌てて乙女の元へ駆け寄る彼を見て、イェロキの男性は顔をしわくちゃに歪めて笑っていた。


アーサーが乙女を捕まえた時には、イェロキの男性はもはや視界の彼方から消え去っていた。

なんと足の速い人だろうと感嘆するも、今はそれどころではない。


好奇心に身をゆだねた乙女が、アーサーの腕の中でじたばたともがいているからだ。


「ねぇねぇ!アーサー!!

 あの大きな建物が『駅舎』なの!?」


黒檀の瞳を爛々と興味に輝かせる様子は、まるで猫のよう。

乙女の眼差しの向こうにあるのは、背割長屋を思わせる外観の駅舎。

そしてその駅舎から広がる路面へと敷かれたプラットホームと、

駅舎と路面をまたぐようにかけられたトレインシェッドであった。


無論背割長屋のようなぼろさは、ふたりが見上げる駅舎には微塵も見受けられない。


駅舎入り口は、かつて北に存在した文明の建築様式を採用しており、

見る者の目を惹きつけてやまない優雅さを醸し出している。


平素の乙女に勝るとも劣らない白磁の壁面とも合わさって、

ハイロの村に似つかわしくない瀟洒さを兼ね備えていた。


「先に一言言っておくべきだったなぁ」


腕の中で暴れ回る乙女を全力で羽交い絞めしつつ、アーサーは苦笑する。

魅入られたような面持ちを浮かべた乙女は、姿のみならず中身も幼子に戻ったかのようだった。


長く世間から身を遠ざけていた乙女にとって、

新鮮かつ刺激的なことは容易に予測可能なはずだった。

何故対策もなにもせずにここまで来るという選択をしてしまったのか、と彼は内心頭を抱えた。

乙女は今も彼の腕の中で「すごい!すっごーい!!」としきりに感嘆の声を上げている。

普段の理性的な様子や、読書によって培われた堪能な語彙はどこへやら。

もはや見る影もない。


交通広場を行交う人々から、微笑ましげな視線がふたりに注がれる。

その眼差しを背中で受けながらアーサーは

「『子供の姿でいてください』と頼んでおいて正解だったな」と重いため息をついた。



参考資料

Wikipedia プラットホーム

Wikipedia リバプール・アンド・マンチェスター鉄道

Wikipedia トレインシェッド

リヴァプール・クラウン・ストリート駅(1833年)






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