第四章 美人すぎた彼女の不幸

 紅倉の言いたい放題は続く。

「彼女の家は、まあ中の上?くらいの家で、立場的に微妙なところで、良家の結婚の申し出を無下に断るわけにもいかず、かと言って娘は全然その気じゃないし、その美貌で『現代のかぐや姫』なんて言われていたのを逆手にとって、求婚者たちに南極の氷で作ったかき氷が食べたいだの、北極のオーロラを瓶に詰めて持ってこいだの、ロマノフ家のイースターエッグが欲しいだの、ノーベル文学賞を取れだの、アインシュタインの相対性理論を覆せだの、我が儘放題の阿呆な要求を突きつけて、まあはっきり言って結婚の意志のないことを伝えたのね。それでだいたいのお坊ちゃんたちはそこまで言われては仕方ないとプロポーズを取り下げたのだけど、

 一人、

 まったく空気を読まずに求婚を続け、大学で物理学を勉強したり、小説を書いたり、社会主義革命吹き荒れるロシアに渡って怪しげなスパイ活動をしたり、シベリアに渡ってみたり、南極点を犬ぞりで走破しようとしてみたり、無謀な挑戦を続けて彼女にアピールし続けたお坊ちゃんがいたのよ」

 芙蓉はずいぶん頑張るロマンチストだなと感心したが。

「ところが彼女ったら、数ある求婚者たちの中でも、ことさらそのお坊ちゃんが、鬱陶しくって、大っっ嫌い!だったのね」

 あらら、と芙蓉は内心ズッこけた。ご愁傷様なお坊ちゃん。幽霊美女は悩ましくため息をついた。

 紅倉の暴露話は続く。

「そんなお坊ちゃんの嫌よ嫌よも好きの内と勘違いしたストーカーまがいのアピール攻勢に悩まされ続けた美しき令嬢は、疲れ果て、インフルエンザにかかってあっさりと、汚れなく美しいままあの世に召されたのでありました。アーメン。

 かつての婚約者たちも美しき青春のマドンナの早すぎる死を悼み、その冥福を祈り、それぞれはおのおの別の女性と結婚して立派に家庭を築き、それぞれの生涯を送りましたが……

 またしても空気を読まないのがその男。

 死んだ令嬢を、己の与えた心労が殺したのも気付かずに、思い続けて生涯独身で過ごし、

 ようやく先頃お亡くなりになりました」

 ギクウッと幽霊美女は面を恐怖に凍り付かせた。

 紅倉は合掌し、

「百六歳のそれはそれは見事な大往生でした。ひょっとして長寿日本一? あっぱれなものねえー」

 と、感心した。話はまだ続く。

「ところで亡くなった彼女ですけれど、

 汚れなき処女のまま亡くなった彼女は天国の、それはそれは美しいお花畑で過ごしておりました。それはそれは美しいお花畑ではありましたけれど、いつまでもいつまでも、待てど暮らせどだあれも来ません。見渡す限りのお花畑に彼女独りぽっちです。

 さてさてこれはいったいどうしたことでしょうねえ?」

 紅倉はわざとらしく首を傾げ、当時を思い出して幽霊美女も同じく首を傾げた。

 紅倉の解説。

「それはですね、

 実は彼女のいたのは天国ではなかったんです。あの世の入り口の、いわゆる三途の川のほとりです。

 ほら、死にかけた人が川の向こうにきれいなお花畑が見えたっていうあれです。

 彼女は死んだので川は渡っているんですけれど、そこで迷子になっちゃって、お花畑の迷路から抜け出せなくなっていたんですね。

 彼女を迷路に誘い込んだのは誰でしょう?

 あの世というのは精神の世界ですから、お花畑も彼女の精神の一部です。そこから先に進めなくなったのは、彼女を引き留めるものすご〜〜く強い精神力が働いていたからです」

 まさか…と幽霊美女は青くなった。

「はい、その通り。ストーカーお坊ちゃんです」

 幽霊美女はひい〜〜っと震え上がった。

「死んだあなたを思い続けるお坊ちゃんの心がいつまでもあなたを先の世界に進ませなかったんですね」

 芙蓉が呆れて言った。

「それじゃあこの人、七、八十年もお花畑で一人っきりで過ごしていたんですか?」

「いえ。まあわたしたちのこっちの世界から見ればね。死んでいる彼女の感覚では、ひと月くらいのもの?」

 幽霊美女はそんなものだったかしら?と軽く頷いた。

「天国の時間は速く、地獄の時間はとてつもなく遅く流れるものなのよ。

 というわけでお花畑の迷宮に囚われていた彼女は、ふと思い立ちました。ちょっと戻ってみようかしら?と。するとあら不思議、三途の川が現れて、それを渡って彼女はこの世に舞い戻ってきました。

 戻ってきてびっくりしたでしょうねえー、生まれてこの方超高層ビルが林立する世界なんて科学雑誌の未来予想図でしか見たことなかったですものねえ?

 それでおっかなびっくりなんとなく昔の風情を感じる緑の公園通りをさまよっていたのでした。

 ところで、

 何故ずうっとお花畑に囚われていた彼女が突然三途の川を逆に渡ってこの世に舞い戻ってきたかと言うと、

 それは、

 彼女をずうっと引き留めていた強い思いが、ようやく大往生して、天国の愛しい彼女の下へ上ってきたからでした」

 ひい〜〜〜〜っと幽霊美女は真っ青になって取り乱した。

「強い思いに捕らわれていた彼女もまたその思いが接近してきたのを敏感に感じ取り、千載一遇のチャンスと開いた入り口から三途の川へ飛び出したのね。いやあ、間一髪すれ違い。彼に見つからなくてよかったわねえー」

 と爽やかに笑って言った紅倉だが、あ、と上を見た。

「あ。ごめん。見つかっちゃった」

 幽霊美女はひいーーっと煙を散らして一目散に逃げだし、しばらく上に伸びていた九十九本の線香の煙が、再び渦巻き、雲となり、今度は二十歳くらいの青年の姿になった。顔かたちは二十歳の青年だが、そこは激動の昭和を生き延びた強者、いかにも意志の強そうなドングリ眼に鼻髭を生やし、鹿鳴館の燕尾服を着こなしている。

 芙蓉は一目見て、あーこれは人の意見を全然聞かない類の人だなと思った。決して悪い人ではないのだろうけれど、ねえーーー……………。

 鹿鳴館青年は辺りをきょろきょろした。別に現代の風景に驚いているのではなく、彼の求めるものは生きている間も死してからもたった一つの輝ける特別のダイヤモンドだけなのだ! ……ああ鬱陶しい。

「あのねー」

 と紅倉は申し訳なさそうに言い、彼は星の輝くドングリ眼で紅倉を見つめた。

「あなたの思い人の彼女なんだけど、実はさっきまでここにいたんだけど、逃げちゃったの。ほら、周りを見てご覧なさい?」

 彼はまっすぐな瞳で周りの男どもを見回した。

「この人たち、みーーーんな、彼女の大ファンで、わたしが彼女を成仏させてあの世に送り返してあげようとしたのを、走っている車のフロントガラスに鉄のかたまりを投げつけて殺そうとしたり、真夜中徒党を組んで家を襲って金属バットを振り回して破壊の限りを尽くしたりして、もう、本当、恐ろしかったのよ? 今も、消えちゃった彼女をどこかに隠しているんじゃないかしら?」

 まっすぐな瞳の彼はか弱き女性に対する傍若無人な暴力に怒り、愛しい女性をどこかにさらって隠されたことに怒り、まっ赤な、鬼の形相となった。………今ここにいる者たちにとっては全くの言い掛かりなのだが……、紅倉に帰れコールをしたり、ネットでさんざん悪口を書き込んだりしたから……、ま、いいか。

「んじゃ、そういうことで。本日の降霊会はこれにて終了。皆さん、お気をつけてお帰りください」

 紅倉がふっと息を吹くと、九十九本の線香は一斉にボッとまっ赤にフラッシュし、もうもうたる白煙を上げた。するとそれはそのまま巨大な赤鬼の姿となり、

 カメラを持った男たちを襲いだした。

 ブンと巨大な手を振り下ろせば体をすり抜けられたものは魂をぶん殴られたショックでブルッと震えて失神した。蹴り上げられ、踏みつけられた者どもも同様だ。

 怒りの赤鬼は男どもを追いかけ回し殴る蹴るし、阿鼻叫喚の地獄図絵が展開された。

 それを赤い目で眺めて紅倉は、

「へっ。ざまあみろ」

 とあざ笑い、

「さあ、撤収!」

 と元気に言って珍しく迷うことなく芙蓉とスタッフの男女を引き連れ、黒服たちに守られて帰り道を辿った。

 大騒ぎを振り返った芙蓉は、

「お祓いは一切しないって予告していたし、自己責任で、いいわよね?」

 と、それきりすっかり興味を失って先生の後に続いた。


 後日談をここで紹介すると、

 赤鬼に襲われた男たちは朝まで寝込み、呼ばれた救急隊員は大迷惑した。目覚めた彼らは特に外傷はなかったが、なんだか魂が抜けたようにすっかり大人しくなってしまい、おのおの通勤ラッシュ前の電車で家に帰っていった。彼らのほとんどが持っていたご自慢の高級デジタル一眼レフカメラだが、レンズにことごとく白い目が入り、CCDが焼けて黒い影が写り込んでまったく使い物にならなくなっていた。撮影した幽霊美女の姿も何故か全て消えてしまった。ネット上の画像も同様全て消えてしまった。

 芙蓉の質問に答えて紅倉は、

「霊体に大けがを負ったでしょうからね、健康も損なうでしょうし、これから先どんな不幸につきまとわれるか、あーらら、お気の毒」

 と実に意地悪く笑って言った。

 やはり、最強である。

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