第二章 怒れるファンたち
美しすぎる女幽霊のフィーバーはまだ続く。
公園通りの通行人や周辺店舗、住民から区役所、警察署にクレームが殺到したが、女幽霊のファンたちはただそこにいるだけで、別に徒党を組んでいるわけでもなく、ただ居るというだけの理由で退去させるわけにもいかず、行政、警察も困ってしまった。
紅倉美姫が訪れていたという報告で秘密裏に幽霊を何とかしてもらえまいかと相談したが、気持ち悪い男たちにこりごりの紅倉は断った。
そんな周辺の迷惑も顧みず、ネットには「大正ロマン令霊写真館」なるファンサイトが立ち上げられ、その後も撮影された写真が続々掲載され、大いに盛り上がっていた。
しかし、とうとう事件が起きた。
女幽霊はだいたいの範囲は決まっているもののはっきりいつどこに現れるかは分からない。それでたまたまそこを張っていてシャッターチャンスに恵まれたファンはラッキーなのだが、そうして(来た!)と植え込みの陰から夢中になってシャッターを切っているファンたちを見つけて(あっ、あそこか!)と慌てて駆けつけたファンが誤ってフラッシュを焚いて撮影してしまった。眩しい光を浴びせられた幽霊はさっと姿を消してしまった。
「バッカヤロウ!」
フラッシュ撮影してしまったファンは他のファンたちに睨まれ、囲まれ、小突かれ、「何すんだよう!」と反抗したところ殴られ、そのまま袋叩きの目に遭った。
お巡りさんが駆けつけ、五人が逮捕される傷害事件になり、公共放送の全国ニュースにもなる騒ぎとなった。
それからしばらくして、
女幽霊はぱったり姿を見せなくなった。
彼女が再び姿を現してくれることを待ち望んで公園通り参りを続けるファンたちは、ガッカリとした怒りをネットで紅倉にぶちけた。
《紅倉美姫が俺たちの幽霊ちゃんを成仏させやがったんだ!》
と。
その日、中央テレビのスタジオで「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」の収録が終わったのは午後十時のことだった。
テレビ局の地下駐車場から走り出た芙蓉運転するホワイトメタリックの最高級ハイブリッドカーは、ビル街を抜け、道路照明が点くばかりの黒々した閑静な高級住宅街を安全運転で走っていた。
後ろで眠ったように静かにしていた紅倉が赤い目を開き、
「美貴ちゃん、気を付けて」
と注意した。芙蓉がバックミラーを見ると、やたらライトの暗いオートバイが迫ってきた。対面車がぎりぎりすれ違える狭い二車線道路ですぐ後ろまで迫ったオートバイは反対車線に出て追い越そうとし、二人乗りのオートバイは、追い越しざま後ろの同乗者が何か袋を投げつけた。
追い抜かれる寸前反射的にブレーキを踏んだ芙蓉は、ガシャン!、と相手が慌てて体をひねって投げつけた何か重い物の入った袋を目の前のフロントピラー=フロントガラスの枠の柱に受け、反射的に目を閉じ顔を背けた。
ブロロロオーーンとけたたましくエンジンを唸らせてオートバイは走り去っていった。
芙蓉は振り向き言った。
「先生、大丈夫ですか?」
紅倉は少しドキドキしたように、
「わたしは平気。美貴ちゃんこそ、ケガしてない?」
と芙蓉を気遣った。フロントガラスは右の端に蜘蛛の巣状のひびが走り、わずかだが欠けこぼれている。まともに受けていたら芙蓉は大けがを負っていたかも知れない。悪質だ。
「警察を呼びます」
芙蓉が携帯電話を取り出すと、
「ナンバーは◯◯◯◯よ」
と紅倉は言った。芙蓉はニッと笑い、
「いい目をしてますね」
と紅倉を誉めた。避けるのに手一杯の芙蓉にはナンバープレートを見る余裕はなかったし、おそらく、わざと汚して読めないようにしていただろう。
芙蓉は一一〇番通報し、パトカーが駆けつけ記録を取った。灰色の布袋の中身はいっぱいの錆びたネジだった。
二時間後、運転手一人だったが「目撃証言」にぴったり合致するオートバイが検問に引っかかり逮捕連行された。
その深夜三時。
住人二人はすっかり疲れてぐっすり眠っているはずのお屋敷で、ガチャンとガラスが割れる音と、バリン、ガチャンガチャンと派手に物を壊す音が内部の部屋部屋で起こった。
「出てこい紅倉! 芙蓉!」
野太い男の声が叫び、ガチャンバリンと物を破壊する音が一カ所ばかりでなく三四カ所同時に起こった。
「出て……」
男は背後から脇腹にドスッと鋭い突きを入れられて声もなく気を失って倒れた。
ガチャンと派手な音が上がっていた別の部屋でもその音が急に止んだ。
「時間だ! ずらかるぞ!」
警備員が駆けつける時間を見越してか声が叫び、わらわらと四人の男たちが広い庭に飛び降りてきた。
「おい、二人いねえぞ?」
「かまうな、行こう!」
そうしてはしごを掛けた塀に向かって走り出した男たちに、一人の足に部屋を破壊した金属バットが槍のように投げつけられ、膝を折られて脚を絡めて派手に転倒した。
「いってえ!」
悲鳴を上げる男に他の三人はぎょっと立ち止まり、縁側に立つ着物袴姿の芙蓉の姿にぎょっとした。
「あ〜、あったま来た」
芙蓉は草履を履いてジャリッと下りてきた。
「あんたらよくもわたしと先生の家を土足で踏み荒らしてくれたわね?」
芙蓉は合気道の達人であるが、
「一人くらいぶち殺しちゃってもかまわないわよね?」
と、右手を脇に、左手を手刀にして前に構え、攻撃の姿勢をとった。
この熱いのにご丁寧にストッキングのマスクを被った三人の男どもは、
「ぶちのめせ!」
と金属バットを振るって襲いかかってきた。
芙蓉は攻撃と見せてすいと身を引き、同時にバットを振り下ろした二人はバットとバットを思い切り殴り合わせて、
「うぎゃっ」
と、手をしびれさせてバットを取り落とした。
「うおお!」
ブン、ブンとバットを振り回して芙蓉を襲う一人は、スッスッと芙蓉に逃げられ頭に血が上り、
「ぶっ殺す!」
と振り仰いだところ、タッと芙蓉は懐をすり抜けて後ろに駆け抜け、男は振り返る間もなく背中を思いっきり蹴られて前に吹っ飛んでバッタリ倒れた。
そこへセキュリティー会社の警備員たちが駆けつけ、ドアからなだれ込み、手がしびれてはしごを登れないでいる二人と、転げながら必死にそこへ辿り着いた二人を拘束した。他に室内で気絶している二人。
警備員は直ちに一一〇番通報し、やがてパトカーがサイレンを鳴らして駆けつけ、六人を逮捕、屋敷は赤いライトがくるくる回る騒然とした状況になった。
最敬礼する刑事に事情聴取を受け、芙蓉はむかっ腹が立ってしょうがなかったし、紅倉はドキドキ怯えてシュンと小さくなっていた。紅倉はパジャマ姿だったが二人とも眠ってはいなかった。襲撃を予想して、もっと事前に警察なり警備員なり呼んでいてもよかったのだが、実質的被害がなくては彼らを実刑で懲らしめることも出来ず、再度の襲撃も予想されて、敢えて襲わせたのだが……、実際の破壊と暴力はやはり肉体的に心臓をドキドキと怯えさせるのだった。
事情聴取が終わって落ち着くと、紅倉は芙蓉に反省したように言った。
「わたしが甘かったわ。生きた人間がここまで粗野で自己中な馬鹿揃いとは思わなかったわ。なんだかもうすっかり人間なんて嫌いになっちゃうわ」
最後はすっかり落ち込んだように元気なく言う紅倉に、芙蓉はひざまずいて抱きしめ、慰めて言った。
「先生にはわたしがいます。外の人間なんて、どうでもいいじゃないですか?」
紅倉は、うん、と頷き、
「ありがとう、美貴ちゃん」
と芙蓉に甘えた。芙蓉は紅倉を抱きしめて頭を撫でてやりながら、
ああ、幸せ……、
と思った。
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