第8話 うわさ -ひより-

 SNSを中心に私たちの噂は広まっていった。1枚の写真から始まった騒ぎは徐々に大きくなっていき、日々に退屈した人々の娯楽と化した。ついにはお昼のワイドショーにまで取り上げられる始末で平和だった生活は大きく変化した。人々にとっては娯楽でも私たちにとっては生活そのもの。もともと外に出ることが少なかった私はさておき、ゆりは明日から外に出て仕事をしなければならないのだ。通勤中の電車の中、駅までの道のり、たくさんの人とすれ違う中でどれほど好奇の目が向けられるかは想像もしたくもなかった。私はこれからのことを薄暗い部屋の中で一人考えた。

 

 午前4時。スマホのアラームが鳴り響いた。いつものようにゆりのお弁当を作り始める。冷蔵庫と相談をしながらゆりの好物で小さな箱を満たしていく。このお弁当箱を開けたときに少しでも笑顔になって欲しい。それだけを考えて同棲を始めてからの3年間、作り続けてきたお弁当。私が社会人のゆりにしてあげられる精一杯だった。

 お弁当の食材が全てそろった頃、時計の針は5時半を指していた。珍しくゆりが寝室から出てこない。私はそっと寝室を覗くとゆりは布団にくるまっていた。寝ている姿でさえ愛おしかった。私はゆりのそばへ行きそっと頬にキスをした。ゆりはそれに呼応するかの様に目を覚ます。白雪姫のワンシーンのように目覚めたゆりは寝ぼけた声で「王子様?」と言う。私は思わずお姫様を抱きしめた。

「私だけのお姫様、行かないで。外に出てほしくない。」

隠していた感情が今だと言わんばかりにあふれ出す。自分の中に眠る独占欲から生まれる感情が嫌いで嫌いでたまらない。

「ひより、ありがとう。大丈夫だよ。わたしもひよりも大丈夫。」

ゆりは私の耳元でそう囁く。その声は自分に言い聞かせているようで、余計に辛くなる。

「ゆりは怖くないの。」

「怖いよ。でも、ひよりがいるから大丈夫。」

ゆりはそう言って今日も社会に溶け込んでいった。


 リビングで一人取り残された私はソファに横たわり、あらぬことを想像しては掻き消しを繰り返していた。執筆なんて手に付かない。今にもゆりのことが心配で心配で落ち着かない。

『学校で生徒に馬鹿にされていないだろうか。』『通勤中に周りの人から写真を撮られて晒されていないだろうか。』『マスコミに捕まっていないだろうか。』

 次から次へと心配事が湧き出てくる。しかし、SNSに疎い私に心配事を晴らす手段は無い。そんなモヤモヤとした気持ちを一人、薄暗い部屋で抱え悩み続けた。


 しばらくしてスマホが振動した。スマホの画面を見ると担当編集の近藤さんからの電話だった。次の打ち合わせのことだろうと思い電話を取った。

「もしもし、近藤です。作野先生いまお時間大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です。」

「よかった!これから作野先生のお宅に伺おうと思っていたんですよ。久しぶりにゆっくりお話したくて。」

「え?」

この人は何を言っているのだろう。普段から人手不足だと言って忙しそうにしている人が編集社から離れた私の家に?頭の理解が追いつかない。

「今、加重かさね駅を出たのであと15分くらいです。」

「……部屋の掃除しておきます。」

近藤さんがすでに最寄り駅まで来ていたことに呆れつつ私はフローリングワイパーを手に取った。

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