第3話 先生の仕事 -ゆり-

「わたしは盛大に悩んでいる。そしてその悩みは誰にも知られてはいけない。」

「ねぇ、どう?今の気持ちを小説のワンフレーズ風にしてみたの!いいでしょ!!」


 今日はお休み。そして…わたしの恋人ひよりの集中力がMAXになる日、締め切り前。

 この時のひよりは何を言っても返事はなく、後ろから抱きついたとしても「邪魔です」といつもより冷たい声で返されるだけ。

 つまり何が言いたいかと言うと本当に暇なのである。いや、正確には生徒のことで悩んでいた。だがしかし、飽きてしまった。わたしは集中することがなにより苦手で、すぐに飽きてしまう。悩み事も「悩んでも仕方ない、なるようにしかならない」という考え方で悩むことをやめてしまうことがしょっちゅうだった。

 しかし今は人の、生徒のことだから「なるようにしかならない」という考えで向き合うわけにはいかない。自分の判断で生徒の人生を変えてしまうかもしれない。先生という職は時に人を変えてしまうことをよく理解しておかなければいけなかった。


 担任しているクラス(2-5)に在籍する生徒、中野なかの ゆうは運動が大の得意で所属するバスケ部では次のエースだと言われている。しかし、勉強が苦手なようで成績は伸び悩んでいる。2-5を担当する他の教師からも中野君はもっと努力をさせないといけないなど、かなり言われていた。

 正直、わたしの思いは他の先生たちとは違う。わたしは本人が納得する形で勉強に取り組んで欲しいと願っている。つまり本人の負担になるような勉強の仕方は絶対にさせたくないのだ。

 それが高望みであることは重々承知している。それでも本人には勉強が苦手な理由はきっとある。そう、つまり、どうすればいいのだろう……。

「あーもう!あとちょっとで解決しそうなのに!!なんでいつも肝心なところで止まっちゃうんだろう!!」

 わたしは声を大にして言った。わたしの頭の中は混乱状態。次々に浮かぶ無謀な策で溢れかえって整理ができなくなっている。

「何に悩んでいるかは知らないけど、悩んだ時はとりあえず自分の心に話しかける。人のことで悩んでいる時はその人と話す。それがいちばんだよ。」

 ひよりが机に向かいながらそう言った。手を止めずに口だけを動かして。

「原稿は……終わったの?」

わたしはそう聞いてみたけれど返事が返ってくることはなかった。


 「その人と話す」か~。自分にうまくできるかは分からない。それでも、何か行動を起こさなければ現状は変わらない。行動あるのみ。

 結局、この日、ひよりが声を掛けてくれたのはあの1回だけだった。


 次の日、朝起きるとキッチンに立っていたのは目の下にクマを作ったひより。そう、ひよりは締め切り明けの疲れ切った時でも必ず朝食とお弁当を作ってくれる。わたしはいつも通りのひよりの姿を見て少しだけ微笑んだ。

 「いってらっしゃい。」

ひよりのとても甘いキス。わたしはお弁当を大事に持って家を出た。


 昼休み。放送で中野君を呼び出す。いつもこの瞬間は少しだけ緊張する。しばらくして中野君は現れた。わたしは対話スペースに入るよう促し中野君の後に自分も席に着いた。

「中野君、最近どう?バスケは楽しい?」

わたしはなるべく自然を装って質問を投げかける。

「まぁ、楽しいけどさ。俺、今度の試合に出れないわ。」

中野君はわざと視線を逸らしてそう言った。一種の逃げなのかもしれない。もう諦めていると伝えたいのかもしれない。それでもね、あきらめて欲しくないよ先生は。

「勉強のこと?」

わたしは再び質問をする。すると次は声に出すことなく小さく頷いた。勉強ができないことを恥じてなのかな。恥じなくていいよ。誰だって苦手なことはあるのだから。

「バスケの試合は出たい?」

相手の心の核を突く質問。中野君は少し迷ってからわたしの目を見てこう言った。

「うん。出たい、出たいよ。でもさ無理じゃん?俺が勉強できるわけないだろ。先生だって知ってんだろ。分かってて面白がるために言ってる?」

わたしは大きく首を振った。

「わたしは中野君ならできると思っている。」

そう言って数学のプリントを出して見せる。中野君は数式の並びを見て顔をしかめた。

「この問1、一見難しそうに見えるかもしれないけれど今までにやって来た計算の組み合わせなのね…」

わたしはそう言って問題の解き方、考え方をじっくり説明した。中野君は終始、真剣な表情でわたしが書き綴る数式を見ていた。

「あぁ、確かに。この一問は分かったよ…。でも一問だけだ。他の問題はさっぱりだよ。」

わたしはにやりと笑ってシャーペンとプリントを手渡した。

「大問題1は今のパターンで解けるようになってる。大問題2も問題文が違うだけで基本は同じ。嘘だと思うなら解いてみて。」

中野君は不安そうに問題に向かった。最初は暗かった表情も徐々に明るくなり、解き終わる頃にはすっきりと晴れた顔をしていた。


 結局、中野君は「面倒くさい」という理由で食わず嫌いしていただけで少し、コツを掴むとスラスラと解けるようになっていた。

「できたじゃん。さすがだね。」

そう言うと中野君は少し照れながら笑った。

「他の教科もとりあえず問題と向き合うこと。そして分からなければ先生に聞く。授業もしっかりと聞くこと。面倒くさいだろうけど頭を使うことは重要だから。中野君ならできる。何かあったら遠慮なくわたしに相談して。力になるから。」

 そう伝えてから教室に戻るよう促した。中野君は小さな声で「ありがとう」と言ってから教室に戻っていった。

 自分が今できることはできたと思う。わたしは心の中でガッツポーズをして自分のデスクに戻った。

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