十話 隔絶された森-isolation-(アイソレーション)
崩壊した峡谷を登り足場が安定している倒壊した巨木の上で周囲の様子を伺った。
どれだけ時間が経ったかは分からないが未だ周囲は夜の闇に包まれている。
巨木に生えた枝で周りを囲み身を潜める。先程襲いかかってきた異形の蠢く不快音は未だ周囲に鳴り響いている。
「先程よりも激しくは無いがまだあの怪物が動き回っている様だ。暫くはここで休憩しよう。」
崩れた太い枝を枕がわりにしてウルを横に寝かせた。
「ごめん…なさい…」
「いや、ウルは良くやってくれた。」
「直ぐに飛ぶから…か
「いや、駄目だ。今は少し寝ていたほうがいい。辺りは俺が見ているから安心してくれ。」
ウルの顔に手を当て目を覆い隠すと荒立っていた吐息が次第に収まり静かに寝息を立て始めた。
ウルは余り気にしていない様だが背筋が凍る様な異音が響く中で眠る事が出来るとは中々に図太い神経を持っているのでは無いだろうか。
待っている筈のソートには悪いがウルに無理を強いる訳にはいかない。
心配だという気持ちも勿論あるが、もしウルが例の泥の女で何かの拍子に変貌してしまったらと考えるだけでも体が震えてしまう。
言っては何だが先程の異形の怪物と泥の女どちらと相対するかと問われれば脊髄反射で異形の怪物を選ぶだろう。
泥の女に比べて気味の悪い見た目であり、蟻と象と同じくらいの体格差がありそうだが、其れでも尚本能に訴えかけられる恐怖は星と蟻を比べる程に隔絶している。
泥の女に比べれば先程の怪物など多少驚いた程度にしか感想は湧きあがらない。俺の価値観も大きく変わっている様だ。
暫くすると地響きが鎮まり始め、次第に不快音も消え去っていく。先程まで樹々の生い茂っていた森は地獄の只中の様に荒れ果てた峡谷に変貌していた。
「可能な限り速くこの場から離れないとな。ソートの方も被害が出ているかも知れないしな。」
寝静まるウルを背中に抱えて、なるべく大きな音を立てない様にその場を離れた。
周囲を警戒して先に進んでいくがやはり怪物の被害は極めて甚大だった。最も高い峡谷の頂から周囲を見渡すと数多くの峡谷が入り組み巨大な迷路を成していた。
「あれは…森が戻っている…のか?」
峡谷の迷路の先に目を向けると周囲の木々が蠢いており覆い被さるように峡谷の全てを埋め尽くしていた。
「森が…動いているのか?いや…あれは生え伸びているのか。」
先程まで目の前にあった崩壊した地形が何事もなかったかの様に森の姿へと戻っていた。先程の光景を目の当たりににしていなければ此処に崩壊した峡谷があった事など想像すら出来ないだろう。
この世界に来た時からあまりにも複雑に山が入り組み峡谷が多いなと感じていた。
その理由があの異形の引き起こしたものだとここに来て理解する。あんな化物が住む森が国境に有れば侵略行為など早々できるものでは無い。
そんな中でも領土を拡大しているヘイオス帝国とは余程力を有している国のだろう。元の世界のアメリカや中国の様なイメージを思い浮かべた。インスマスは差し詰め欧州連合の中の大国と言ったところか。
実際に行ってみなければ分からないがヘイオス帝国での情報収集も優先度を高めにして行き先を検討しよう。
そんな事を考えながらようやくソートの住む家の周辺に辿り付いた。森の中心に行くほど被害は少ない様で地形が大きく変わった様子も特に見受けられない。
あれ程の地形崩壊に見舞われていたにも関わらずまるで森の中心部だけが守られている様な…それ程迄に変わらぬ風景が静寂を包んで広がっている。
家に戻ると大樹の裂け目である家の入口でソートが船を漕いで眠りこけていた。家を出てからどのくらいの時間が経ったかのだろうか。ウルを背中に乗せたままソートを片手で抱き抱えると目を覚ましたソートが何か言葉を口にしていた。
「#i£#*==+$*」
その言葉と共に大きな腹の虫がソートから鳴り出した。
「遅くなって済まないな。今準備するからしばらく待ってくれ。」
正直色々な事があった所為で精神的な疲れと眠気で倒れ込みたい。やる事をやったら俺も寝よう。
ウルを横に寝かせてキッチンに向かい、匂い消しの香草を入れた布袋を取り出してククリナイフで細かく刻んで唐辛子の様な辛味と香りの強い調味料を少量混ぜ込む。
既に植物油に漬けて置いていた例の魔物の肉を取り出して刻まずに残しておいた香草を肉に巻きつけその場に置いておく。
ソートには家の周辺に生えている食べられる野菜の準備をしてもらう様言っていたのでソートが集めたブロッコリーや厚い葉を持つ野菜を一口台に切り分け軽く塩味のある調味料を振ったお湯に放り込み湯がいていく。
サッと湯がいた後に冷水に漬けて取り出し皿に盛り合わせた後、肉に巻き付けた香草を剥がして肉に切れ目を入れていった。
切れ目に匂い消しの香草と辛味ある調味料を混ぜ合わせた物を刷り込み、更に全体にまぶしていく。油と調味料が混じり合った物が肉を薄く包み込んだ事を確認して崩れない様に熱した鉄板に並べていく。竃の奥に鉄板を移動させてじっくりと焼き上がりを待つ。
その間に花から採取したらしい酸味のある蜜と潰した無花果モドキ、幾つかの調味料を混ぜ合わせ温野菜のサラダにかけるソースを作る。焼き上がる肉と微かに鼻をつくスパイスの香りが漂ってきたところで窯から肉を取り出し皿に盛って出来上がりだ。
匂いに釣られたのか尻尾を振って此方を覗いていたソートの後ろからウルが目を擦りながら歩み寄ってくる。
「おはようというにはまだ暗いな。体調はどうだ?」
「んっ…大…丈夫。ありがとう。」
笑顔で応答するが目線は既に皿の料理に集中している。
どうやらウルも腹が空いているのだろう。
ソートがテーブルに料理を並べた後に三人で卓を囲んで料理を頬張り始めた。
二人が食べている様子を眺めながら、俺は肉を口に入れたままいつの間にか眠りこけてしまった。
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翌日、目を開けると別室に運ばれていたのかフカフカのベッドの上で目を覚ましていた。
真っ白な綿の様な物を実らせた植物がベッドの様な形を成している。ウルがベッドまで運んでくれたのか隣でスヤスヤと寝息を立てていた。
一瞬間違いを起こしてしまったのではかと血の気が引いたが自分の服が乱れた様子はないのでホッと一安心した。
ウルの方はシャツ一枚を羽織っているだけなので判別が全くつかないが。
「$%♪××〒*=|々%」
籠に入れた野菜を運ぶソートが部屋の入口から声をかけてきた。食事の準備でもしてくれていたのだろうか。
とりあえず手を振ってみると一礼して大広間の方に走り去っていった。
眠るウルの頭を撫でながら昨日の出来事を思い出していた。
ウルの力を借りて何とかソートと話をして色々な事を教えてもらった。
香草を手に入れる為に向かった崖の帰り道で異形の化物に遭遇して何とか逃げ延びた。
あれは恐らくソートが「シアエガ」と呼んでいた怪物なのだろう。
ソート自身よく解っていない様で大きい化物と曖昧な説明しかなかった怪物だったがあれを言葉で説明するのは大きさの規模的にも見た目的にも中々難しいだろう。
空から見た際の印象は全身岩を纏った凶暴な蚯蚓、もしくはチンアナゴの様な印象を受けた。しかし全身から眼玉が飛び出すわ触手が湧き出るわでやはり生物としては例えようのない怪物だった。
他にも火を吐き群れをなして行動する魔犬「アフム・バグ」や洞窟を住処にしている白く巨大な蜘蛛の魔獣「アボート」、崖から滑空して獲物を狩る腕に羽を生やした大蜥蜴「プテラ・サブラ」等この森で注意しなければならない魔獣がいるらしい。
その中でも特にシアエガの事は強調していたので、あれがこの森で最も恐ろしい怪物なのだろう。
ともあれソートから情報を聞き出したとはいえ片言の言葉を勝手に解釈しているだけなので断片的な情報しか理解できていない。
やはりちゃんとした会話ができればと考えていた所で老人から手渡された赤い玉を思い出した。
「この玉の力が老人の言っていた通りなら助かるんだが…試すにしても怪しいしな…本当に言葉通りのものなのか何かしら調べて貰った上で試すべきだとは思うが…仮に鑑定してもらったにしても言葉が通じなければ何を説明されても理解できない…よな。」
ポケットから掌に収まるほどの赤い玉を取り出した。
目の前で玉を回しながら眺め、どうするかを考える。
リスクを踏まえなければ手に入れられない物は確かにある。しかしそれを見定める知識が先ず無ければこの先も同じ様に悩むことになるだろう。
此処は老人の言葉を信じて試してみるべきか。
「額に当てるだけで良いと言っていたな。」
恐る恐る玉を額に当ててみた。
赤い玉から仄かな光が灯ると同時に頭の中に様々な思考が巡る様に言語の知識が流れ込んできた。
勉強のしすぎで知恵熱を出した様な感覚がしたが耐えられないものではなく、次第に頭の中が整理される様な非常に清々しい爽快感を感じた。
やがて赤い玉は色を失い、灰色の石ころに成り果てて粉々に砕け散ってしまった。
「これで本当に言葉を覚えられたのだろうか?」
指先に残る石ころの灰を弄りながら見つめていると砕けた石灰を頭から被ったウルが目を覚ました。
「んっ…何…これ…」
どうやら石灰が口に入ったのか舌を出して口を拭っている。
「おはよう」
頭から降りかかった石灰が顔中に付着し何処かの灰かぶりの姫の様になっていた。
「…おはよう」
目を擦りながらジト目で此方を見ている。目にも灰が入ったのか些か涙目になっていた。
「はっはっはっ。灰塗れになってしまったな。スマンスマン。」
顔についた石灰を手で拭っていく。透き通った白の瑞々しい肌の感触が心地いい。ウルの肌は子供の頬っぺたと比較しても遜色のない程に手触りがいい。
セクハラそのものではあるが機会があればその感触を心の中で愉しんでいた。
頬っぺたを摘んで遊んでいるとウルが睨む様にムッとして見せた。頬っぺたを広げられて口元は笑っているがな。はっはっふぁっ…
「はて。先程ソートが何やら呼ひかけてひた。遊ひはこれくらひにして大広間に向かおふ。」
対抗する様に俺の頬っぺたを引っ張っていたウルに声を掛けて二人で大広間に向かった。
「おっおはようございますっ!なっ何やらたっ楽しそうな様子でしたね。」
ソートは吃る様に言葉をつっかえながら喋り俺からウルに視線を移して話す。
「おっ、本当に言葉が分かる様になった…ああ、おはようソート。」
ソートの獣耳がピンと立つ。
「あっ…あの…ホントはしゃっ喋ることができたんですか…?」
怯える様子のソートを見て不敵に笑ってみた。
「実は…な。俺が喋ることが出来ない事をいいことにあんな事やこんな事を言っていたな。」
特に意味はない。
ソートをからかってみようと思っただけであったがソートの顔は想像以上に顔面を蒼白にさせていた。
「たっ大変申し訳ありませんでしたっ!なっ何か気に障ってしまう事をいっ言ってしまっていたのでしたらこっこの通り謝りますっ!だからっ…」
錯乱する様に土下座して必死に謝るソートを見てやり過ぎてしまったと急いでソートに駆け寄る。
「ひぃっ!」
「ホントにすまない。実は言葉を理解したのもついさっきなんだ。怒ってないから顔を上げてくれ。」
ソートがクシャクシャになった泣き顔で此方を覗き込む。
鼻水まで垂らして肩を揺らして呻き泣くソートの顔を手で拭ってゆっくりと立たせた。
「俺ってそんなに怖い奴に見えるか?」
振り返ってウルに聞いてみた。
「あんまり…怖くはないよ」
「おおぅ…そうか。」
三十路にしてはかなり童顔だとよく言われていたからな。
身長も高い方ではないので二十歳の頃も良く高校生に間違われていたくらいだ。貫禄が欲しいとは思っていたがこうも怖がられる様ならまぁ…貫禄なんて無くていい。
「うっ…ズズッっ…ぐすっ…」
背中を摩ってソートを落ち着かせる。
「あっ貴方がヘイオスてっ帝国の方だとはおっ思っていなかったので…」
あの老人は一国の言語知識があの玉に入っていると言っていたな。では俺が今話している言葉はヘイオス帝国の言葉なんだろうか。
「ウルは俺の今喋っている言葉が分かるのか?」
「この子の頭の中を覗いたから…分かるよ。」
んっ?頭を覗いた?暫し考える…。
「頭が覗けるんなら今までの俺の言葉も喋れたんじゃないか?」
頭が覗けるというのは恐らく記憶や知識を読み取れるという事だろう。じゃあ何故今まで俺との会話が不自然だったんだ?記憶や知識を読み取れるなら今まで言葉を教える様に話さずとも普通に会話出来ていたんじゃないのか?
「ケンの頭は…覗けなかった。だから言葉を覚えたの。」
何故にソートは頭が覗けて俺の頭は覗けないのか。
生物的な相性とかか?原因が分からないな。
しかしヘイオス帝国の言葉を覚えた事でウルともより流暢に会話ができている様だ。
不思議なんだが自分が日本語で話をしようとすると無意識に言葉が変換される。耳に入る言葉も同様で相手の言葉も自身の言葉も頭で日本語に再変換された様に何を言ったかを理解できるようだ。
「ソートはヘイオス帝国以外の国の言葉を知っているのか?」
「うっ…ぐすっ…しっ知りません…かっ関わりがあるのは…ヘイオス帝国の方々だけですから…」
涙を流しているが先程よりは落ち着いたようだ。
「改めて言うがすまなかったな。ちなみに俺はヘイオス帝国って言う国の人間じゃないぞ。もしもそれで怖がっているなら其処は安心してくれていい。」
コクリと頷くソート。
「しかし余りにも怖がりすぎじゃないか?」
「あっあの方々は…とっとても厳しい方々ですから。」
「もしかして虐められている…いや、迫害されているのか?」
ソートは無言で俯いた。
考えてみればこんな危険な深い森の中で小さな子供がたった一人で…いや二人か。たった二人だけで自給自足の生活しているなど余程の理由でもなければ有り得る事ではないだろう。それを行うにはこの森は余りに危険すぎる。
家の中にある幾つかの生活用品は恐らくヘイオス帝国からの物資だ。手製で作るには中々難しい物もあるし何よりそういった物とソート自身が作ったであろう備品とでは圧倒的に細工に差がある。
迫害を受けているであろうケイオス帝国の人間と何かしらの手段で定期的に連絡を取り合っているんだろうと推察した。
「生きる為には耐えなければいけない事もあるが…理由を話せるなら教えてほしいが…」
自分で言った言葉が苛立たしい。
元の世界でいつも考えていた…何も持たない自分に必死になって唱え続けた言葉だ。
力も無ければ金もない。
周りに比べて様々な物に恵まれなかった俺でも努力すればきっといつかは人並み程度には幸せになれると言い聞かせて、信じて、諦めて、選んで、進んだ道。
俺の場合、その進んだ先には…何も無かったがな。
ソートは頭を振って言葉を返した。
「きっ気にしないでください。あっ貴方には…やるべき事が…あるんですよね。」
ソートの言葉は正しい。
既にソートと俺達の間では互いに約束した条件を達している。そして俺は元の世界に帰るという目的がある。異世界を渡る手段を探すなど有るかどうかも分からない途方もない難題がある中で他の事に現を抜かしている暇はない。
しかし…本当にこれでいいのか。
「ぼっ僕達の事は気にしないでください。貴方達から貰ったあの魔鉱だけで…僕達は十分助かりましたから。」
「そうなのか…」
「とっとにかく、朝ご飯もよっ用意してます。いっ一緒に食べましょう。」
ソートが涙で晴らした顔で笑顔を向けて二人の手を取り大広間に案内していく。ぎこちない笑顔にいい知れない感情を抱きながら朝食に口をつけた。
迫害され魔獣が溢れる森に住うただ二人だけの子供。
その森はまるで二人を世界から隔離する為に存在する悪辣な檻の様に思えた。
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