魔王の遊戯——鈍色の飛翔火竜——
先代龍帝『まがね』。
2000年前より蘇った龍にして、原初の龍神の血を引く『しろがね』。
奴にその座を譲るまで、龍帝だった者。しろがねより離反し、今日まで龍仙境より離れた島に居を構える龍。
これだけ聞くと、単に落ちぶれたように聞こえるが……相手が悪いだけか。
何せしろがねは、我と同じ六種の代表である『統治者』の一人だった男だ。それはつまり『始まりの大戦』を治め、そのあとに余が起こした『魔獣王の反乱』も乗り越えたということ。
忌々しい、我が敗戦の記憶。
今の世……平穏の世界に生まれた者にしろがねの相手は、荷が勝ちすぎる。
「……魔族が、何用か? ここは私の領地の一部、しろがねに与する同族すらまかり通ることは許さん」
体躯だけならしろがねにも負けぬ、全身を鈍色の龍燐で覆われたまがねが問いかけてくる。だが、銀の瞳は焼けるような怒りに満ちている。冷静なようだが、隠しきれていない。
……ふむ、心地よい激情よ。
「貴様……偉大なる魔王様、シャイターン様の覇道を妨げるか?」
「良い、ズー。我が話す、下がっておれ」
忠誠心の高さの現れであるし、それを有難く思うが……せっかくご足労頂いた運動相手であり、遊び相手だ。
水を差してもらいたくはない。
「単刀直入に言う。貴殿らに用などない。たまたま、我が航路に被っていただけだ」
相も変わらず、燃える怒りに満ちた銀の瞳を見つつ——告げる。
その瞬間、まるで枯れ木を放り込んだかのように瞳の憤怒がさらに燃え上がる。血気盛んで誇り高い若者を揶揄ってやる。
悪趣味、と言われようと止められぬな。これは。
「とは言え、貴殿の領地……ああ、領海というべきか? 無償で通らせてもらおうとは思っておらん」
「……ほう?」
もう一押し、というより向こうも余程でない限り最早退かないだろう。
実力に裏打ちされた誇り、龍帝の座を明け渡したとはいえ、従ってきた同族も相当数いたはず。ここまでコケにされて黙っているような器ではあるまい。
「取引だ。我が世界の覇権を握った暁には、龍帝の座を貴殿にくれてやる」
最後の一押し。
「どうだ? 悪い条件ではなかろう?」
ついでに薄く笑みも浮かべておいてやるが——明らかに必要なかったな。
「ふざけるな! 『龍帝』の座を! 私たち龍族の頂をくれてやるだと!」
「ああ、ついでに此度の無礼も多めに見てやろう」
嘘は言っていない。
ここで大人しく引き下がるようなら、我も遊戯を我慢するとしよう。何せ、もう手に入らんと思っていた花嫁を迎えに行くのだ。
すこぶる、気分が良い。
「龍を、私たちをどこまで愚弄する気か……! 魔族め、ここまでのこのこ出てきた迂闊さを! 龍を愚弄した罪を! 呪いながら死ね!」
もはや隠さなくなった激情に殺意を混ぜ、それに魔力を呼び水として龍脈の力を乗せていく。龍族特有の術式、己の魔力を呼び水に大地の大いなる力を利用する。
膨大で強力な上に、自身の消耗も軽い。
だがその代償として、使役できる能力に制限がかかる。それは属性という概念を持たざるを得ない、ということだ。火、水、風、土、雷の五つの自然現象への干渉に限られる。
ふむ、鈍色の龍ことまがねは——火のようだ。
夜空を照らすように、三日月と星の淡い光を飲み込むような光量と熱を持った火球が生成されていく。まがねの上、龍族特有の巨体に負けない大きな焔色の玉が出来上がる。
ほう……なかなかの完成度……と、これは!
予想外の術の強大さに感心していると、まがねがさらに一手を重ねてきた。大きく裂けた口腔に並ぶ牙、その奥から火球と同じ色の光が覗いている。
「散るがよい! 傲慢な魔族め!」
術による火球と、龍の吐息による炎の二重奏——!
それぞれ別種にして最大限の火力を同時にぶつける。それによる相乗効果で、相手を完膚なきまでに薙ぎ払う気か。
近寄ってくるほどに、大気ごと焼けつくような熱量と光が強まっていく。船を浮かべる大海すらも気化し、霧が昇り始めていた。
人間の知恵である船など、一溜まりもない業火の共演!
これが、しろがねが蘇るまで龍帝だった者の実力か!
だが——
「……温いな」
「な、なに……?」
炎熱の二重奏に対し、我も自身の力をもって答えてやる。
届かない、その程度では。
今宵の空とは違う——星も月もない夜空よりも、それを映した海よりも深い深い闇の口腔。
それが炎熱の塊を喰らう。
「悪くはない。だが、貴殿のそれはどこまで行っても……ただの『火』でしかない」
我が力、漆黒にして深淵が只管に喰らい続ける。熱を、光を、すべて塗りつくすかのように。
「発想も力量も見事。だが、それでは足りんのだ」
まがねに語りかけつつも、生み出した黒塊へ力を注いでやる。
当初の分で十分だった、我一人の身を守るなら。
だが今はこの船とそれに乗る部下たち、どちらも守らねばならん。故に、大人げなかろうと『火を完膚なきまでに喰らいつくすように』力を注ぐ。
「『極位』に匹敵するのは認めよう。だが、決して及ばぬ一歩というものは存在するのだ」
炎の二重奏を完全に飲み下したのを確認し、我も力を収める。
何よりも黒い——世界が抜けたかのような——塊が掻き消える。そのあとに広がるのは、相も変わらずに三日月と星が輝く空、静かに波を奏でる暗い海、我と帆船……
「そんな、馬鹿な……」
そして、呆然とするまがね。
「私の炎が、届かない……? 魔族どもどころか、船の一隻すら……沈められず……焦げ目一つ、つけられないというのか?」
実力と実績で今日まで積み上げてきた、誇りと自負が粉々になったのだろう。
先ほどまでの憤怒はどこへやら。
「では、次はこちらから行くぞ?」
我のその言葉に対しても、まがねは何の反応も返さない。
立てぬか? 這い上がれぬか?
「……我が通りたいのはこの海域、貴殿の島は見逃しておこう」
それならばそれで仕方なし。
貴様は——その程度だったというだけよ。
「安心して逝くが良い」
「……え?」
「あら? どうしたの、カリーナちゃん。空に何かある?」
「あ、いえ……上手く言えないんですけど、何かが……いなくなったような……」
「うーん……虫の知らせ、かな? 何の気配も感じなかったよ」
「すみません。私も、どう言っていいかわからなくて……」
「まあ、いいじゃない! さ、そろそろ切り上げましょ! カシェルもカリーナちゃんも明日に響くわよ」
その日、強大な龍が一頭消えた。
鈍色の龍燐で覆われた、雄々しき飛翔火竜。個々を自由に生きる龍族の中にあって、当代きっての傑物と称されていた龍が虚無に飲まれたのだ。
人の時代、人の世界からは認知されていなかった領域での……出来事だった。
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