茨の女帝、動く

 晴れやかな気分だった。

 何の面白みもない廊下、そこすらも爽やかに感じるほどに心が澄み切っている。未熟で稚拙な体術、しかしそれを補うほどの情熱と気概に触れたせいだろう。

 私からすれば遊び感覚の動き、しかし対する相手は持てる全ての体技と知恵を駆使してきているのだ。それの成長に触れられることは至上の愉悦の一つだ。



 最近の私は恵まれているな。

 カシェルといい、カリーナお嬢さんといい……こうまで素晴らしい逸材に出会えるとはな!



「おはようございます! エルマ聖騎士!」

 すれ違う訓練生の少年二人、敬礼からも表情からも緊張を隠せていない。いつもは軽い敬礼だけで返し、とっとと通り過ぎるところだが……今は機嫌がいい。


「ああ、おはよう。今日も頑張るのだぞ?」

簡素な敬礼と言葉、そして軽い微笑を返しておくとしよう。



「……あ、ありがとうございます! エルマ聖騎士!」

 強張っていた身体をさらに緊張させるが、顔は緩んでいるぞ?

 まあ、精進して欲しいのは本心だ。現状戦力が必要となるのは想像に難くない。




「……」

 ポルシュ湿原での連続失踪事件……プンクト砦の陥落……そして、公国の窮地。これらの重なりは偶然だろうか?


 足を止めないまま考える。


 いや、偶然とするにはあまりにも楽天的すぎるな。

 そもそもプンクト砦の陥落が発見されなかったのは、『血の落日』の騒動のせいだ。それがなければ、国境付近の砦の報告はもっと重視されていたはず……



 顎に手を当て、更に思案を続ける。


 たしかに『異常なし』はいつも通りだが、それでも一週間に一度はこちらからも視察隊を送っている。それが出来ないため、ここまで発見が遅れてしまった。


 足を、止める。


 ……公国は既に切羽詰まった状況らしい。

 こちらとの重要な交易路、そこまでの町や村が壊滅させられているとのことだ。それがこちらに伝わらない。エコール方面が使えなくても、それ以外での交易路はある。


 エコール方面のスジャク公……公国で南を統べる大貴族。そちらに余裕がないのは確かだろう。では東側のセーリョウ公はどうか?


 考えるまでもない、同じように苦境に立たされているのだろう。


 そうでなければ、こちらとの交易を増やすなり、スジャク公の窮地を知らせて私達両者に恩を売るなり……とにかく動いているはず。

 北のゲーブ家、西のビャッコウ家も動きが見えない。



 鼻から肺に空気を取り入れ、ゆっくりと吐き出す。



 ……スジャク公、セーリョウ公、ゲーブ家、ビャッコウ家の四貴族全て、つまりは公国全体が厳しい状況に立たされているということだ。

 大森林に居を構えるという知性体の魔物……ドリュアデス、と報告にあったか。そいつが大森林を掌握していたとしたら?


 そう考えると公国全体の窮地にも納得がいく。

 大森林と密接し、その恩恵を活かして発展してきたのが公国。では大森林を掌握した魔物が出現したとしたら?



 結果は火を見るまでもない。



 人と龍、それと極一部の魔物が知性を持ち、それぞれの領域で暮らす。そして知性無き龍と多くの魔物が各所に跋扈している。人はそれらから身を守り、時に狩って暮らしている。

 それが大方のこの世界の図式……では、この状況は……?


 ほんの僅かであるはずの知性を持った——知性体の——魔物が、『血の落日』からこちらの領域を侵食している。

 この行動は……なんだ?




 ふい、と視線を窓の外へとやる。

 先程までカリーナ訓練生の相手をしていた修練場の一部……集まり始めた訓練生……もうすぐ朝礼が始まるようだ。

 規律正しく、規則正しく団体で行動して協調性を養う。単独での『戦闘』はもちろん、軍で『戦争』を行う者にとっては基本にして絶対の掟である。




 そして——気付く。

 いや、なぜ今まで気が付かなかった?


 もしも、今回の一連の出来事……湿原や砦の襲撃、公国の窮地が、統一された一つの意思で行われていたとしたら?

 何よりも……これらだけじゃなかったとしたら?


 こんなことが、世界規模で同時に行われていたとしたら?




 背筋が凍り付いたかのように冷たくなっていく。全身から冷や汗が出てきた。




 きっかけとなったのは言うまでもない、『血の落日』。

 いやいや、違う。


 あれはあくまでも狼煙でしかなかったとしたら?

 そして、一部の知性体の魔物どもは——それを待って事前に準備を進めていたとしたら?




 ついには心臓が嫌な鼓動を奏で始めた。

 こんな感覚を味わうのはいつ以来か……




「あら、おはよう。エルマちゃ……ちょっと、どうしたの? 顔色が悪いわよ?」

 声を掛けてきたのは級外聖騎士——『恩恵』を持たないが聖騎士のパーティにいる人員——の一人、リストーレ・ロンゴ。

 スリムだがしっかりと鍛えられた体躯、短く整えられた黒髪。猫科の肉食獣を思わせるが、中性的でどこかつかめない雰囲気を持っている。


「平気? 救護室まで行けるかしら?」

 心配そうに眉根に皺が寄れば、美しい猛獣の雰囲気も台無しだな。だがこの飄々とした者を慌てさせることが出来るのは、そう悪い気分ではない。


「いや、平気だ。それよりも……至急、調べて欲しいことがある」

「なぁに? 何でも言って? 私とあなたの仲じゃない」


 確かに私のパーティの一員で、戦力的にも雰囲気的にもリストーレは欠かせないな。

 自然とそう思い、ふっと軽い笑みが漏れた。


 しかし今は、それを楽しんでいる余裕もない。自分の頭の中で世界とその国々、そして情勢が思い起こされていく。



 北から中央は王国、こちらは裏も表もすぐに調べられるはず。


 西は公国、先に思い浮かべた通りに余裕のない状況である可能性が高い。


 東は独自の文化を築いた海洋国家。それだけに公国よりも交易は少ないが……最近は『血の落日』の影響で、やり取りがほとんどなくなっている。



 もしそれに……同じように魔物が付け込んでいたら?



「とにかく情報が欲しい。私の名を好きに使って構わない。王国は無論、東と西がどうなっているか調べて欲しい」

「それはいいけど……いえ、詳しいことは後でいいわ。エルマちゃんがそう言うなら信じるから」

 私の突拍子もない依頼でも軽いウィンク一つで動いてくれる。私は若き弟子だけではない、共に並ぶ仲間自体に恵まれたのだろう。



 振り返って早足で去っていくリストーレを見送りつつ、私もやるべきことを成すために足を進める。

 シャワーも何も後回しだ。すぐに神聖殿の堅物、聖騎士団団長、王国の上層部に連絡を取るとしよう。




 こちらも一刻も早く動かねばならない!

 私の予感が当たっているなら、すでに先手を取られている。すぐにこちらも動かねば、不利になる一方だ。

 当たっていたらなら、すでにこちらは苦境に立たされているとみていい。しかしだからこそ、私達『聖騎士』が動かねばならん。


 王国と神聖殿が互いに協力して結成した『聖騎士団』……心身ともに、強く気高くあるべしとする精鋭軍。

 王族に伝わる『来るべき時』に備え、私達も準備を整えていたのだ。



 たかが先手を取られた程度——切り返して見せるさ!






 その時、窓から朝礼をしている訓練生が目に入り……そのうちの一人に目が止まる。


 先程まで自分が鍛えていた訓練生、カリーナ・バテーム。

 それまで聞いたこともなかった恩恵『龍御子』を携え、伝説の龍である『しろがね』に会って力を授かった少女……


 さらにその少女が追うという少年『セス』。


 会ったことも話したこともないが……冒険者ギルドに提出された報告書を見る限り、相当な使い手だろう。

 さらにそいつは冒険者になって一カ月程度にもかかわらず、王国でも手を焼いていた件を片付けている。既にCランクへの昇格は確実だろうと。

 わずか一カ月でCランク冒険者……それが出来る者など、ほんの一握りにも満たない。



 これは、偶然か?

 私達にとっては、備えていた状況が来たのかもしれない。そもそも、そこに気付くきっかけを与えたのは……ならば、そんな状況を食い破るのも?


 何かが、廻り始めたのかもしれないな。

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